For Shabbath or Shabbat, see my blog of
実はこれには非常に深い意味がある。2本の蝋燭は神が創られた人間と神の存在
Divine Presenceを表すという考え方がある。
もう一つの考え方はShabbatそのものを忘れないという十戒の教え、Rememberingとそれを守るObservanceという2つのJewishの義務を表すという考え方もある。
もう一つは男と女、Hebrew語で言うイシュとイシャを表すという考え方がある。
これはRabbi Akiba(紀元1世紀末から2世紀にかけて活躍した有名なHebrew学者)が唱えている説で、Hebrew語でイシュとイシャには共通する発音が含まれており、それは火Fireという言葉である。そのHebrew語のFireという言葉こそShabbatの日に蝋燭に火を灯し、男と女を象徴するという考え方である。
このHebrew語のイシャとイシュにはもう一つHebrew語の音がくっ付いており、その音を2つ合わせると神のある名前になるのである。
もう一つの考えは、家庭の夫と妻を表すという考え方である。家庭の中での平和、夫と妻の仲の良きことをShabbatは祝うという考え方である。この考え方に繋がるのが、Shabbatそのものが花嫁に例えられるという多くのHebrew学者の考え方である。
Shabbatを迎えるLekha Dodi という祈りは花嫁を迎える歌の文句である。
Shabbatの日に花嫁を迎えるように自分の妻をもう一度週に一度愛しく思う。そうすることが夫婦の平和に繋がり、それがひいては社会の平和に繋がるというJewishの考え方を象徴している。
もう一つはCosmosとEthosを表すというHebrew学者の考え方がある。
Cosmosとはこの現状、すなわち「The world -- what it is」とEthos、すなわち「The world -- what ought to be」現実の世界とあるべき世界を表すと言うのである。
Christian達は神がこの世界を創られたと考えるところはJudaismと同じであるが、人間には自由意志が与えられており、その自由意志が導く理性は神が考えても人間が考えても同じものであるとChristianは主張する。つまり、理性の最たるものであるScienceや数学は人間が考えても神が考えても同じものに行き着くというのである。
このChristianの考えにJudaismは与しない。神はこの世の中を2つの公理で担保しておられる。一つの公理はScienceの法則である。もう一つの公理はMoralの法則である。
実はこの人間の理性は神と共通するという考え方は、西洋の啓蒙思想の考え方であるが、Judaismではこの考え方に全く賛成しない。
人間の理性は神全体が宇宙の法則とされるもののごくごく一部、部分にしか過ぎず、例えば人間は未だに宇宙がどう出来たかを知ることも出来ていないし、ましてや何故宇宙が出来たのかという問題も解明していない。未だに人間は同じく神が創られた微生物であるVirusとの闘いに勝利したどころか、明け暮れているわけであり、到底神の知性の部分、理性の部分を人間が共用するということが如何に不可能であるかということをこのことが示していると言えよう。
Hebrew Bibleにあるように、神は宇宙を創造されてこれで良しとされたということは、そこに宇宙の法則を与えられ、その法則が適用されている状態を神は良しとされたのであり、その法則を解明することは人間では出来ないのである。むしろ逆に、人間は人間社会そのものに神が求めておられるMoralを解明することに努力を傾注するべきなのである。
それこそがEthosであり、「The world that ought to be」である。このことこそShabbatの日で思い出されるべきことである。Shabbatは「The world that what it is」と「The world ought to be」の 2つを想い出させる為にCandleが2つ点灯されるというのがRabbi Akibaの考え方である。
Jewishでありauthor/writerであるIshizumi Kanjiはこの考え方に与する。
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