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Kanji Isaac Ishizumi
 
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    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
Jews in Spain Granada in Middle Ages

Spain Granada はJosé Carrerasの歌で有名だが、そのGranadaはSpainの最も肥沃な農業地帯であるSierra Nevada山脈から流れ出て来る雪解け水で満たされた肥沃な農業地帯に広がるAndalusia地方に位置している。
 
ここが実は中世のSpainにおけるユダヤ人の有名な居住地域であったのだ。
 
紀元前586年Nebuchadnezzar大王により拉致されたユダヤ人達が戻って来たのが一部Granadaに住み着いた。
 
その時のGranadaの支配者であったのがMuslim のMoor人であり、Moor人達はユダヤ人達を虐待したりせず、むしろGranadaをユダヤ人の街として保護したのである。
 
755年から1013年までユダヤ人達はこのGranadaで大いに文化を開花させ経済的にも発展したのである。
 
Granada のユダヤ人達はCotton及びSilkの取引、そして銀行業などに手を出し、大いに発展し、栄えた。ところが1492年の​SpainのMuslimとユダヤ人追放令によりGranadaに於けるユダヤ人も全てSpainから一人残らず追放されたのであった。
 
Granada のユダヤ人街はという地区に集中していた。
​これが2017年のRealejoのPhoto である。
 

 
ここからPlaza Nueva SquareからCalla Colchaという地区まで行くと、そこにユダヤ人の高名な医者、文学者、哲学者、言語学者であるYehuba Ibn Tibonの銅像が建っている。
 

 
この写真がその銅像であるが、彼はSpainのGranada大学の言語学部の名称として現在もその名前を留めている。Granada大学はSpainで最も著名な大学の一つである。
 
またそこにはCasa de la JuderiaというMuseumがあり、ユダヤ人の当時の歴史の展示を行っている。
 
Granada のAlhambra 宮殿の下にある旧市街にCasa de la Juderiaというユダヤ記念博物館がある。
 
  
 
これがその写真だが、ここはGranadaにおけるSephardiのユダヤ人の現代に残る記念博物館である。
 
Granadaには残念ながら中世のChristian教徒による異端審問で徹底的に迫害されたユダヤ人の歴史がありSynagogueは残っていないが、Plaza Nueva Squareに非常に有名なユダヤ人の医者であり、哲学者であり、詩人であり、言語学者であったYehuba Ibn Tibon の銅像が建っている。
 

これがその写真である。
 
Yehuba Ibn Tibonは中世EuropeのSpainを代表する高名な学者であり、現代Spainの最高学府の一つであるGranada大学の言語学部にその名を残している。
 
そして、その近くの昔のユダヤ人のSynagogue跡の建物が現在Christian教徒による異端審問と言えば聞こえは良いが、要するにChristianによるユダヤ人の拷問の道具の数々を展示してある拷問博物館。
 
正式な名前はExposición INQUISICIÓN があり、中世Christianが行ったユダヤ人に対する拷問の道具の数々の実物が展示してある。
 
大腿部を八つ裂きにして晒したり、食事も水も取れない仮面をかぶせて晒したり、あるいは針の付いた樽をユダヤ人にかぶせて道を転がしたり、爪を潰す道具等々、およそ考えられる拷問というかユダヤ人を痛めつけて苦しませて殺す道具の数々が展示されている。
 
これがその拷問道具の展示の写真である。有名なAlhambra 宮殿を見上げる旧市街の下町に位置する博物館である。
 

 
Granada というのは元々"ユダヤ人の街Granada​"という呼び名であったものが、省略されてGranadaになっている。それぐらいユダヤ人によって栄えたSpainの街であったのである。
 
この拷問の道具はReconquista すなわちIslam、ユダヤをSpainから追放する1492年以降に追放を免れる為にConversion、Christianに改宗したユダヤ人及びIslam教徒に対してなおしつこくChristianが弾圧と拷問を行った拷問の道具である。
 
