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Kanji Isaac Ishizumi
 
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    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
読者の声

こんばんは

原稿ありがとうございます。グローバル世界で活躍する完爾さんの貴重な考えに触れることができました。
感想ですが、日本も移民社会となれば日本の日常生活の中で異文化人に自分の意見を主張しなければ
ならなくなりますが、今年の流行語の中に「忖度」が入っていて如何にも日本という感じがしています。
完爾さんの指摘されている通り、私も最近考えていないと気づかされました。

完爾さんの益々のご活躍を祈念しています。

                            ○○○○

| - | 02:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
(Internet Radio 出演のお知らせ) 「Innovation は家庭教育に秘密があった。Innovation を生むユダヤ式WHY 勉強法」

Internet Radio出演のお知らせ

「Innovation は家庭教育に秘密があった。Innovation を生むユダヤ式WHY 勉強法」というタイトルでInternet Radio出演を致しました。是非お聞きください。

日本の教育とユダヤ人家庭の教育との違いに焦点を当てた約1時間のInterview対談です。

企業のInnovation担当の方にも参考になると思います。また、ご家庭でCritical Thinkingの出来る子供として教育したいと考えておられるお父さん方、お母さん方にも参考になると思います。
 

http://kanjiishizumi.com/dreamingclass20171020.mp3

| - | 02:36 | comments(1) | trackbacks(0) |
イスラエルイノベーションの根源

この度大和書房より​、なぜユダヤ人はイノベーティブか、ということをその宗教に理由があるという観点から​日本では初めて世界のイノベーションをリードしたユダヤ人の宗教面を解説する本を出版​いたします​。​amazonですでに予約を受け付けています。http://tinyurl.com/ybm9v39q​  全国の書店には9月23日から順次、配本されます。​
 
いま日本企業は、日本以外で起こるビッグバンのような大きなイノベーションのうねりの前に右往左往してイノベーション王国イスラエルに次から次へと見学ミッションを派遣しています。
しかしこれらの日本企業による見学ミッションはイスラエルの大学や研究所を短時間でさっと訪問するだけであり、いわば何をWhat、どのようにしてHow、イスラエルがイノベーションを起こしているか現象面だけを勉強しに来ようとしています。
しかしユダヤ人の本当のイノベーションの根源Whyはその宗教にあり、それを理解しないことには世界で起こるイノベーションの大きなうねりに日本企業はますます遅れを取っていくでしょう。
本書は日本企業の研究者がまずは手にして読むべき啓発の書だと自負しています。

| - | 01:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
喧嘩があって裁判になれば正しい方が勝ち、間違った方が負ける。

喧嘩があって裁判になれば正しい方が勝ち、間違った方が負ける。

今週のParashatはDeuteronomyの第21章から25章。Ki Teitzeiである。

Deuteronomyの第25章に次のように書かれている。

二人の人間の間で揉め事があり裁判になった場合には、正しい方が勝ち、相手方は負ける。

さて読者に対する質問だが、何故わざわざDeuteronomyの第25章にこのような当たり前のこと、分かり切ったこと、自明の理のことを書いているのか? 

これが読者に対する質問である。どしどし私のBlogに投稿して答えを読者なりに考えて言っていただきたい。
 

| - | 21:02 | comments(2) | trackbacks(0) |
Globalizationと宗教について

日本人の多くはGlobalizationと宗教が矛盾すると思っているかも知れない。しかしそれは大いなる誤謬である。
 
宗教色がなく、標準化され、無色透明であり、どこにでも当てはまるものがGlobal Standardだと思っていればそれは日本人の間違った思い込みというよりも、日本人がむしろ騙されているからだと私は思う。
 
どこにでも通用するようにModule 化され、共通化され、単純化され、規格化されたものがGlobal Standard、Globalizationだと日本人は思い込まされているのではないだろうか。実は最もLocalで、最も偏狭で、最も部族的で、最も宗教的で、そして最もAnti-Globalなものが世界に広まるということに日本人は気付いていない。
 
