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Kanji Isaac Ishizumi
 
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    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
二人のbin Laden 。 一人のbin Laden はIsrael がSyria の軍事戦略的運河計画を破壊することを助け、もう一人のbin Laden はAmerica に対する9.11攻撃を行った。

My dear Nadia, my dear family,

I am writing to you these last words hoping that you will remain united forever   I ask my wife to forgive me to take care of herself and give a good education to our children.  

My dearest Nadia,  you may remarry so that our children will have a father.  You are absolutely free in that respect.  I ask you not to mourn the past but turn to the future.  I am sending you my last kisses.   Please pray for my soul.

Yours, Eli Cohen

 

この短い文章は、Eli Cohen がDamascus で絞首刑に遭う数分前にSyria側の拷問によって爪を剥がされた血の出る指で筆記具をもって書いたLetter である。

 

この妻に宛てた最後の文は、我々ユダヤ人が涙なくして見ることも読むこともできなIsrael 最大の英雄の一人Eli Cohen のDamascus に於ける処刑数分前の妻に宛てたLetter なのである。

 

そしてこの写真の時計こそEli Cohen が絞首刑に遭う時にはめていた彼の愛用の腕時計である。この腕時計はEli Cohen が処刑に遭った1965年から約50年を経てSyria に駐留しているRussia 軍が入手し、Israel のBenjamin Netaniyafu 首相がPutin に会った時にPutin から渡された時計である。Israel のユダヤ人にとって最大の英雄の一人の遺品である。 

 

 

 

 Eli CohenがDamascusで絞首刑にあったのは1960年5月の事である。

 

Eli Cohenは1924年、EgyptのAlexandriaで生まれた。Egyptで生まれたユダヤ人。 EgyptではArabia語とFrance語の2つを母国語としていたが、家ではHebrew語を話した。

 

その他にユダヤ人の常として、英語も自由に手繰ることができた。

 

1960年代は、IsraelとSyriaが今や戦争かという状態に突入していた。Golan Heights及びLake Galileeでは常に小さな小競り合いが頻々とSyriaとIsraelの間に起こっていたのである。

 

そういう状況下でIsraelは、どうしてもDamascusに情報工作員を潜りこませる必要に迫られていた。つまりIsraelのDefence ForcesのUnit131部隊がこうした敵対国との情報工作を担当する部隊であったが、その情報工作員としてEgyptで普通の生活を送っていたEli Cohenに誘いが掛かったのである。

 

Eli Cohen は言うまでもなく無線暗号通信技術を徹底的に叩き込まれたのである。同時に、Islam教徒となりすますためのIslam教の知識、Koranの知識、Islam教の祈りも徹底して教えられた

 

さらにEli Cohenは、Spain語も徹底的に叩き込まれた。元々語学の才能があったEli Cohenは、すぐにSpain語も苦も無く話せるようになったのである。同時にEgypt訛りのArabia語から、Syria訛りのArabia語を話す訓練も徹底的にEli Cohenは受けた。

 

そのような訓練、語学の訓練及び、電気通信の訓練を受けた後、Eli CohenはBuenos Airesに足を踏み入れたのである。 そして瞬く間にBuenos AiresのArab社会でbusinessmanとして頭角を現し、Buenos AiresのArab社会の最も成功したbusinessmanとなっていったのである。 そのお陰でEli Cohenは、Buenos AiresのSyria系Arab人の中でも名前が知れ渡るようになった。

 

そしてEli CohenはBuenos AiresのArab community、特にSyria Arab communityに多額の寄付をしだしたのである。言うまでもなくその資金は、Mossadから提供されていたことは知る術もない。

 

Buenos Aires から Syria に移住したEli Cohen、 Syria 名、Kamal Amin Tabet はSyria の中で非常に資産家で、そして病院や公共設備の建築資金を寄付する篤志家としても知られるようになっていった。Kamal Amin Tabet ことEli Cohen が行う公共的な寄付行為はSyria 社会でも有名になり、その資金力を目当てにSyria の高官が群がってくるようになった。特に軍部の高官が資金目当てにKamal Amin Tabet の回りに集まるようになってきたのである。

