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Kanji Isaac Ishizumi
 
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    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
京都祇園祭とユダヤ人のHebrew聖書

どうして京都祇園祭にユダヤ教徒が登場しているのか、日本の七不思議の一つと言って良い。


実は京都祇園祭に出て来る鉾の中で函谷鉾(かんこぼこ)、というのがある。
 
函谷鉾は先頭の長刀鉾の次に登場する鉾であるが、函谷鉾は、実は石角完爾の京都の住まいの函谷鉾町が保存する鉾である。函谷鉾町の人間だから石角完爾がユダヤ教に改宗したわけではないが......
 
函谷鉾の前懸は、Hebrew聖書の創世記の場面を描いた絨毯である。なぜここにHebrew聖書の物語が出て来るのか、どうして京都祇園祭にユダヤ人のHebrew聖書の物語の図柄が描かれているのか、これは一つの謎である。 


単なる模様ではない。明らかに創世記の一節を書いている。「Isaacに水を供するRebekah」のtapestry(毛綴織)である。

原品は、十六世紀末Belgium製、旧約聖書創世紀第二十四章の説話の ユダヤ教徒Abrahamの子ユダヤ教徒「Isaacの嫁選びの図」をどうして京都函谷鉾町がユダヤの図を1500年代にBelgiumに注文したのか、謎である。


 図柄は娘RebekahからAbraham家の老僕Elazarが所望の水を受けるところ、右上には騎馬に乗ったIsaacの姿が見える、そして下半分には物語の続き、Rebekahに婚約の腕輪を贈っているところ。
 
ここにその写真を付けておくので読者なりの考え方をこのblogに対するcommentとして提出してもらいたい。

 

 

http://www.kankoboko.jp/viewpoint/bunkazai.html

 

| 12.Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi  石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible | 22:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
才能豊かなユダヤ人が特に音楽に才能を発揮する者が多いのは何故だろうか?

質問:ユダヤ人は色々なところで才能を発揮していますが、特に音楽に才能を発揮する者が多いのは何故だろうか?

 

答え: 

ユダヤ人と音楽は切っても切り離せないほどの関係である。

 

何故なら、ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されているから、絵画や彫刻はユダヤ人が避けるところであったからである。二次元、三次元でものを描くと、どうしても偶像を描いたのではないかと思われてしまう。

 

ユダヤ人の音楽はSynagogue の外で奏でられる音楽とSynagogue の中で歌われるChanter による祈り朗読とに分けられる。

 

Synagogue の外で歌われるあるいは奏でられる音楽はSephardi 達の音楽Sepharadeと,  Ashkenazi達の音楽Klezmer とがある。

 

Spain 系北Africa 系のユダヤ人達をSephardi と言うが、そのSephardi 達がSynagogue の外で奏でる音楽がどちらかと言うとArab 色の強い旋律、音階などで構成されている。

 

一方のAshkenazi 達のSynagogue の外で奏でられる音楽、Klezmer 音楽はRussia、Poland、Lithuania、Romania、 Ukraineといった地域のユダヤ人達の間の音楽であり、弦楽器のViolin が伴奏として使われることが多い。

 

一方Sephardi の音楽はやはり弦楽器を使うがViolin ではなく5弦、4弦の楽器である。5弦の楽器はZither 、4弦の楽器はOud と呼ばれる。

 

一方Synagogue の中ではユダヤ教の戒律によって楽器を使うことが厳禁されているので(但し、Reform 派では必ずしもそうではない)、祈祷を一人のChanter または合唱隊が 独特の節回しで歌う、祈祷歌が各Synagogue 毎に生まれていったのである。

 

Synagogue で行われた祈りの朗詠がChristian に影響を与え、Gregorian 聖歌となってきた話は有名である。

 

ユダヤ人の音楽家を語る時には、まずはユダヤ人のOpera 作曲に欠かせない台本作家について語る必要がある。

 

その名はLorenzo Da Ponte である。

 

何を隠そう、Lorenzo Da Ponte こそ世界的に有名なMozart の「Figaro の結婚」、「Don Giovanni 」の台本作家なのである。Mozart は単に曲を作っただけにしか過ぎない。Opera は曲の付いた劇であるから物語の台本と台詞がある。その台詞、物語、Story の全てを書いたのが、このユダヤ人Lorenzo Da Ponte である。

 