世界の3大宗教、ユダヤ教、Muslimイスラム教、そしてキリスト教は徹底的にAnti-Globalな宗教である。これに対して日本の宗教と言える仏教は異宗教、異人種に対し寛容で柔軟であるから、最もGlobal な宗教である。
 
しかし、ユダヤ教も、イスラム教も、キリスト教も仏教に比べると圧倒的に世界中に広まっている。ユダヤ教は、徹底的にユダヤ的で一切の異物を受け付けないのに、そのヘブライ聖書がほぼ全世界の人々に読まれているGlobal宗教である。
 
Module 化され、単純化され、共通化され、標準化され、違うものに対し寛容なものは実はGlobalizeしないのである。それは何故であろうか。魅力がないからである。
 
ならば仏教が何故世界中に広まらなかったのか。それはキリスト教と対比して異端を排除する強烈な自己主張の存否という違いがあるからである。仏教には異端を排除する強烈な自己主張の存在があまり見られない。仏教は全てに関して寛容で心が広い。
 
これに対してユダヤ教、イスラム教、キリスト教は強烈な自己主張と異端排除をその原点としている。その共通するところは偶像崇拝の禁止である。
 
一方仏教は偶像崇拝宗教である。仏像を信仰する。これに対してMuslim、ユダヤ、そしてChristianity、特にProtestantは偶像崇拝を禁止する。偶像を崇拝しないということはこれら一神教の共通の最大の原理であるが、それ故に神の存在が徹底的に抽象化される。それが一神教である。
 
これに対して仏教は偶像崇拝教であり、具象である仏像を崇拝する者は人種、肌の色、考え方、生き様、住んでいる所を問わず救われるとする為にGlobal化しない。
 
矛盾した言い方であるが、抽象的で排他的なものほどGlobal化し、具象化、具体的、すなわち偶像崇拝的、寛容的、柔軟なものはGlobal化しないのである。
 
抽象のものこそGlobal化し、具象のものはGlobal化しない。これは絶対の原理である。
 
いかに抽象のものに徹底できるか。それは「How」と「Why」と「What」の重点の置き方の違いである。
 
偶像崇拝者すなわち日本人などは偶像すなわち具体的なものに目が捕らわれるために、「What」、「How」、「Why」の中でどうしても「What」に重点が移って来る。せいぜい行ったところで「How」である。何をどう作るか、何をどう売るかというところに留まってしまう。
 
これに対して一神教すなわち偶像崇拝を徹底的に排除する宗教を信仰する者達は、その抽象性を追求するあまり何故神が存在するのか、神とは何故かという「Why」を常に思考の原点に置く。この違いがGlobal化の違いとなってくる。

日本人は宗教心がないとか部族性がないということはない。
 
上に述べた通り日本には仏教が根付いている。そして日本列島に住む単一民族という部族性もある。ただ日本発のGlobalizationというものが世界的に見てほとんどないのは何故であろうか。
 
例えば日本発のガラケーはガラパゴス化して日本から外に出ていない。これに対してiPhoneは完全にGlobalizationを成し遂げている。
 
実はSteve Jobsの持っていた“強烈な自己主張”が日本のガラケーにはなくiPhoneにはある。これがGlobalizationの秘密である。強烈な自己主張、つまり強烈な宗教的信仰心、強烈な宗教へのこだわり、これがiPhone Global化の根源、源泉になっているのだ。
 
つまり、何故iPhoneでなければならないのか、何故iPhoneは世界中の人に受け入れられるのか、何故世界中の人に受け入れられる為にはどうあるべきか、という「Why」の徹底的な議論からiPhoneは生まれている。
 
これに対して日本のガラケーは便利な機能を持たせる為にはどんな部品をどのように組み込めば良いのかという「What」、「How」の議論から設計されている。この違いである。
 