 

Kamal Amin Tabet は隠し持ってきたRadio Transmitter を使って毎朝8時にIsrael に向けて暗号信号を送ったのである。

 

つまり、Spy 活動の成果の報告が毎朝8時にRadio Transmitter を通じてIsrael に向けて発信された。たまたま彼のRadio Transmitter を設定している自宅がSyria 軍の軍司令本部のすぐそばであったために、軍司令本部が発信する電気通信信号に紛れてしまい、探知されないという幸運にも預かったのである。

 

 

また彼は隠し持って来た超小型Camera でAccess できる限りのSyria の軍事施設の写真を撮り、それを彼が商品としてArgentine に送る輸出品の中に密かに撮影した写真のMicro Film を隠し入れて輸送したのである。Argentine ではやはりIsrael のMossad の職員がArgentine の商人としてこれを受け取り、密かにこれまたIsrael のMossad 本部に送り届けていたのである。

 

その頃Eli Cohen はSyria のBaath 党の幹部たちと接触する機会を得ることができたのはEli Cohen が提供する豊富な政治資金献金によるものであった。

 

そのBaath 党がSyria の政権を1963年3月に担うこととなったことを切っ掛けとして、Eli Cohen が提供する豊富な資金力をもってEli Cohen のBuenos Aires からの友人である軍部の幹部Hafez 将軍が防衛庁長官、国防大臣の要職に就いたのである。かくして、Israel のSpy Eli Cohen はついにSyria の軍事情報の全てをこのHafez 将軍から入手することができる立場にまで登りつめたのである。

 

そしてその後Hafez はさらに力をつけ、ついにSyria 革命評議会の議長、すなわちSyria 政権のTop に登り詰めたのである。Israel のSpy Kamal Amin Tabet の最も接近した相手Hafez がSyria の国家元首にまで登り詰めたのである。言葉を変えると、Israel のSpy、 Eli Cohen はSyria の内部情報の全てを入手できることとなったのである。

 

Syria は密かにJordan 川の水を運河を作ってIsrael 側に一滴も流さないでIsrael を干上がらせる計画を立てていた。そして現実にその運河工事を始めていたのである。Eli Cohen はその運河工事の詳細、工事設計書、そして場所の全ての情報を実はSaudi Arabia の実業家から入手していた。

 

Kamal Amin Tabet のSaudi Arabia の大親友である。その名こそSaudi Arabia の大実業家bin Laden であった。Kamal Amin Tabet はbin Laden の情報提供のお陰でIsrael の存亡に関わるSyria の運河計画の全てを入手、これをIsrael 軍に密かに通報していたのである。

 

1964年11月13日Syria とIsrael の間で戦火が始まった。Israel 空軍は他には目もくれずこの運河を徹底的に破壊する爆撃を行ったのである。bin Laden の提供した情報のお陰でIsrael はその生命線を絶たれることなく済んだのである。

 

そのbin Laden の息子が実は9.11 のOsama bin Laden であることは歴史の皮肉としか言いようがない。というよりも歴史の事実は小説以上に皮肉な運命の巡り合わせを提供していたのである。Israel を(そうとは知らず結果的には)救ったMohammad bin Laden の息子Osama bin Laden がIsrael の最大のally であるAmerica に9.11 攻撃を仕掛けたのは歴史の極めて皮肉な運命の巡り合わせとしか言いようがない。

 

Mohammed bin Laden 、Osama bin Laden の父親はSaudi Arabia の大実業家でSaudi 最大の建築会社のOwner であった。Syria 運河計画の工事を受注していたのだ。

 

しかし、Eli Cohen にもついに最後の時が来たのである。Syria 情報部の捜査官がついに不審な電波の存在に気づき、その電波発信の所在を突き止め、Eli Cohen を逮捕した。一応形ばかりの裁判は開かれたが、即刻死刑を宣告され、Damascus の公開死刑にかけられたのである。絞首刑であった。