このLorenzo Da Ponte はMozart と同じ時期の1749年のItaly のCeneda というユダヤ人居住区Ghetto の中で生まれた。そして育つにつれ、文才を発揮するようになった。

 

当時の小説家、詩人、台本作家を目指す者はいずれも国家挙げての音楽振興政策を取っていたAustria の皇帝Joseph 二世にいかにして近づくかということが重要であった。

 

そこでLorenzo Da Ponte はItaly のVenice でその人脈を発見するのである。Venice で知り合った知人の紹介状を携えてAustria 皇帝Joseph 二世に会うことが出来たのである。

 

当時も今も変わらないKnow who、誰を知っているか、誰を知っている人を知っているかということが運命の扉を切り開く鍵であることには変わりがなかった。

 

かくしてLorenzo Da Ponte は当時のAustria 皇帝Joseph 二世のお抱え台本作家となることが出来た。このことが当時Vienna で急速に頭角を現していたMozart と知り合うきっかけとなったのである。


 

Lorenzo Da Ponte  は迫害されたユダヤ人として「Figaro の結婚」に社会変革の種を潜ませることとした。

 

Lorenzo Da Ponte の書いた「Figaro の結婚」の台本Scenario は支配階級である貴族の浅はかさや馬鹿さ加減を被支配階級であるそれら貴族の使用人が嘲笑するというScenario で満ち満ちていた。

 

従って、これを皇帝Joseph 二世が公演許可を出すにはひと工夫もふた工夫もいることになる。何故なら、このOpera は公演が許可されると貴族支配の中世の社会秩序を揺るがすことになるかも知れないのであった。

 

そこでLorenzo Da Ponte はMozart に頼んでこの上なく美しい曲を付けてもらうようにしたのである。その旋律たるや今までにない美しい調べであった。これで皇帝Joseph 二世を説得できると踏んだLorenzo Da Ponte はMozart から曲の美しさを強調して皇帝Joseph 二世の許可を得るようにとMozart に仕向けたのである。Lorenzo Da Ponte は他のユダヤ人と同じで、行動に移す前に考えに考え抜くのであった。

 

果たして、皇帝Joseph 二世はLorenzo Da Ponte の台本が大きな社会変革のうねりを生むとは知らず、上演許可を与えたのである。

 

その美しい音楽の調べはHabsburg 家のVienna からFrance 王家に嫁いでいたMarie-Antoinette の心を捉え、どういう訳かFrance 国内での上演も許可されたのである。

 

被支配階級が支配階級の愚かさを笑い飛ばすLorenzo Da Ponte の「Figaro の結婚」は大いにFrance人民の勇気付けを行ない、France 国王のGuillotine に発展した1789年のFrance 革命へと繋がっていったのである。

 

まさに被支配階級のさらに下に位置したユダヤ人の撒いた「Figaro の結婚」というOpera の台本の中に込められたユダヤ人の想いが社会を大きく動かした一つの成功例と言えよう。

 

次にLorenzo Da Ponte を台本作家として最高の位置まで引き上げたのが色男を描いた「Don Giovanni 」である。

 

「Figaro の結婚」の台本作家として一躍注目を集めるようになったLorenzo Da Ponte が Mozart に仕掛けて次に手掛けたOpera が「Don Giovanni 」である。

 

当然Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni 」も貴族支配の世の中を批判する種を埋め込もうとし、今度は性の快楽文化、自分の性欲の為すまま次から次へと女を口説いていく色男の物語を台本にしたのである。「Don Giovanni 」Spain 語ではDon Juan (ドン・ファン)である。

 

ところが現実に人間、特に男の持つ性欲がこのような形で取り上げられるOpera は民衆の心の中に潜んでいたChristian 文化に対する抑圧への抵抗という形になって、この「Don Giovanni 」も大ヒットをするのである。

 

つまりユダヤ人劇作家 Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni」を通じ当時のChristian 文化、特にChristian が教える男女間の倫理に対する強烈な一矢を放ったのである。

 

そしてLorenzo Da Ponte の意図せぬ最終作となったのがMozart とのCombination で描いた「Cosi fan tutte 」である。このLorenzo Da Ponte の描いた「Cosi fan tutte 」のStory も、どんな貴婦人も浮気をするものだというTheme であり、当時のChristian 文化人達の感情を意図的に逆なでするものであった。

 

Mozart と同世代のBeethoven もWagner も、このLorenzo Da Ponte の描く台本のChristian 文化に対する退廃的挑戦はどうにも我慢がならず、「最悪の台本だ、Mozart もLorenzo Da Ponte との手を切るべきだ」などと言い出す始末であった。