ユダヤ教やMuslim、Christianityは偶像崇拝を徹底的に禁止する(Catholicはそうでもないが)為に神の存在というものが徹底的に目に見えないもの、抽象的なものになってくる。
 
これに対して日本の仏教は偶像崇拝を中心にする為に神の存在が仏像、彫像、偶像、仏様のお姿という具体的なものになってくる。従って人々の信仰心は偶像、仏像の眼の形、手の様子、唇の開き方、などという具体的な目の前のもの
​、つまり「What」に向けられる。

これに対してユダヤ教、Muslim、キリスト教は抽象的な神の存在を頭の中でこねくり回して考えなければいけない。


この一神教と仏教という偶像崇拝教の違いが実はガラケーとiPhoneの違いなのだ。
iPhoneを生んだユダヤキリスト文化は全て「Why」から始まる。何故イエス・キリストはこの地に降りられたのか、何故イエス・キリストは十字架に磔にされたのか、何故ユダヤの神はこの宇宙を創造されたのか、何故ユダヤの神はバベルの塔を壊されたのか、云々かんぬんと「Why」の議論が中心になる。
従ってiPhoneを設計するに際しても当然、何故人々は通信をしたがるのか、何故人々はConnectedであることを望むのか、何故人々は便利さを求めるのか、何故人々はグラハム・ベル(Graham Bell)が発明した電話を各家庭に引いているのか、という「Why」の議論から始まる。

 
これに対して日本の企業は、便利な機能は何か、と「What」の議論から始まる。
 
実は「What」の議論をする偶像崇拝民族のApproachはGlobal化しないのである。「Why」の議論から始まるユダヤ教、キリスト教、MuslimのApproachはGlobal化するのである。
 
一言で言えば、抽象的なものはGlobal化し、具体的具象的なものはGlobal化しないのである。
 
最近日本ではIsrael のInnovation Boomで、次から次へとIsraelに産業界、経済界、政界、学会がMissionを送り出してきている。Israel現地の日本の大使館の職員はこの対応に追われててんてこ舞いである。
 
しかし彼等は全員1週間から2週間のIsraelの滞在でIsraelのInnovationの秘密を探ろうとしているが、全てIsraelの「What」、Israelの「How」を探し求める為に来ているようだ。IsraelのどこがInnovativeで、IsraelがどのようにInnovation大国になったのか、「What」と「How」ばかりを探そうとしている。
 
元々日本の経済人や日本の実業家の頭の中にはこの「What」と「How」が強く刷りこまれている為に、どうしてもInnovationと言えば「What」と「How」だけに目が行ってしまう。
 
IsraelのMobileyeはどんな技術を持っているのか、「What」。IsraelのMobileyeの研究はどのように成し遂げられたのか、「How」というものを一生懸命探ろうとするのが日本人の経済人、実業家、そして政治家の見学ラッシュである。
別に我々は隠している訳ではないが、「What」と「How」にはユダヤ人が何故Innovativeか、何故世界の科学技術を数千年にわたってLeadして来ているのか、の秘密は隠されてはいない。
 
ユダヤ人がInnovativeであり、Israel が建国僅か80年の間に世界のInnovationをLeadするようになったのか、それは元々Innovativeなユダヤ人がIsrael に集まって来たからに過ぎない。そして元々Innovativeなユダヤ人は何故Innovativeかのという秘密を日本の経済人は探ろうともしないし分かろうともしていない。
 
彼らの頭の中には「What」と「How」が詰まっており、それ以上に頭が働かないからだ。Innovationの技術は何か、そのInnovationはどうして生まれたのか、の「What」と「How」だけを探る為にせっせせっせとIsrael にMissionを繰り出しているが、その姿は愚かですらある。
 