 

Kamal Amin Tabet ことEli Cohen の働きとMohammed bin Laden の(重大な過失によるとはいえ)情報提供がなければIsrael は水不足に悩まされる不毛の国となっていた恐れがある。Israel を救ったのがOsama bin Laden の父親であったという歴史の皮肉ではある。

 

Saudi Arabia の二人のbin Laden 。 一人のbin Laden はIsrael を助け、一人のbin Laden は9.11攻撃を行った。

| - | 23:57 | comments(0) | trackbacks(0) |
出Egypt Mosesの試練

60万人のユダヤ人を引き連れて出Egypt のLeader であったMoses は40年後に約束の地Israel を眼下に見下ろす所まで来た段階で、神から「お前はこの約束の地に入ってはならない。ここで死ね。」と命じられた。

 

唯一Mosesに神が許したことは、頂きに登って約束の地Israel を見渡すことだけであった。

 

さてここで読者に対する質問だが、なぜ神はMoses にその苦労に報いるため、その"出Egypt" の功績に報いるために、あるいは当然の流れとしてあと一歩のところまで来ているMoses にIsrael の地に入ることを許さなかったのか? 読者投稿という形でこの質問に答えていただきたい。

| - | 00:40 | comments(1) | trackbacks(0) |
読者からの声

"石角様の御著書「converting to Judaism」の読書感想を石角様に転送して頂けましたら幸いです。

 

石角様へ

 

 御無沙汰しております。 御多忙でしょうから手短に。
 著書手元に届くのが意外にかかりましたが、早速拝読させていただきました。
信仰告白というジャンルは日本人の場合少なくて、いわんや英語でのものになりますと、内村鑑三しか思い当たらず―拡大解釈すれば新渡戸稲造の著書もそうかもしれませんー全く稀有な書物に邂逅し、そして書見した次第です。
 さて、深淵な内容を含んだ書物の読後感想を、誠に僭越かつ不敬ながら、一言,二言で私見を述べますと、
「rootless wanderer 」と「common denominator」の二語にこの書のエッセンスと著者執筆の動機があると思われます。
 いずれにしろ、時をおいて再読したくなるような良書に巡り合えた機会を、著者本人から享受された幸運に深謝しつつ、擱筆いたします。
では石角様、くれぐれもご自愛の程を。"

| - | 08:56 | comments(0) | trackbacks(0) |
読者からの声

石角先生

エンテベ空港事件は私もよく覚えていますが、殉死した司令官がネタニヤフ首相の兄とは知りませんでした。また、ネタニヤフ首相がBCG勤務経験があると言うのも初耳でした。

いずれにせよ、兄の殉死や自らの従軍経験がネタニヤフ首相の強硬姿勢に通じていることがよくわかりました。

そろそろ毎年のテクニオン大学へのpilgrimageの時期かと思います。現地の政情が再度総選挙に向かっているのはある意味では残念ですが、最新の状況を把握する絶好の機会とも思われます。

来年からはエルアルの直行便が飛ぶようですが、とりあえず道中ご自愛願います。(ハングリータイガーも霞ヶ関の思い出であり、退官後、昨年2回ほど行きました。)

○○

 


 