「改宗してもお前達はまだIslamの神、ユダヤの神を信じているから、その性根を叩き直す」という拷問がSpainで頻繁に行われた。その拷問博物館がこれである。
 
Granada というのは元々の意味は"ユダヤ人の街​"という意味であり、GranadaのAlhambra宮殿の有名な中庭に12匹のLionに支えられた噴水があるが、それはその時Granadaの内閣総理大臣を務めていたユダヤ人Sammuel Ibn Nagrellaという者がAlhambra宮殿の主であるIslamのMohammed 5世に寄付をしたものであり、ユダヤ12支族を象徴する12匹のLionで支えられた噴水である。
​Muslim とJew の共存共栄の象徴である。​
 

 
Spainに異端審問の嵐が吹き荒れる1492年のReconquista、ユダヤ人、Muslim追放まではユダヤ人とMuslimは相互にGranadaに於いて共存共栄していたことを象徴するAlhambra宮殿である。
 
Alhambra 宮殿の有名な12匹のLionの噴水の中庭はMoor朝の最高傑作であり、当時のIslam支配者、GranadaのIslam支配者Nasrid Sultan 、Mohammed 5世により建造されたものであるが、そのLionの噴水そのものは実はその当時のGranadaの大金持ちであり内閣総理大臣の要職にあったユダヤ人Sammuel Ibn Nagrella が11世紀自分の邸宅用に作らせたものをAlhambra宮殿に寄贈したものである。
 
ユダヤ人が自分の庭用に作ったものである証拠は12匹のLionがユダヤの12支族を意味し、よく見ていただければ分かるが、2匹のLionの額が三角形の形状をしているのはユダヤの12の支族のうちの最も聖なる支族であるLevi 一族とJudah一族を意味するものである。
 
Granadaのユダヤ人達は紀元前586年Assyria のNebuchadnezzar大王により拉致された大量のユダヤ人が逃れてきた場所の一つである。
 
Granada を支配していたMuslimのMoor 王朝はそこにユダヤ人達が多く住み着いていたので、Granada of the Jews、​"ユダヤ人達のGranada​"と呼んでいた。
 
GranadaはMuslimのUmayya 族の支配する地域の中で、ユダヤ人が最も多く住み着いた所であった。但し、それもSpainのIsabel 女王による1492年のユダヤ人及びMuslim追放までのことであったが。
 
そのMoor 王朝によって建設されたAlhambra 宮殿には色々なユダヤ人の痕跡が残されている。その一つがこの有名な12棟のLionの噴水である。
 

 
Granadaの中心街にあるRealejo地域は当時ユダヤ人が最も多く住んでいた場所である。そこでGranada はGranada of the Jews、ユダヤ人達のGranada、Arabicでغرناطة اليهود gharnāṭah al-yahūdと呼ばれていた。
 
 
ユダヤ人達はMuslimがAD 711年からGranadaに住み着くようになった以前から住んでいた。
 
MuslimがGranadaを支配するようになってもユダヤ人達はMuslimと共存し、さらにその経済的な繁栄を謳歌していった。
 
特にAbd ar Rahman 3世がAD 912年からGranadaを支配するようになってからユダヤ人達はさらに経済的に発展していった。
 
1013 年Ziri Kingの時代にはユダヤ人のSamuel Ibn Nagrella がいわば内閣総理大臣職としてMuslimと共にGranadaの発展に敏腕を振るった。
 
1120年Granadaきっての有名な学者Yehuba Ibn Tibonが生まれた。彼はユダヤ学者であるだけではなく、医者であり、詩人であり、哲学者であり、言語学者でもあった。現代でもGranadaでは歴史上最も有名な学者としてその名をGranada大学に残している。
 
その頃のユダヤ人の人口は5万人を超えるほどになっていた。
 
Granadaのユダヤ人達は金銀取引業者、Cotton取引業者、Silk取引業者、綿花取引業者などGranadaの経済の要職を占めていた。彼等は何カ国語も操り国際貿易に従事した。
 
しかし、そのGranadaの繁栄の中心にあったユダヤ人及びMuslim達を1492年にCatholicの王 FernandoとIsabelがAndalusia 地方を支配し、1494年にFernando 王が全てのユダヤ人の家の破壊命令を出すまで続いた。
 
1494年の破壊命令によりユダヤ人の居住家屋2000棟がことごとく破壊された。
 
1492年のユダヤ人追放令は7月31日限りSpainから全てのユダヤ人の退去を命じるものであった。
 
これに違反すれば死刑とされ、ユダヤ人の財産は証券、動産、不動産、金銀、財宝、家財道具、何もかも全て没収され、合わせて全てのMuslimのMosqueも破壊され、Granadaからはユダヤ色及びIslam色が完全に一掃されたのである。
 