その日本人に徹底的に欠けているものは「Why」の思考である。「Why」の思考こそ偶像崇拝を禁止する一神教の根幹なのだ。
 
一神教であるユダヤ教が何故偶像崇拝を禁止するのか。強烈な宗教原則だからだ。それは「What」と「How」に捕らわれてはいけないという強烈な宗教原則だからだ。
 
偶像崇拝を禁止する一神教、Muslimもそうだし、キリスト教もそうだし、その中心になるユダヤ教は「What」と「How」に捕らわれない人間を創る為に神がつかわされた一神教だからだ。
 
神はこう思われた。「What」と「How」に捕らわれる人間が生まれると物欲、競争心、羨む心、比較心が生まれ、神が何故この宇宙を創造されたのかという根源的な問題に目が行かなくなってしまう。そのような人間ばかりが生まれればこの世は欲に満ち、人の物を奪おうとし、争い事に満ち満ちる人々に満たされる。それを神は恐れられて偶像崇拝を禁止し、「What」と「How」とだけを頭の中に人間が詰め込まないようにされたのだ。
 
日本の自動車業界は自動運転技術の開発に躍起になっているが、それはGoogleが自動運転をその企業目的に取り上げてから既に10数年の時間が経過している。そしてそれがどうもGlobal Standardになりつつあるということで慌てて後を追いかけているにしか過ぎない。結局「What」と「How」を頭の中に詰め込んでいる日本の企業人は人の物を羨むという心から来ることに振り回されることになる。
 
ユダヤ人であるGoogleの創業者の二人がCaliforniaの上空を飛行機で飛んでいる時に眼下に見える高速道路にぎっしりと詰まっている渋滞の車列を見て、何故人々は車の中にかくも閉じ込められている時間が長いのか、何故人々は車を運転するのか、何故交通事故はなくならないのか、何故人が車を運転しなくてはならないのか、何故道路があるのか、何故交通法規があるのか、という「何故」に思いを巡らせたうえで至った結論が、「人が車を運転するべきではない。人工知能が車を運転すれば人は車の中に閉じ込められることもなく、人が運転するよりも事故が圧倒的に少なくゼロに近くなり、そしてより環境に優しい電気自動車が最も自動運転に適している」という結論に達し、Googleが自動運転の研究を始めたのが世界で最初である。これも「何故」の思考から生まれている。
 
日本の企業人にはこの「何故」の思考から生まれるものが石角完爾の目にはほとんどないように思われる。
 
この「何故」の思考こそ偶像崇拝を禁止する一神教の根源なのだ。そして、この「何故」の思考こそ国境という垣根を越え、大陸という地理的制限を越え、最もGlobalに広まり受け入れられるものなのである。
 
「何故」の思考の起源は偶像崇拝を禁止する一神教にある。そして、この「何故」の思考こそ最もGlobal化するものなのである。
 
そして人間が「何故」を考えるように神が人々を創られ、天地を創造されたと考える一神教、すなわち偶像崇拝禁止の宗教が根幹にあってGlobalizationがうねりのような力を持って現代社会を導いていることに、日本の企業人、企業家、銀行家、実業家は気付いておらず、偶像崇拝者の目で「What」と「How」ばかりを追い求めている姿は滑稽ですらある。

| - | 00:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
Tisha B'Av

Tisha B'Av というのはJewish暦Avの月の第9日目を言う。(基本的には大体今頃、すなわち7月下旬を指すが、西洋暦とJewish暦は全く異なるので確定的に7月下旬と言える訳ではない。)

この日はユダヤ人にとって極めて悲しむべき日とされている。一つは神殿が二度にわたって破壊された。一度目の破壊は紀元前BC 423年にBabyloniaによって破壊され、二度目の破壊は紀元後AD69年にRome軍によって破壊された。偶然ではなくいずれもAvの月第9日目であった。そしてユダヤ人が世界各地に散らばって行かされたその日なのである。