 

かくしてLorenzo Da Ponte はMozart という天才作曲家と組むことにより一躍Christian の倫理観、貴族支配の中世に対する劇作家としての挑戦の目的を達したのである。

 

しかし、あらゆる試みはその終末の時を迎える。Mozart が若くしてこの世を去ってしまったのである。

 

Mozart の死に直面し、Lorenzo Da Ponte もMozart 以外とはCombination を組まないと覚悟をしていたので、さっさとVienna を去り、London を経てNew York に渡り、渡ったNew York ではColumbia 大学で劇作家、Scenario Writer としての講座を持ち、生徒達に教える後半の人生を歩んだのである。

 

このようにLorenzo Da Ponte が活躍したのは皇帝Joseph 二世、Mozart の全盛期のわずか1780年代から1790年代の10年間ほどであるが、Lorenzo Da Ponte が世に放ったOpera は「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」、「Cosi fan tutte 」という世界最高のOpera であったのである。

 

Mozart が曲を付けたことによってMozart のOpera と言われるが、実はユダヤ人劇作家、台本作家、Scenario Writer のLorenzo Da Ponte のOpera であり、Lorenzo Da Pointe が当時の世に放ったChristian 文化、貴族支配への一大挑戦の3大Opeara であったのである。

 

当時これといったMedia や無論Twitter などもない世の中に於いて、社会を動かす最も影響力のあるMedia はOpera であったことを考えると、Lorenzo Da Ponte のユダヤ人としての社会変革の決意が沸々と蘇ってくると言える「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」そして「Cosi fan tutte 」であると言わざるを得ない。

 

かくしてLorenzo Da Ponte の名前は永遠の不出のユダヤ人劇作家として明記されなくてはならないと言えるのである。

| - | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
Hebrew Bible Exodus 第22章第24節

「ユダヤ人は同胞に金を貸す時は、特に貧困な者に金を貸す時には金利を取ってはいけない。担保や私物を取る時には生活必需品は債務者が必要だと言った時には返却しなければいけない。」と書かれている。

 

さてここで読者の方々に質問だが、このHebrew Bible の一節はユダヤ人でも金持ちに金を貸す時には金利を取って良いのか、あるいは異教徒に金を貸す時には金利を取って良いのか、という疑問が生じて来るが、皆さんはどう思われますか? 

 

このBlog に対するComment として書き込んでください。

| - | 23:52 | comments(1) | trackbacks(0) |
出エジプト記第21章

Exodus 第21章、22節に次のように書かれている。

男二人がけんかをしていて、誤って近くの妊娠している女性に当たった場合に、その妊娠している女性が、その影響で流産した場合には裁判官の定める金額を賠償しなくてはならない。しかし、その女性にそれ以外の被害が生じた場合は、その償いは、life for life、eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot, であるべきだ。

foot for foot,burn for burn, wound for wound, bruise for bruise であるべきだ、と書かれている。

 

 さてそこで皆さんに質問だが、この命には命を、目には目を、歯には歯を、手には手を、足には足を、やけどにはやけどを、傷には傷を、あざにはあざを、という意味はどういう意味か?

この石角完爾のブログに返信する形で自分の考えを述べていただければ幸いです。

| - | 23:38 | comments(2) | trackbacks(0) |
Technion の学者とChabad Lubavitch Synagogue 京都開設/Israel のbusinessman は東京に、Israel の学者は京都に

私の所属するユダヤ教の最大宗派のChabad-Lubavitch  派がこの度京都にSynagogue を開設しました。


写真がそのSynagogue のMissionary のRabbi Dovid です。

Chabad Lubavitch 派はこれで東京(2000年Missonary、Rabbi Mendi Sudakevich が来日、その後港区魚籃坂上に本格開設、現在はIsrael のbusinessman で賑わっています。)に次いで2つ目のSynagogue を日本に開設することが出来ました。ここに皆様に喜んでご報告致します。

California からやってきたこの若いRabbi 夫妻を皆様是非歓迎してやってください。Rabbi Dovid と奥さんのChaya Mushka です。www.jewishkyoto.com

Chabad-Lubavitch の missionary はその地に永住が原則です。宣教師ではありませんので布教/宣教活動はしません。あくまでも京都に滞在するユダヤ人の祈りの場を提供し、祈りを先導すること、"だけ"  が目的ではるばる California から参りました。それだけ京都にユダヤ人が増えたということです。