一部のユダヤ人及びMuslim達はCatholicに改宗してGranadaに残留したが、それぞれの者に待っていた運命は過酷な異端審問による拷問であった。その拷問の歴史は現在拷問博物館で見ることが出来る。
 

 
ここで注意してもらいたいのは、当時のGranadaがGranada of the Jewsと呼ばれていて、Jews of Granadaとは呼ばれていなかった。この違いである。それほどGranadaにはユダヤ人が多かったのである。
 
さて、1492年Spainのユダヤ人は立ち去るか改宗するかの選択を迫られた。
 
立ち去るのも生やさしいことではない。一切の財産を置いて海の彼方に立ち去ることを要求された。
 
Granadaから車で一時間半のところにUbedaという街がある。そこにユダヤ人達が地下でSynagogueの祈りを捧げた秘密のSynagogueが存在する。
 
全ては地下に設置されて、外からは分からないようになっている。一番神聖なMikveh沐浴場もその最深部にあり、地下深く掘られた地下水が自然に湧いてくるMikvehである。
 
そこでこのSynagogueを「SINAGOGA DEL AGUA」と呼んでいる。以下に見せるのはこのSINAGOGA DEL AGUAの​2017年の写真である。
 

 
Christianに改宗してSpainに残ることを選択したユダヤ人達を待っていたのは厳しい異端審問である。
 
「形の上だけ改宗したのではないのか」と審問官に迫られ、豚を食べることを強要された。いわば日本で言えば踏み絵の強要である。
 
ユダヤ人はMuslimと同じで豚は絶対に近づくことも食べることも許されない最も厳しい宗教戒律の一つである。それを強要されユダヤ教を完全に諦めたことの証明を要求されたのである。
 
実はこのUbedaにSynagogueがあるということが発見されたのは偶然であった。2007年から発掘作業が始まり、2010年に発掘は完成した。そして一般公開されたのがごく最近である。
 
このSynagogueは14世紀頃に建てられたものと考えられているが、Reconquista以降も秘かにユダヤ教の儀式を行う場所として匿われてきたのである。
 
通りからは全く見えないように地下に建造されたSynagogueは表通りの空気孔からわずかな光が入って来るが、朝の一定の時間だけ太陽がその地下の空間のMikveh清めの沐浴場まで太陽の光が差し込む様は非常に聖なるものである。
 
 

 
UbedaのSynagogueは全てが地下にありながらも部屋は7つもあり、しかも女性専用のGalleryがある本格的なOrthodox Synagogueである。
 
しかも万が一の場合に備えて水の確保が完璧に為されており、井戸は地中深く掘られた井戸が4つも存在する。今でもその井戸には満々と地下水が湛えられ流れている様が読み取れる。

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Jewish Joke

閑話休題。ここでJewish Jokeを一つ紹介しておこう。
 
ユダヤ人の3歳の小さな男の子がSynagogueでRabbiの所へチョコチョコと走って行って、Rabbiに向かってこう言った。
 
「Rabbi、僕は小銭を5Poundと50 Pence持って来ました。これを是非受け取って下さい。」
 
Rabbiがその子に向かって「おお、それは有り難いことだ。でも何で君のような小さな子がそれを私にくれるのかね? Synagogueへ寄付するというのかな?」
 
男の子「いいえ、僕のお父さんがいつも家でこう言っているんです。『うちのRabbiはpoorest speaker I ever heard.』だって。」
 
さて、このJokeが分かる為にはユダヤ人の日常生活がまず理解できていなくてはならない。
 
ユダヤ人は毎日Synagogueに足を運ぶ。祈りを捧げる為である。その時に基本的には男の子をSynagogueに連れて行くことが多い。そしてSynagogueの祈りの席あるいはその後に、Synagogueに寄付をする為に小銭をさい銭箱に入れる。
 