このTisha B'AvはAvの月の8日目の日没から始まり翌日の日没まで続く。

このTisha B'Avでは食べること、飲むこと、絶飲絶食、顔を洗うこと、手を洗うこと、LotionやCreamを使うこと、革の靴を履くこと、Sexをすること、Torahの勉強をすること(但し、神殿破壊の箇所は勉強しても良い)を禁止されている。

またこの間は「Good morning」とか「Good afternoon」という言葉を言ってもいけない。Tisha B'Avの朝はTallitもTeffilinも着けてはいけない。

| - | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
Deuteronomy

Deuteronomy とそれ以外のMoses五書とはどう違うか。

DeuteronomyはMosesの言葉を集めたものである。この点においてMoses五書の中で際立った特色を有する。それ以外の4つの書物はMoses の言葉だけを集めたものではない。

そしてDeuteronomyはMosesの独自の考え、Thinking process思考方法も散りばめて書かれている。いわばMosesがユダヤ人に与えた道徳的生活の知恵とも言えるものの集大成である。

40年の出Egypt後の砂漠の放浪を経ていよいよ約束の土地Israel に入る直前、Jordan川を見下ろす高台においてMosesはユダヤ人達にDeuteronomyを語ったのである。

それまでの40年間は確かに苦労の連続であったが、逆に神はユダヤ人達にMannaと言われる食べ物を与え、Miriamの井戸から水を与え、また衣服も与えたのであった。

しかしIsraelの土地に入った以上はそれら神の庇護はなくなり自らの労働で生計を立て食物を獲得しなければならない。

この大きな変化に際してMosesがIsrael の民達にDeuteronomyというMoses五書の最後の書物を語って聞かせたのである。
 

| - | 22:16 | comments(0) | trackbacks(0) |
MuslimのAlhambra宮殿のDesignを取り入れたItalyのSynagogue

ItalyのFlorenceのSynagogueを紹介しよう。

 

ItalyのFlorenceにあるSynagogueはその外観も内装も見ていただければ分かるようにAlhambra宮殿のMoor 朝の建築様式をそのまま取り入れている。世界にも珍しいMuslimの建築様式をユダヤ教のSynagogueが取り入れたものである。

 

屋根は銅葺きであり、現在はその銅の色が緑色になっている。その屋根の下は全くAlhambra宮殿の建築様式そのものを取り入れている。いわゆるMoorish Styleという建築様式である。

 

これは1868年にIsraelのHebrew 大学の学長David Levi が多額の寄付をして創られたものである。工期は約5年、1874年に完成した。中に入ってみると外の色とは全く違い赤を基調としている。
 

| - | 07:54 | comments(0) | trackbacks(0) |
Jews in Spain Granada in Middle Ages

Spain Granada はJosé Carrerasの歌で有名だが、そのGranadaはSpainの最も肥沃な農業地帯であるSierra Nevada山脈から流れ出て来る雪解け水で満たされた肥沃な農業地帯に広がるAndalusia地方に位置している。
 
ここが実は中世のSpainにおけるユダヤ人の有名な居住地域であったのだ。
 
紀元前586年Nebuchadnezzar大王により拉致されたユダヤ人達が戻って来たのが一部Granadaに住み着いた。
 
その時のGranadaの支配者であったのがMuslim のMoor人であり、Moor人達はユダヤ人達を虐待したりせず、むしろGranadaをユダヤ人の街として保護したのである。
 
755年から1013年までユダヤ人達はこのGranadaで大いに文化を開花させ経済的にも発展したのである。
 
Granada のユダヤ人達はCotton及びSilkの取引、そして銀行業などに手を出し、大いに発展し、栄えた。ところが1492年の​SpainのMuslimとユダヤ人追放令によりGranadaに於けるユダヤ人も全てSpainから一人残らず追放されたのであった。
 