私は1972年にupstate Troy , NYにあるengineering school からCleveland に本社 があるtextile/Apparel の会社に就職することが出来 その会社では私の直接的な上司である方その人は私のもっとも
尊敬するmentor でしたが1976 の12月28日 Christmas の直後に彼の家に呼ばれて彼は3日後にIsrael に行きIsrael のために 戦って行くことになりました。
私には一大shock で 有りました。
日本で 1970 の安保の時に大学を 卒業し アメリカに留学して初めてのことでした。
身体中が震え日本人のあまりにも世界的な 感覚のなさに私は日本での 22年間の学生時代が恥ずかしくそしてこの一夜を過ごし朝まで彼の出発の用意を手伝ってあげたことが 大変嬉しくまた悲しくしかしながら 一夜にて 子供から大人になった様な気がします。
私は其の後ずうっと 繊維の仕事で一生 を過ごしてきました。
そのため私の知人そして親友全て Jewish です。
After 49 years I am surrounded With Jewish people. 
何故か 日本人の 友達は 子供のころからの友達だけです。
However I am a catholic and never Missed Sunday church mass . 
仏教 、ユダヤ教 そして Christianどの宗教を信じているかは大同小異と思います。
私は catholic で育てくれた父と母は仏教特に父は大変 頭の良いopen mindの人で私がItalian/ Irishの女性と結婚したいと報告したところ直ぐに父よりこんな手紙をもらいました。
「 ○○ くん、それはおめでとう人間が 血を 混ぜることが人類のBest であります。」
日本人が日本 だけで 生きてゆくことをしようとするから太平洋戦争がおきたのです。
父は化学者で戦争中は海軍のrocket 開発を 手がけていました。
研究所の大部分の方たちは皆東大/京大 のひとたちでアメリカで勉強してこられた方たちが多く 早く戦争が終わるのを待ち望んでいたそうです。

| - | 01:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
「読者からの声」

石角完爾様

Benjamin Netanyahu首相の経歴を巡る貴重な情報を頂き,ありがとうございました。
わが国では,Israelを巡る情報がごく偏ったものとなっており,Netanyahu首相についても強硬な反イスラムの側面しか報じられていないことを,改めて認識させられました。
小職は,幼少期からキリスト教徒として育ったこともあり,Israelはわが国にとって近い存在であると頭に刷り込まれていましたが,暫く前,同期の○○○○から,彼が○○○○センター理事長を務めていた頃,Israelとのビジネスを同センターの事業に組み込むには「リスク」をとらねばならなかったと聞いて,わが国ではビジネスの多くがアラビア語圏やペルシア語圏を相手とするものであり,わが国の中東専門家の多くがアラビア語専門家かペルシア語専門家であることを認識させられたばかりでした。
Israelを巡る貴重な情報を頂いたことに,改めて感謝致します。

| - | 00:04 | comments(0) | trackbacks(0) |
二人のNetanyahu

私と同じ、ほぼ同じ同世代の人間なのにそんな危険な任務に従事している者がいるとは知らなかった。

 

 

1976年の6月末、国会待機(国会答弁を作るための残業)を命じられて当時の通産省、今の経産省の局長室で、Hungry tigerというItalianの出前の夕食を取っている時に目に入ってきたのがTel Aviv初Paris行きのAir France便が乗っ取られたというnewsだった。

 

 

ほぼ100人近い乗客の全員がユダヤ人。そしてterroristの要求に屈したAir France機はIdi Amin将軍の率いる独裁国家UgandaのEntebbe飛行場に着陸させられたのである。

 

 

ところが1週間後の1976年7月4日、Israelの特殊部隊が夜陰に乗じてひそかに空から侵入し、銃撃戦の末ほぼ全員の乗客の解放に成功したというnewsがまた飛び込んできた。

 

 

ほぼ全員、というのは100人近い乗客乗務員のうち4人がIsrael特殊部隊との銃撃戦で不幸にも死亡。そして特殊部隊の隊長であったIsraelのYonatan Netanyahuもterroristの銃弾を受けてその時死亡している。

 

 

当時経産省の官僚であった石角完爾は、全く自分と同世代の若きIsraelの司令官がその作戦で死亡したということは不注意にもMediaの報道から耳に入ってこなかった。

 

 

しかしこのYonatan Netanyahuこそ、Israelから数千Km 離れたEntebbe空港にIsrael軍機でUgandaのradar網に察知されることなく侵入して、Air France機のhijack犯を射殺してほぼ全員の人質を解放したIsrael軍特殊部隊の若き司令官であったのである。