理由は何と言っても日本で最多のNobel 賞を輩出する京大ほか、世界Level の大学が京都にあるからです。Israel から Technion 大を始めとして多くの教授/学者が京都に短期長期で来ています。

医学では京大病院が臨床では世界Level です。山中教授の iPS centre も京大です。Technion 大医学部は中東最大の Rambam Hospital を有し約500 名の臨床医師が Technion で教えていますが、その Rambam Hospital が京大 iPS centre と collaboration していますので時々Technion の医学関係者が京都に来ています。その他、今 Technion 大からは水関係の世界的学者 Prof. Carlos Dosoretz が京都に来ています。 

 

| - | 22:30 | comments(1) | trackbacks(0) |
読者からの質問

「ユダヤ人はどうやって弁護士を選ぶのか」という読者からの質問がありましたのでお答えします。


弁護士に限らず医者もPharmacist も洋服屋も靴屋もユダヤ人はまず第一に同じSynagogue の仲間から、そして2番目には同じSynagogue の仲間の紹介から選びます。但し、緊急の場合にはこの限りではありません。

| - | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) |
読者からの質問

読者から「ユダヤ人以外の非ユダヤ人がユダヤの神を信じることが可能なのでしょうか」という質問がありましたのでお答えします。


はい、可能です。一切の偶像崇拝をしなければ、それはまさにユダヤ教なのです。

| - | 23:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
Sidra BO

Christian 暦2019年1月12日はユダヤ暦で5779年Shvat の第6日目のShabbat に当たる。


ユダヤ人が今日読むSidra、Hebrew Bible の一節、はSidra BO という。

このSidra BO はEgypt の王Pharaoh のMoshe とAharon との交渉の最終局面を描いている。


Egypt のユダヤ人奴隷を解放せよと迫るMoshe とAharon に対して、神が7回もの災難をEgypt のPharaoh に与え、その最後の3回の災難がLocusts、 Darkness、そしてDeath of all first-born Egyptian male であったのである。このDeath of all first-born Egyptian male はついにPharaoh の皇子を死なせるという大災難になりPharaoh が屈するのである。

そこで我々ユダヤ人はこの解放の最初のことを祝い、First Pesach 、Hebrew 語で「Pesach Mitzrayim」Egypt に於けるPassover、Passover in Egypt と呼ぶ。

我々ユダヤ人はPesach ではLamb のRoast 、Matzaと苦葉、Bitter Herb とを食べることになっている。そして末代にわたるまでこれを記憶しなければならないとしてPesach  L'Dorot  と呼ぶのである。つまり決して末代まで忘れることのないEgypt からの脱出歴。

さらにこのSiddur ではPidyon Haben 、第1子の男の子のRedemption。 今でも行なわれている第1子の男の生後30日目の祝いを行なうのである。Pidyon Haban

| - | 02:03 | comments(0) | trackbacks(0) |
Chinese Translation of Hebrew Bible

読者から「Hebrew Bible の中国語訳はいつ頃初めて為されたのか?」という質問があったので答えておこう。


Hebrew Bible はいわゆる旧約聖書であるから、結局はChristianity の中に於ける旧約聖書の中国語訳がいつ為されたのか、という質問に置き換えることが出来る。

どうも歴史的にみると、AD 781年がHebrew Bible の最初の中国語訳のようだ。それもいわゆるNestorian Christian の学者により為されたものである。

Nestorianism の教徒が635年に中国の当時の首都長安(Changan)、今の西安(Xi'an)に住み着いて中国語を学び、Hebrew Bible すなわち旧約聖書の翻訳を始めたのが最初である。

その翻訳は石碑に残されており、その石碑によると紀元781年に記されたとある。その石碑は「大秦景教流行中国碑」、すなわちNestorianism 中国伝播の碑と言われるものである。

この石碑は1907年敦煌(Dunhuang)で発見されている。それによると、Hebrew Bible のうち中国語に翻訳されたのはMoses 五書の中の最初の2つ、すなわちGenesis とExodus だけである。

その後13世紀にMontecorvino のJohn 神父により翻訳が為されたという記録があるが、翻訳そのもののCopy は発見されていない。

その後例のMatteo Ricci、Jesuit 教団の神父によってHebrew Bible の中の十戒が翻訳されている。

18世紀になるとJesuit 教団の神父Louis de Poirot がMoses 五書全文を翻訳している。その翻訳文は現在北京のBeitang (北堂) Library に保存されている。