Granada のユダヤ人街はという地区に集中していた。
​これが2017年のRealejoのPhoto である。
 

 
ここからPlaza Nueva SquareからCalla Colchaという地区まで行くと、そこにユダヤ人の高名な医者、文学者、哲学者、言語学者であるYehuba Ibn Tibonの銅像が建っている。
 

 
この写真がその銅像であるが、彼はSpainのGranada大学の言語学部の名称として現在もその名前を留めている。Granada大学はSpainで最も著名な大学の一つである。
 
またそこにはCasa de la JuderiaというMuseumがあり、ユダヤ人の当時の歴史の展示を行っている。
 
Granada のAlhambra 宮殿の下にある旧市街にCasa de la Juderiaというユダヤ記念博物館がある。
 
  
 
これがその写真だが、ここはGranadaにおけるSephardiのユダヤ人の現代に残る記念博物館である。
 
Granadaには残念ながら中世のChristian教徒による異端審問で徹底的に迫害されたユダヤ人の歴史がありSynagogueは残っていないが、Plaza Nueva Squareに非常に有名なユダヤ人の医者であり、哲学者であり、詩人であり、言語学者であったYehuba Ibn Tibon の銅像が建っている。
 

これがその写真である。
 
Yehuba Ibn Tibonは中世EuropeのSpainを代表する高名な学者であり、現代Spainの最高学府の一つであるGranada大学の言語学部にその名を残している。
 
そして、その近くの昔のユダヤ人のSynagogue跡の建物が現在Christian教徒による異端審問と言えば聞こえは良いが、要するにChristianによるユダヤ人の拷問の道具の数々を展示してある拷問博物館。
 
正式な名前はExposición INQUISICIÓN があり、中世Christianが行ったユダヤ人に対する拷問の道具の数々の実物が展示してある。
 
大腿部を八つ裂きにして晒したり、食事も水も取れない仮面をかぶせて晒したり、あるいは針の付いた樽をユダヤ人にかぶせて道を転がしたり、爪を潰す道具等々、およそ考えられる拷問というかユダヤ人を痛めつけて苦しませて殺す道具の数々が展示されている。
 
これがその拷問道具の展示の写真である。有名なAlhambra 宮殿を見上げる旧市街の下町に位置する博物館である。
 

 
Granada というのは元々"ユダヤ人の街Granada​"という呼び名であったものが、省略されてGranadaになっている。それぐらいユダヤ人によって栄えたSpainの街であったのである。
 
この拷問の道具はReconquista すなわちIslam、ユダヤをSpainから追放する1492年以降に追放を免れる為にConversion、Christianに改宗したユダヤ人及びIslam教徒に対してなおしつこくChristianが弾圧と拷問を行った拷問の道具である。
 
「改宗してもお前達はまだIslamの神、ユダヤの神を信じているから、その性根を叩き直す」という拷問がSpainで頻繁に行われた。その拷問博物館がこれである。
 
Granada というのは元々の意味は"ユダヤ人の街​"という意味であり、GranadaのAlhambra宮殿の有名な中庭に12匹のLionに支えられた噴水があるが、それはその時Granadaの内閣総理大臣を務めていたユダヤ人Sammuel Ibn Nagrellaという者がAlhambra宮殿の主であるIslamのMohammed 5世に寄付をしたものであり、ユダヤ12支族を象徴する12匹のLionで支えられた噴水である。
​Muslim とJew の共存共栄の象徴である。​
 

 
Spainに異端審問の嵐が吹き荒れる1492年のReconquista、ユダヤ人、Muslim追放まではユダヤ人とMuslimは相互にGranadaに於いて共存共栄していたことを象徴するAlhambra宮殿である。
 
Alhambra 宮殿の有名な12匹のLionの噴水の中庭はMoor朝の最高傑作であり、当時のIslam支配者、GranadaのIslam支配者Nasrid Sultan 、Mohammed 5世により建造されたものであるが、そのLionの噴水そのものは実はその当時のGranadaの大金持ちであり内閣総理大臣の要職にあったユダヤ人Sammuel Ibn Nagrella が11世紀自分の邸宅用に作らせたものをAlhambra宮殿に寄贈したものである。
 