 

 

その時銃弾に倒れた若き司令官の名前はYonatan  Netanyahu。Yonatan NetanyahuはCornell大学のProfessorであったNetanyahu博士の3人兄弟の長男として生まれている。

 

 

わずか30歳で命を失ったYonatan NetanyahuはNY市で生まれ、高校生活はPennsylvaniaで過ごしている。

そしてHarvard大学に合格し学年首席であったものの、IsraelのHebrew大学に転入学しIsrael軍に志願。Israelの対terrorist特殊部隊に入隊している。

 

その後、1973年のYom Kippur戦争やGolan高原での対Syria戦争を経て、このEntebbe空港hijack機救出作戦の隊長となり、terroristとの銃撃線でEntebbe空港で命を落としている。享年30歳であった。

 

 

実はこのYonatan Netanyahuこそ、今のIsraelの首相Benjamin Netanyahuの長兄なのである。

 

 

Benjamin Netanyahu、今のIsrael首相は兄のYonatan NetanyahuがHarvardに入ったことから刺激を受けMITに入学し、MITの学士及び修士を取った後、Boston Consulting groupのconsultantとして活躍し、その時にAmericaの後の政治家大統領候補となるMitt Romneyと有効関係を結んでいる。

 

 

Benjamin Netanyahuもその後、Israel軍に入隊。Yom Kippur 戦争、Suez 運河戦争に参加.

 

MITの学生時代にIsraelに戻ってIsrael軍に従軍し、またBostonのMITに戻り、更にMITに学籍を置きながらYom Kippur戦争に従軍。その後またBostonに戻ってMITを卒業。そしてMITの修士を終了。博士課程に進学したもののYonatan Netanyah、兄の死で博士課程を中退している。

 

 

兄の死で衝撃を受けたBenjamin Netanyahuは、その後Boston Consulting groupを辞めIsrael に戻り、兄の名前を取った対Terrorist 研究所を設立したのである。これがBenjamin Netanyahuが政治の世界に入る切っ掛けとなったのである。

 

 

UgandaのEntebbe空港の100人に及ぶIsrael人のAir France機からの救出作戦で命を落とした兄、Yonatan Netanyahuに導かれて今のIsrael 首相、Benjamin Netanyahuが存在しているといっても過言ではない。

 

 

Benjamin Netanyahも戦争、戦闘に従軍中に肩に銃撃を受け、負傷している。

もう10cm弾がそれていたら首を貫通していて死亡しているところだった、と言われている。

 

 

1972年5月8日、Belgium国営国空の旅客機がViennaを飛び立ち、Israel Ben Gurion飛行場へ向かっていたところ、Palestineのterrorist groupにhijackされ、IsraelのBen Gurion飛行場に緊急着陸した。多くの乗客はユダヤ人であり、Palestine terroristはこの時、Israelの刑務所に入っていたPalestineのterrorist達315名の解放を要求したのである。この時の救出作戦の指揮を執ったのが、救出作戦のcommand部隊に編入されたのがBenjamin Netanyahで、この時Netanyahも肩に銃弾を受けているのである。     



 

さてこの時計は、Israel 首相、Benjamin Netanyahが、恐らくPutinと会って秘密裏に交渉した結果、Syriaに進駐したRussia軍がSyriaから入手した、 SyriaのDamascusで絞首刑にあって命を落としたEli Cohenのはめていた時計である。

 

  

いずれ、稿を改めてEli Cohenについて語りたいと思っている。 

Eli Cohen はIsrael最大の英雄の一人。SyriaのDamascusで絞首刑に合う数分前に爪をはがされた手でIsraelに残された妻に宛てて書いたた手紙は、“私の死を悲しまないで未来を見つめて再婚してほしい”と切々を訴えるものであり、まさに未来を見つめるユダヤ人の真髄を遺書にしたためたものと言えよう。

| - | 00:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
京都祇園祭とユダヤ人のHebrew聖書

どうして京都祇園祭にユダヤ教徒が登場しているのか、日本の七不思議の一つと言って良い。


実は京都祇園祭に出て来る鉾の中で函谷鉾(かんこぼこ)、というのがある。
 
函谷鉾は先頭の長刀鉾の次に登場する鉾であるが、函谷鉾は、実は石角完爾の京都の住まいの函谷鉾町が保存する鉾である。函谷鉾町の人間だから石角完爾がユダヤ教に改宗したわけではないが......
 