RabbiはShabbatの日、すなわち土曜日の祈りの最後の方に参加している会衆に向かって説教ならぬSpeechをすることが習わしになっている。
 
そしてPoorest SpeakerというのはそのSpeechが下手だという英語の表現。
 
しかし男の子はPoorestを「貧乏な」という意味に受け取ったようだ。これを父親から聞いて、そのままRabbiに伝えてしまったところがこのJokeの面白いところ。
 

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Spain のユダヤ人の受けた拷問、Spain の高名なユダヤ人学者

Granada のAlhambra 宮殿の下にある旧市街にCasa de la Juderiaというユダヤ記念博物館がある。
 
 
 
これがその写真だが、ここはGranadaにおけるSephardiのユダヤ人の現代に残る記念博物館である。
 
Granadaには残念ながら中世のChristian教徒による異端審問で徹底的に迫害されたユダヤ人の歴史がありSynagogueは残っていないが、Plaza Nueva Squareに非常に有名なユダヤ人の医者であり、哲学者であり、詩人であり、言語学者であったYehuba Ibn Tibon の銅像が建っている。
 

これがその写真である。
 
Yehuba Ibn Tibonは中世EuropeのSpainを代表する高名な学者であり、現代Spainの最高学府の一つであるGranada大学の言語学部にその名を残している。
 
そして、その近くの昔のユダヤ人のSynagogue跡の建物が現在Christian教徒による異端審問と言えば聞こえは良いが、要するにChristianによるユダヤ人の拷問の道具の数々を展示してある拷問博物館。
 
正式な名前はExposición INQUISICIÓN があり、中世Christianが行ったユダヤ人に対する拷問の道具の数々の実物が展示してある。
 
大腿部を八つ裂きにして晒したり、食事も水も取れない仮面をかぶせて晒したり、あるいは針の付いた樽をユダヤ人にかぶせて道を転がしたり、爪を潰す道具等々、およそ考えられる拷問というかユダヤ人を痛めつけて苦しませて殺す道具の数々が展示されている。
 
これがその拷問道具の展示の写真である。有名なAlhambra 宮殿を見上げる旧市街の下町に位置する博物館である。
 
  
 
 
Granada というのは元々ユダヤ人の街Granada という呼び名であったものが、省略されてGranadaになっている。それぐらいユダヤ人によって栄えたSpainの街であったのである。
 
この拷問の道具はReconquista すなわちIslam、ユダヤをSpainから追放する1492年以降に追放を免れる為にConversion、Christianに改宗したユダヤ人及びIslam教徒に対してなおしつこくChristianが弾圧と拷問を行った拷問の道具である。
 
「改宗してもお前達はまだIslamの神、ユダヤの神を信じているから、その性根を叩き直す」という拷問がSpainで頻繁に行われた。その拷問博物館がこれである。
 

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Why did G-d divide language? 何故神は言語をバラバラにされたのか? Technology and language divide.

Hebrew Bibleの十戒は総単語数200 、
 
AmericaのDeclaration of Independence独立宣言の総単語数は1300、
 
イギリスのMagna Cartaの総単語数は4000、
 
そして2016年のイギリスの税法の総単語数は1000万、
 
そしてAmericaの連邦及び州の全ての法律の総単語数は2016年で30億。
 
さて、果たしてこれだけ複雑な規則と法律でHebrew Bibleの十戒の時代6000年前と現在と比べて人々が規律正しくなったと言えるのか。
 
第一次産業革命が1784年。いわゆる蒸気機関車(Mechanical weaving loom, water and steam power​)。
 
第二次産業革命が1870年。自動車の最初の製造Line(​production line)が作られた。
 
第三次産業革命が1969年。最初のProgram​mable Logic Controllerが出来た日。
 
第四次産業革命が2016年、Cyber Physical System、これがいわゆるIndustry 4.0と言われるものだ。​Industry 4.0 で人々は幸せになるのか?
 