ユダヤ人が自分の庭用に作ったものである証拠は12匹のLionがユダヤの12支族を意味し、よく見ていただければ分かるが、2匹のLionの額が三角形の形状をしているのはユダヤの12の支族のうちの最も聖なる支族であるLevi 一族とJudah一族を意味するものである。
 
Granadaのユダヤ人達は紀元前586年Assyria のNebuchadnezzar大王により拉致された大量のユダヤ人が逃れてきた場所の一つである。
 
Granada を支配していたMuslimのMoor 王朝はそこにユダヤ人達が多く住み着いていたので、Granada of the Jews、​"ユダヤ人達のGranada​"と呼んでいた。
 
GranadaはMuslimのUmayya 族の支配する地域の中で、ユダヤ人が最も多く住み着いた所であった。但し、それもSpainのIsabel 女王による1492年のユダヤ人及びMuslim追放までのことであったが。
 
そのMoor 王朝によって建設されたAlhambra 宮殿には色々なユダヤ人の痕跡が残されている。その一つがこの有名な12棟のLionの噴水である。
 

 
Granadaの中心街にあるRealejo地域は当時ユダヤ人が最も多く住んでいた場所である。そこでGranada はGranada of the Jews、ユダヤ人達のGranada、Arabicでغرناطة اليهود gharnāṭah al-yahūdと呼ばれていた。
 
 
ユダヤ人達はMuslimがAD 711年からGranadaに住み着くようになった以前から住んでいた。
 
MuslimがGranadaを支配するようになってもユダヤ人達はMuslimと共存し、さらにその経済的な繁栄を謳歌していった。
 
特にAbd ar Rahman 3世がAD 912年からGranadaを支配するようになってからユダヤ人達はさらに経済的に発展していった。
 
1013 年Ziri Kingの時代にはユダヤ人のSamuel Ibn Nagrella がいわば内閣総理大臣職としてMuslimと共にGranadaの発展に敏腕を振るった。
 
1120年Granadaきっての有名な学者Yehuba Ibn Tibonが生まれた。彼はユダヤ学者であるだけではなく、医者であり、詩人であり、哲学者であり、言語学者でもあった。現代でもGranadaでは歴史上最も有名な学者としてその名をGranada大学に残している。
 
その頃のユダヤ人の人口は5万人を超えるほどになっていた。
 
Granadaのユダヤ人達は金銀取引業者、Cotton取引業者、Silk取引業者、綿花取引業者などGranadaの経済の要職を占めていた。彼等は何カ国語も操り国際貿易に従事した。
 
しかし、そのGranadaの繁栄の中心にあったユダヤ人及びMuslim達を1492年にCatholicの王 FernandoとIsabelがAndalusia 地方を支配し、1494年にFernando 王が全てのユダヤ人の家の破壊命令を出すまで続いた。
 
1494年の破壊命令によりユダヤ人の居住家屋2000棟がことごとく破壊された。
 
1492年のユダヤ人追放令は7月31日限りSpainから全てのユダヤ人の退去を命じるものであった。
 
これに違反すれば死刑とされ、ユダヤ人の財産は証券、動産、不動産、金銀、財宝、家財道具、何もかも全て没収され、合わせて全てのMuslimのMosqueも破壊され、Granadaからはユダヤ色及びIslam色が完全に一掃されたのである。
 
一部のユダヤ人及びMuslim達はCatholicに改宗してGranadaに残留したが、それぞれの者に待っていた運命は過酷な異端審問による拷問であった。その拷問の歴史は現在拷問博物館で見ることが出来る。
 

 
ここで注意してもらいたいのは、当時のGranadaがGranada of the Jewsと呼ばれていて、Jews of Granadaとは呼ばれていなかった。この違いである。それほどGranadaにはユダヤ人が多かったのである。
 