函谷鉾の前懸は、Hebrew聖書の創世記の場面を描いた絨毯である。なぜここにHebrew聖書の物語が出て来るのか、どうして京都祇園祭にユダヤ人のHebrew聖書の物語の図柄が描かれているのか、これは一つの謎である。 


単なる模様ではない。明らかに創世記の一節を書いている。「Isaacに水を供するRebekah」のtapestry(毛綴織)である。

原品は、十六世紀末Belgium製、旧約聖書創世紀第二十四章の説話の ユダヤ教徒Abrahamの子ユダヤ教徒「Isaacの嫁選びの図」をどうして京都函谷鉾町がユダヤの図を1500年代にBelgiumに注文したのか、謎である。


 図柄は娘RebekahからAbraham家の老僕Elazarが所望の水を受けるところ、右上には騎馬に乗ったIsaacの姿が見える、そして下半分には物語の続き、Rebekahに婚約の腕輪を贈っているところ。
 
ここにその写真を付けておくので読者なりの考え方をこのblogに対するcommentとして提出してもらいたい。

 

 

http://www.kankoboko.jp/viewpoint/bunkazai.html

 

| 12.Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi  石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
才能豊かなユダヤ人が特に音楽に才能を発揮する者が多いのは何故だろうか?

質問:ユダヤ人は色々なところで才能を発揮していますが、特に音楽に才能を発揮する者が多いのは何故だろうか?

 

答え: 

ユダヤ人と音楽は切っても切り離せないほどの関係である。

 

何故なら、ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されているから、絵画や彫刻はユダヤ人が避けるところであったからである。二次元、三次元でものを描くと、どうしても偶像を描いたのではないかと思われてしまう。

 

ユダヤ人の音楽はSynagogue の外で奏でられる音楽とSynagogue の中で歌われるChanter による祈り朗読とに分けられる。

 

Synagogue の外で歌われるあるいは奏でられる音楽はSephardi 達の音楽Sepharadeと,  Ashkenazi達の音楽Klezmer とがある。

 

Spain 系北Africa 系のユダヤ人達をSephardi と言うが、そのSephardi 達がSynagogue の外で奏でる音楽がどちらかと言うとArab 色の強い旋律、音階などで構成されている。

 

一方のAshkenazi 達のSynagogue の外で奏でられる音楽、Klezmer 音楽はRussia、Poland、Lithuania、Romania、 Ukraineといった地域のユダヤ人達の間の音楽であり、弦楽器のViolin が伴奏として使われることが多い。

 

一方Sephardi の音楽はやはり弦楽器を使うがViolin ではなく5弦、4弦の楽器である。5弦の楽器はZither 、4弦の楽器はOud と呼ばれる。

 

一方Synagogue の中ではユダヤ教の戒律によって楽器を使うことが厳禁されているので(但し、Reform 派では必ずしもそうではない)、祈祷を一人のChanter または合唱隊が 独特の節回しで歌う、祈祷歌が各Synagogue 毎に生まれていったのである。

 

Synagogue で行われた祈りの朗詠がChristian に影響を与え、Gregorian 聖歌となってきた話は有名である。

 

ユダヤ人の音楽家を語る時には、まずはユダヤ人のOpera 作曲に欠かせない台本作家について語る必要がある。

 

その名はLorenzo Da Ponte である。

 