従って、この意味に於いてMoses 五書全文の中国語訳は18世紀Jesuit 教団の神父Louis de Poirot によるものが最初という結論になる。

| - | 12:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
Jews and Music/Lorenzo Da Ponte

ユダヤ人と音楽 


ユダヤ人と音楽は切っても切り離せないほどの関係である。

何故なら、ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されているから、絵画や彫刻はユダヤ人が避けるところであったからである。二次元、三次元でものを描くと、どうしても偶像を描いたのではないかと思われてしまう。 

ユダヤ人の音楽はSynagogue の外で奏でられる音楽とSynagogue の中で歌われるChanter による祈り朗読とに分けられる。

Synagogue の外で歌われるあるいは奏でられる音楽はSephardi 達の音楽Sepharadeと,  Ashkenazi達の音楽Klezmer とがある。

Spain 系北Africa 系のユダヤ人達をSephardi と言うが、そのSephardi 達がSynagogue の外で奏でる音楽がどちらかと言うとArab 色の強い旋律、音階などで構成されている。

一方のAshkenazi 達のSynagogue の外で奏でられる音楽、Klezmer 音楽はRussia、Poland、Lithuania、Romania、 Ukraineといった地域のユダヤ人達の間の音楽であり、弦楽器のViolin が伴奏として使われることが多い。

一方Sephardi の音楽はやはり弦楽器を使うがViolin ではなく5弦、4弦の楽器である。5弦の楽器はZither 、4弦の楽器はOud と呼ばれる。

一方Synagogue の中ではユダヤ教の戒律によって楽器を使うことが厳禁されているので(但し、Reform 派では必ずしもそうではない)、祈祷を一人のChanter または合唱隊が 独特の節回しで歌う、祈祷歌が各Synagogue 毎に生まれていったのである。

Synagogue で行われた祈りの朗詠がChristian に影響を与え、Gregorian 聖歌となってきた話は有名である。

ユダヤ人の音楽家を語る時には、まずはユダヤ人のOpera 作曲に欠かせない台本作家について語る必要がある。

その名はLorenzo Da Ponte である。

何を隠そう、Lorenzo Da Ponte こそ世界的に有名なMozart の「Figaro の結婚」、「Don Giovanni 」の台本作家なのである。Mozart は単に曲を作っただけにしか過ぎない。Opera は曲の付いた劇であるから物語の台本と台詞がある。その台詞、物語、Story の全てを書いたのが、このユダヤ人Lorenzo Da Ponte である。

このLorenzo Da Ponte はMozart と同じ時期の1749年のItaly のCeneda というユダヤ人居住区Ghetto の中で生まれた。そして育つにつれ、文才を発揮するようになった。

当時の小説家、詩人、台本作家を目指す者はいずれも国家挙げての音楽振興政策を取っていたAustria の皇帝Joseph 二世にいかにして近づくかということが重要であった。

そこでLorenzo Da Ponte はItaly のVenice でその人脈を発見するのである。Venice で知り合った知人の紹介状を携えてAustria 皇帝Joseph 二世に会うことが出来たのである。

当時も今も変わらないKnow who、誰を知っているか、誰を知っている人を知っているかということが運命の扉を切り開く鍵であることには変わりがなかった。

かくしてLorenzo Da Ponte は当時のAustria 皇帝Joseph 二世のお抱え台本作家となることが出来た。このことが当時Vienna で急速に頭角を現していたMozart と知り合うきっかけとなったのである。


Lorenzo Da Ponte  は迫害されたユダヤ人として「Figaro の結婚」に社会変革の種を潜ませることとした。

Lorenzo Da Ponte の書いた「Figaro の結婚」の台本Scenario は支配階級である貴族の浅はかさや馬鹿さ加減を被支配階級であるそれら貴族の使用人が嘲笑するというScenario で満ち満ちていた。

従って、これを皇帝Joseph 二世が公演許可を出すにはひと工夫もふた工夫もいることになる。何故なら、このOpera は公演が許可されると貴族支配の中世の社会秩序を揺るがすことになるかも知れないのであった。