さて、1492年Spainのユダヤ人は立ち去るか改宗するかの選択を迫られた。
 
立ち去るのも生やさしいことではない。一切の財産を置いて海の彼方に立ち去ることを要求された。
 
Granadaから車で一時間半のところにUbedaという街がある。そこにユダヤ人達が地下でSynagogueの祈りを捧げた秘密のSynagogueが存在する。
 
全ては地下に設置されて、外からは分からないようになっている。一番神聖なMikveh沐浴場もその最深部にあり、地下深く掘られた地下水が自然に湧いてくるMikvehである。
 
そこでこのSynagogueを「SINAGOGA DEL AGUA」と呼んでいる。以下に見せるのはこのSINAGOGA DEL AGUAの​2017年の写真である。
 

 
Christianに改宗してSpainに残ることを選択したユダヤ人達を待っていたのは厳しい異端審問である。
 
「形の上だけ改宗したのではないのか」と審問官に迫られ、豚を食べることを強要された。いわば日本で言えば踏み絵の強要である。
 
ユダヤ人はMuslimと同じで豚は絶対に近づくことも食べることも許されない最も厳しい宗教戒律の一つである。それを強要されユダヤ教を完全に諦めたことの証明を要求されたのである。
 
実はこのUbedaにSynagogueがあるということが発見されたのは偶然であった。2007年から発掘作業が始まり、2010年に発掘は完成した。そして一般公開されたのがごく最近である。
 
このSynagogueは14世紀頃に建てられたものと考えられているが、Reconquista以降も秘かにユダヤ教の儀式を行う場所として匿われてきたのである。
 
通りからは全く見えないように地下に建造されたSynagogueは表通りの空気孔からわずかな光が入って来るが、朝の一定の時間だけ太陽がその地下の空間のMikveh清めの沐浴場まで太陽の光が差し込む様は非常に聖なるものである。
 
 

 
UbedaのSynagogueは全てが地下にありながらも部屋は7つもあり、しかも女性専用のGalleryがある本格的なOrthodox Synagogueである。
 
しかも万が一の場合に備えて水の確保が完璧に為されており、井戸は地中深く掘られた井戸が4つも存在する。今でもその井戸には満々と地下水が湛えられ流れている様が読み取れる。

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Jewish Joke

閑話休題。ここでJewish Jokeを一つ紹介しておこう。
 
ユダヤ人の3歳の小さな男の子がSynagogueでRabbiの所へチョコチョコと走って行って、Rabbiに向かってこう言った。
 
「Rabbi、僕は小銭を5Poundと50 Pence持って来ました。これを是非受け取って下さい。」
 
Rabbiがその子に向かって「おお、それは有り難いことだ。でも何で君のような小さな子がそれを私にくれるのかね? Synagogueへ寄付するというのかな?」
 
男の子「いいえ、僕のお父さんがいつも家でこう言っているんです。『うちのRabbiはpoorest speaker I ever heard.』だって。」
 
さて、このJokeが分かる為にはユダヤ人の日常生活がまず理解できていなくてはならない。
 
ユダヤ人は毎日Synagogueに足を運ぶ。祈りを捧げる為である。その時に基本的には男の子をSynagogueに連れて行くことが多い。そしてSynagogueの祈りの席あるいはその後に、Synagogueに寄付をする為に小銭をさい銭箱に入れる。
 
RabbiはShabbatの日、すなわち土曜日の祈りの最後の方に参加している会衆に向かって説教ならぬSpeechをすることが習わしになっている。
 
そしてPoorest SpeakerというのはそのSpeechが下手だという英語の表現。
 
しかし男の子はPoorestを「貧乏な」という意味に受け取ったようだ。これを父親から聞いて、そのままRabbiに伝えてしまったところがこのJokeの面白いところ。
 

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