何を隠そう、Lorenzo Da Ponte こそ世界的に有名なMozart の「Figaro の結婚」、「Don Giovanni 」の台本作家なのである。Mozart は単に曲を作っただけにしか過ぎない。Opera は曲の付いた劇であるから物語の台本と台詞がある。その台詞、物語、Story の全てを書いたのが、このユダヤ人Lorenzo Da Ponte である。

 

このLorenzo Da Ponte はMozart と同じ時期の1749年のItaly のCeneda というユダヤ人居住区Ghetto の中で生まれた。そして育つにつれ、文才を発揮するようになった。

 

当時の小説家、詩人、台本作家を目指す者はいずれも国家挙げての音楽振興政策を取っていたAustria の皇帝Joseph 二世にいかにして近づくかということが重要であった。

 

そこでLorenzo Da Ponte はItaly のVenice でその人脈を発見するのである。Venice で知り合った知人の紹介状を携えてAustria 皇帝Joseph 二世に会うことが出来たのである。

 

当時も今も変わらないKnow who、誰を知っているか、誰を知っている人を知っているかということが運命の扉を切り開く鍵であることには変わりがなかった。

 

かくしてLorenzo Da Ponte は当時のAustria 皇帝Joseph 二世のお抱え台本作家となることが出来た。このことが当時Vienna で急速に頭角を現していたMozart と知り合うきっかけとなったのである。


 

Lorenzo Da Ponte  は迫害されたユダヤ人として「Figaro の結婚」に社会変革の種を潜ませることとした。

 

Lorenzo Da Ponte の書いた「Figaro の結婚」の台本Scenario は支配階級である貴族の浅はかさや馬鹿さ加減を被支配階級であるそれら貴族の使用人が嘲笑するというScenario で満ち満ちていた。

 

従って、これを皇帝Joseph 二世が公演許可を出すにはひと工夫もふた工夫もいることになる。何故なら、このOpera は公演が許可されると貴族支配の中世の社会秩序を揺るがすことになるかも知れないのであった。

 

そこでLorenzo Da Ponte はMozart に頼んでこの上なく美しい曲を付けてもらうようにしたのである。その旋律たるや今までにない美しい調べであった。これで皇帝Joseph 二世を説得できると踏んだLorenzo Da Ponte はMozart から曲の美しさを強調して皇帝Joseph 二世の許可を得るようにとMozart に仕向けたのである。Lorenzo Da Ponte は他のユダヤ人と同じで、行動に移す前に考えに考え抜くのであった。

 

果たして、皇帝Joseph 二世はLorenzo Da Ponte の台本が大きな社会変革のうねりを生むとは知らず、上演許可を与えたのである。

 

その美しい音楽の調べはHabsburg 家のVienna からFrance 王家に嫁いでいたMarie-Antoinette の心を捉え、どういう訳かFrance 国内での上演も許可されたのである。

 

被支配階級が支配階級の愚かさを笑い飛ばすLorenzo Da Ponte の「Figaro の結婚」は大いにFrance人民の勇気付けを行ない、France 国王のGuillotine に発展した1789年のFrance 革命へと繋がっていったのである。

 

まさに被支配階級のさらに下に位置したユダヤ人の撒いた「Figaro の結婚」というOpera の台本の中に込められたユダヤ人の想いが社会を大きく動かした一つの成功例と言えよう。

 

次にLorenzo Da Ponte を台本作家として最高の位置まで引き上げたのが色男を描いた「Don Giovanni 」である。

 

「Figaro の結婚」の台本作家として一躍注目を集めるようになったLorenzo Da Ponte が Mozart に仕掛けて次に手掛けたOpera が「Don Giovanni 」である。

 

当然Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni 」も貴族支配の世の中を批判する種を埋め込もうとし、今度は性の快楽文化、自分の性欲の為すまま次から次へと女を口説いていく色男の物語を台本にしたのである。「Don Giovanni 」Spain 語ではDon Juan (ドン・ファン)である。

 

ところが現実に人間、特に男の持つ性欲がこのような形で取り上げられるOpera は民衆の心の中に潜んでいたChristian 文化に対する抑圧への抵抗という形になって、この「Don Giovanni 」も大ヒットをするのである。