十戒の200語と現代Americaの全法律の3​0億語と、この第一次産業革命から第四次産業革命、一体人々は幸せになろうとしているのか、なっているのか。それとも人々をただ単に機械の虜にし、​Big Data で忙殺しているのか。
 
電話回線が500万人に行き渡るまで75年、
 
Radioが500万人に行き渡るまで38年、
 
Televisionが500万人に行き渡るまで13年、
 
Internetが500万人に行き渡るまで4年、
 
Facebookが500万人に行き渡るまで3.5年。
 
ところがiPhoneが500万人に行き渡るまでたったの3ヶ月しかかかっていない。
 
果たして人々がそれで幸せになったのか。
 
​iPhone で幸せになった人は是非私に連絡して欲しい。
​30億語の法律で人々がより問題を起こさなくなったと信じる人は私に連絡して欲しい。
 
よく考えてもらいたい。
 
ユダヤ教は、特に私の属するChabad Lubavitch 派はこういう産業革命とかSpeedとかInternetとかBig Dataとかいうものに懐疑的な目を向けてきた。
 
それが人々を幸せにしないのではないかという疑問からである。
​人々が幸せになるには200語で十分ではないか?
 
この地球上には現在約7000の言語がある。ところが世界人口の50%を占める人々が話している言語はたった7000のうちの25の言語である。ということは残り50%の人々が6975言語を話しているということになる。
 
ところが、その25の言語を話す世界人口の50%の人々は戦禍にさらされてきた歴史を繰り返しているという。
逆に、全く少数言語の6975の言語を話す少数民族の人々はこのような戦禍にさらされるという不幸はあまり経験していない。
​iPhoneやIndustry 4.0 は 25 の言語を話す50%の人々に関係する。しかし、6975 の言語を話す人々はほとんど関係しない。​
 
例えばAustraliaの原住民のAborigine、南太平洋地域の各島々の原住民の言葉。インド洋に浮かぶBengal島の​Jeruという言葉。これは現在話す人が一人しかいない。
 
そして最も少数言語が集中して存在するのがPapua New Guineaで800言語存在する。中央America、Mexicoから中南米にかけてCosta Ricaにかかる地域は少数民族の​340言語が存在する。
 
London大学のSOAS(School of Oriental and African Studies)では世界最大と言われる言語archive(https://www.soas.ac.uk/library/language-archives/) が存在するが、そこですら7000言語のうちたったの450言語しか録音収録出来ていない。
 
ここで私は初めて気付いたのだが、Babelの塔が破壊されて神が人々の言語をバラバラにされたという理由が、London大学SOASのDirector of Endangered Language教授Dr Mandana Seyfeddinipur氏の話を聞いて初めて分かったような気がする。
 
世界人口の50%を占めるたった​25の言語を話す人々、特に英語、中国語等の人々はあまり幸せではないのではなかろうか。
​iPhone や Industry 4.0 はこの人達を逆に不幸せにするのではなかろうか? ​
むしろ神がバラバラに言葉をされたそれが今も残っているPapua New Guinea、中央Americaなどの人々の方が幸せではなかろうか。
 
神が言語をバラバラにされたというのは人々が幸せになるようにということではなかったのかと気付いたのである。
 

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A Jew who founded Hyatt

今日はChicagoで最も有名なユダヤ人の話をしよう。
 
それはHyatt RegencyというAmerica の有名なHotel Group、Hyatt Groupの創業者。それはPritzker Familyという。
 
Pritzker Familyは旧RussiaのKiev に住む貧しいユダヤ人であった。それがユダヤ人の迫害を逃れてAmericaのChicagoに渡って来たのが1881年。奥さんがNaftali 、そして旦那がJacobという。その写真を以下に見せよう。

 

 

Americaに渡って来てからはJacob という名前を変えてNicholas Pritzkerと称していた。そして勤勉と勉強を重ね数代で財をなした。
 
子供のLouis PritzkerはNorthwestern大学で医学博士号を取った。Nicholas Jr. Pritzkerすなわち本人は1902年弁護士資格を取得。3人の息子Harry、Abram、JackもPritzkerが始めたPritzker and Pritzkerという法律事務所に入る。1920年のことである。
 
そこで不動産投資を弁護士業の傍ら始め財を為した。そして始めたのがHyatt Hotel Chainである。
 
Pritzker一族は勉強と勤勉というユダヤ人のLegacyを引き継ぐ者としてChicagoでは有名。

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自分のものは自分のもの、人のものは人のものという考え方は何故ユダヤ的でないのか。