そこでLorenzo Da Ponte はMozart に頼んでこの上なく美しい曲を付けてもらうようにしたのである。その旋律たるや今までにない美しい調べであった。これで皇帝Joseph 二世を説得できると踏んだLorenzo Da Ponte はMozart から曲の美しさを強調して皇帝Joseph 二世の許可を得るようにとMozart に仕向けたのである。Lorenzo Da Ponte は他のユダヤ人と同じで、行動に移す前に考えに考え抜くのであった。 

果たして、皇帝Joseph 二世はLorenzo Da Ponte の台本が大きな社会変革のうねりを生むとは知らず、上演許可を与えたのである。

その美しい音楽の調べはHabsburg 家のVienna からFrance 王家に嫁いでいたMarie-Antoinette の心を捉え、どういう訳かFrance 国内での上演も許可されたのである。

被支配階級が支配階級の愚かさを笑い飛ばすLorenzo Da Ponte の「Figaro の結婚」は大いにFrance人民の勇気付けを行ない、France 国王のGuillotine に発展した1789年のFrance 革命へと繋がっていったのである。

まさに被支配階級のさらに下に位置したユダヤ人の撒いた「Figaro の結婚」というOpera の台本の中に込められたユダヤ人の想いが社会を大きく動かした一つの成功例と言えよう。

次にLorenzo Da Ponte を台本作家として最高の位置まで引き上げたのが色男を描いた「Don Giovanni 」である。

「Figaro の結婚」の台本作家として一躍注目を集めるようになったLorenzo Da Ponte が Mozart に仕掛けて次に手掛けたOpera が「Don Giovanni 」である。

当然Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni 」も貴族支配の世の中を批判する種を埋め込もうとし、今度は性の快楽文化、自分の性欲の為すまま次から次へと女を口説いていく色男の物語を台本にしたのである。「Don Giovanni 」Spain 語ではDon Juan (ドン・ファン)である。

ところが現実に人間、特に男の持つ性欲がこのような形で取り上げられるOpera は民衆の心の中に潜んでいたChristian 文化に対する抑圧への抵抗という形になって、この「Don Giovanni 」も大ヒットをするのである。

つまりユダヤ人劇作家 Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni」を通じ当時のChristian 文化、特にChristian が教える男女間の倫理に対する強烈な一矢を放ったのである。

そしてLorenzo Da Ponte の意図せぬ最終作となったのがMozart とのCombination で描いた「Cosi fan tutte 」である。このLorenzo Da Ponte の描いた「Cosi fan tutte 」のStory も、どんな貴婦人も浮気をするものだというTheme であり、当時のChristian 文化人達の感情を意図的に逆なでするものであった。

Mozart と同世代のBeethoven もWagner も、このLorenzo Da Ponte の描く台本のChristian 文化に対する退廃的挑戦はどうにも我慢がならず、「最悪の台本だ、Mozart もLorenzo Da Ponte との手を切るべきだ」などと言い出す始末であった。

かくしてLorenzo Da Ponte はMozart という天才作曲家と組むことにより一躍Christian の倫理観、貴族支配の中世に対する劇作家としての挑戦の目的を達したのである。

しかし、あらゆる試みはその終末の時を迎える。Mozart が若くしてこの世を去ってしまったのである。

Mozart の死に直面し、Lorenzo Da Ponte もMozart 以外とはCombination を組まないと覚悟をしていたので、さっさとVienna を去り、London を経てNew York に渡り、渡ったNew York ではColumbia 大学で劇作家、Scenario Writer としての講座を持ち、生徒達に教える後半の人生を歩んだのである。

このようにLorenzo Da Ponte が活躍したのは皇帝Joseph 二世、Mozart の全盛期のわずか1780年代から1790年代の10年間ほどであるが、Lorenzo Da Ponte が世に放ったOpera は「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」、「Cosi fan tutte 」という世界最高のOpera であったのである。

Mozart が曲を付けたことによってMozart のOpera と言われるが、実はユダヤ人劇作家、台本作家、Scenario Writer のLorenzo Da Ponte のOpera であり、Lorenzo Da Pointe が当時の世に放ったChristian 文化、貴族支配への一大挑戦の3大Opeara であったのである。

当時これといったMedia や無論Twitter などもない世の中に於いて、社会を動かす最も影響力のあるMedia はOpera であったことを考えると、Lorenzo Da Ponte のユダヤ人としての社会変革の決意が沸々と蘇ってくると言える「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」そして「Cosi fan tutte 」であると言わざるを得ない。

かくしてLorenzo Da Ponte の名前は永遠の不出のユダヤ人劇作家として明記されなくてはならないと言えるのである。

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