 

つまりユダヤ人劇作家 Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni」を通じ当時のChristian 文化、特にChristian が教える男女間の倫理に対する強烈な一矢を放ったのである。

 

そしてLorenzo Da Ponte の意図せぬ最終作となったのがMozart とのCombination で描いた「Cosi fan tutte 」である。このLorenzo Da Ponte の描いた「Cosi fan tutte 」のStory も、どんな貴婦人も浮気をするものだというTheme であり、当時のChristian 文化人達の感情を意図的に逆なでするものであった。

 

Mozart と同世代のBeethoven もWagner も、このLorenzo Da Ponte の描く台本のChristian 文化に対する退廃的挑戦はどうにも我慢がならず、「最悪の台本だ、Mozart もLorenzo Da Ponte との手を切るべきだ」などと言い出す始末であった。

 

かくしてLorenzo Da Ponte はMozart という天才作曲家と組むことにより一躍Christian の倫理観、貴族支配の中世に対する劇作家としての挑戦の目的を達したのである。

 

しかし、あらゆる試みはその終末の時を迎える。Mozart が若くしてこの世を去ってしまったのである。

 

Mozart の死に直面し、Lorenzo Da Ponte もMozart 以外とはCombination を組まないと覚悟をしていたので、さっさとVienna を去り、London を経てNew York に渡り、渡ったNew York ではColumbia 大学で劇作家、Scenario Writer としての講座を持ち、生徒達に教える後半の人生を歩んだのである。

 

このようにLorenzo Da Ponte が活躍したのは皇帝Joseph 二世、Mozart の全盛期のわずか1780年代から1790年代の10年間ほどであるが、Lorenzo Da Ponte が世に放ったOpera は「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」、「Cosi fan tutte 」という世界最高のOpera であったのである。

 

Mozart が曲を付けたことによってMozart のOpera と言われるが、実はユダヤ人劇作家、台本作家、Scenario Writer のLorenzo Da Ponte のOpera であり、Lorenzo Da Pointe が当時の世に放ったChristian 文化、貴族支配への一大挑戦の3大Opeara であったのである。

 

当時これといったMedia や無論Twitter などもない世の中に於いて、社会を動かす最も影響力のあるMedia はOpera であったことを考えると、Lorenzo Da Ponte のユダヤ人としての社会変革の決意が沸々と蘇ってくると言える「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」そして「Cosi fan tutte 」であると言わざるを得ない。

 

かくしてLorenzo Da Ponte の名前は永遠の不出のユダヤ人劇作家として明記されなくてはならないと言えるのである。

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Hebrew Bible Exodus 第22章第24節

「ユダヤ人は同胞に金を貸す時は、特に貧困な者に金を貸す時には金利を取ってはいけない。担保や私物を取る時には生活必需品は債務者が必要だと言った時には返却しなければいけない。」と書かれている。

 

さてここで読者の方々に質問だが、このHebrew Bible の一節はユダヤ人でも金持ちに金を貸す時には金利を取って良いのか、あるいは異教徒に金を貸す時には金利を取って良いのか、という疑問が生じて来るが、皆さんはどう思われますか? 

 

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出エジプト記第21章

Exodus 第21章、22節に次のように書かれている。

男二人がけんかをしていて、誤って近くの妊娠している女性に当たった場合に、その妊娠している女性が、その影響で流産した場合には裁判官の定める金額を賠償しなくてはならない。しかし、その女性にそれ以外の被害が生じた場合は、その償いは、life for life、eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, であるべきだ。

foot for foot,burn for burn, wound for wound, bruise for bruise であるべきだ、と書かれている。

 

 さてそこで皆さんに質問だが、この命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、やけどにはやけどを、傷には傷を、あざにはあざを、という意味はどういう意味か?

この石角完爾のブログに返信する形で自分の考えを述べていただければ幸いです。

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