ユダヤ聖書の一つEthics of Fathers 第5章第10節 では次のように書く。
 
「世の中には4つのTypeの人々がいる。
 
一つ目のTypeは『私のものは貴方のもの、貴方のものは私のもの』というTypeである。
 
2番目のTypeは『私のものは私のもの、貴方のものは貴方のもの』というTypeである。
 
3番目のTypeは『私のものは貴方のもの、貴方のものは貴方のもの』というTypeである。
 
そして最後のTypeは『私のものは私のもの、貴方のものは私のもの』というTypeである。」
 
 
さて、Ethics of Fathers ではこのそれぞれの類型の人間について次のような評価をしている。
 
まず1番目のTypeの人間は、そもそも何故他人のものと自分のものとを交換しなければならないのか、そこが分かっていない。
 
「私のものは貴方のもの、貴方のものは私のもの」もし自分の持っているものが大したものではなくて、他人の持っているものがもの凄い高価なものだったら一体どういうことになるのか。これは考えただけでもおかしなことである。
従って、こういうことを言うのはそもそも無作法で礼儀知らずだというのである。
 
次に2番目の類型の人間は、他人のものは他人のものだ、それをくれなどと言わないし、交換しようなどとも言わない。その代わり自分のものは自分のものだと言うのであるから、しごく当たり前のことである。ごく普通の人ということになろうか。
 
次に3番目の類型は、自分のものまで人のものだ、人のものは人のものだと言うから、要するに自分というものがない。
 
自分のものが全くないという考え方だから、これは非常に宗教的で崇高で高邁な、そして信心深く敬虔な人である。しかし現実にはこのような人はなかなか存在しない。
 
そして最後の類型、「私のものは私のもの、お前のものは私のもの」と言うのだから、全て人のものも含めて自分で独り占めしようというTypeの人間だ。これは最も悪徳な欲深く、悪魔のようなTypeの人間である。
 
ただここで日本人の方には理解できないだろうが、Ethics of Fathers ではこの4つのTypeの人間の中で最も中庸の最も普通のごく当たり前だと形容されている「自分のものは自分のもの、人のものは人のもの」というTypeの人間だが、これはSodom人の性格だと言うのである。
 
Hebrew Bibleのことをご存知ない方に説明しておくと、Sodomというのは酒池肉林に明け暮れた異常な人々の集まる街で、神が怒りの炎で街中殲滅されたという町である。そのSodom人の性格だとEthics of Fathers は形容しているのである。
 
どうしてもごく当たり前の「人のものは人のもの、俺のものは俺のもの」が酒池肉林に溺れる異常性愛者のSodomの街の人間の特色だと言うのであろうか。
 
この「俺のものは俺のもの、人のものは人のもの」というまるで現代民主主義と現代の全ての国々の最も見本となるような憲法の規定であるにも拘わらず、ユダヤ教は何故これを何故Sodom的だと言うのか。
 
 
石角完爾のBlogの読者に答えてもらいたい。

| - | 22:59 | comments(1) | trackbacks(0) |
ユダヤ人の成功物語をユダヤ人はどう読んでいるか?

紀元前4世紀のPersia帝国は広大な領土を有し、その頂点に立つのがAhasuerus大王であった。
 
そのAhasuerus大王の目に止まったのがユダヤ人の女性Estherであった。Ahasuerus王はEstherを娶りユダヤ人の女王が誕生した。その時の最高執政官が問題のHamanと言う。
 
そのHamanは反ユダヤ主義者であり、いずれはとユダヤ人大虐殺を心中秘かに誓っていた。その時のユダヤ人のLeaderがMordecaiと言い、Eshter女王の親戚に当たる。
 
Hamanはユダヤ人虐殺計画をユダヤ暦Adarの月13日に行うという大量虐殺計画を立てた。
 
これを知ったユダヤ人のLeaderのMordecaiは全ユダヤ人を集めて断食をし、神に祈りを捧げるよう呼びかけた。一方EstherはAhasuerus大王にHamanの暗殺計画を告発し、Hamanは絞首刑に処せられ、Mordecaiが逆に最高執政者に任命された。
 
これがPurimの由来であり、全てのユダヤ人が救済されたAdarの月の14日に毎年Purimの催事が持たれるのである。
 
この日ユダヤ人はMegila、Book of Estherを読みHamanの名前が出て来ると机を叩き、床を叩き、Hamanに抗議するのである。
 

 
Jerusalem Post より転載
 
写真は筆者がいるIsrael の新聞Jerusalem PostからMegilaを読んでいる時にHamanの名前が出てきた時、大きな音を立てて抗議を表すユダヤ人仲間の姿をユダヤの新聞Jerusalem Post(2017年3月12日号)から転載したものである。
 
さて、ここで読者への質問だが、ユダヤ人はEgyptの最高執政官まで昇りつめたJosephとPersiaの最高執政官まで昇りつめたMordecaiの話から何を教訓として読み取っていると読者は思うか。
 
これはユダヤ人がHebrew Bibleをどのような角度から読んでいるかを読者が知ることが出来る一つの参考例と言えよう。

| - | 20:57 | comments(1) | trackbacks(0) |
Magen David Synagogue

今日はIndiaのMumbaiにあるSynagogueを紹介しよう。
 
このSynagogueはMagen David Synagogueと言い、IndiaのMumbaiの中心地にユダヤ人のDavid Sassoonによって1864年に設立された。主にIraqのBaghdadから逃れて来たユダヤ人達によって設立されたものであり、その大きさ及びユダヤ人の信徒の数はIsrael 以東では最大規模を誇っている。
 
またこのSynagogueには付属のJacob Sassoon High Schoolがあり、ユダヤ人のユダヤ教育を行っている。
 
このSynagogueの内装は石角完爾の好きな黄色で固められている。
 
ところが面白いことに外壁は目が眩むようなPrussian Blueなのであるから、その組み合わせは非常に面白いと見える。

 

| - | 01:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
White supremacy と ユダヤと Muslim

2017年2月22日、America中西部Missouri州St. Louis郊外のユダヤ人墓地で100基以上の墓石が何者かに倒されたり破壊されたりした。
 
これに対してIslam教徒達がユダヤ墓地の再建を応援しようと資金集めを呼びかけ、墓地の修繕費用の寄附のSiteを立ち上げたところ、僅か3時間で13万1,000 Dollarの寄付がMuslimから寄せられ、さらに増え続けている。
 
寄付をしている人は主にIslam教徒。
 
Islam教徒の間でユダヤ教徒との連携を訴える動き、Islam教市民団体、America-Islam関係評議会、CAIRはユダヤ教施設を脅迫した犯人の逮捕に繋がる情報の提供者に5,000 Dollarの報奨金を出すと表明している。
 
2017年2月27日には今度はPhiladelphiaのユダヤ人墓地が襲われて墓石が100基ほど全部倒された。PhiladelphiaのMount Carmel Cemeteryの出来事である。
 
1ヶ月前にTexasのMosque (Islamの礼拝堂)が焼けた。火事になった。不審火。その時に真っ先に救済資金を出したのはTexasに住むユダヤ人です。
​Muslim​達はCatholicの礼拝堂でお祈りをすることが出来ないので、ユダヤのSynagogueで焼けたMosqueのIslamの人達はお祈りを捧げているんです。
 
現代America でもIslamとユダヤは草の根ではもの凄く仲が良い。
 

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艱難辛苦、汝を玉にする

私が推薦文を書いたDan Senor/Saul Singer著New York Times Best seller「アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?」(http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%
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)の翻訳(原題:The Story of Israel's Economic Miracle)が日本でダイヤモンド社から出版され​ている。
今AmericaのSilicon ValleyのApple、Google、Microsoft、そしてIntelは全てその企画、設計、開発拠点をIsraelに置いている。

Israel軍兵士の若者が弾丸と手りゅう弾が飛び交う中、砂埃を浴びながら軍用PCでHarvard Business School、Harvard John F Kennedy School、Harvard Law SchoolなどにApplication Formと願書に提出するEssayを書いている。
 
日本には昔から「艱難辛苦、汝を玉にする」(これを正しく「かんなんしんく」と読める日本の若者は少ないだろう)という言葉があるが、まさにそうだ。​
「玉」のあるところにSilicon Valleyの強力企業が開発拠点を置くのは当たり前だ。
AmericaのBusiness School受験のGMAT、Graduate Management Admission Testを戦場で受けている兵士の数は15,259人(全世界Base)にのぼる。その中にこういったIsraelの若者、Afghanistanで、Iraqで戦っている若いAmerica軍や韓国軍兵士がいるのである。

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