質問:ユダヤ人は色々なところで才能を発揮していますが、特に音楽に才能を発揮する者が多いのは何故だろうか?
答え:
ユダヤ人と音楽は切っても切り離せないほどの関係である。
何故なら、ユダヤ教では偶像崇拝が禁止されているから、絵画や彫刻はユダヤ人が避けるところであったからである。二次元、三次元でものを描くと、どうしても偶像を描いたのではないかと思われてしまう。
ユダヤ人の音楽はSynagogue の外で奏でられる音楽とSynagogue の中で歌われるChanter による祈り朗読とに分けられる。
Synagogue の外で歌われるあるいは奏でられる音楽はSephardi 達の音楽Sepharadeと, Ashkenazi達の音楽Klezmer とがある。
Spain 系北Africa 系のユダヤ人達をSephardi と言うが、そのSephardi 達がSynagogue の外で奏でる音楽がどちらかと言うとArab 色の強い旋律、音階などで構成されている。
一方のAshkenazi 達のSynagogue の外で奏でられる音楽、Klezmer 音楽はRussia、Poland、Lithuania、Romania、 Ukraineといった地域のユダヤ人達の間の音楽であり、弦楽器のViolin が伴奏として使われることが多い。
一方Sephardi の音楽はやはり弦楽器を使うがViolin ではなく5弦、4弦の楽器である。5弦の楽器はZither 、4弦の楽器はOud と呼ばれる。
一方Synagogue の中ではユダヤ教の戒律によって楽器を使うことが厳禁されているので(但し、Reform 派では必ずしもそうではない)、祈祷を一人のChanter または合唱隊が 独特の節回しで歌う、祈祷歌が各Synagogue 毎に生まれていったのである。
Synagogue で行われた祈りの朗詠がChristian に影響を与え、Gregorian 聖歌となってきた話は有名である。
ユダヤ人の音楽家を語る時には、まずはユダヤ人のOpera 作曲に欠かせない台本作家について語る必要がある。
その名はLorenzo Da Ponte である。
何を隠そう、Lorenzo Da Ponte こそ世界的に有名なMozart の「Figaro の結婚」、「Don Giovanni 」の台本作家なのである。Mozart は単に曲を作っただけにしか過ぎない。Opera は曲の付いた劇であるから物語の台本と台詞がある。その台詞、物語、Story の全てを書いたのが、このユダヤ人Lorenzo Da Ponte である。
このLorenzo Da Ponte はMozart と同じ時期の1749年のItaly のCeneda というユダヤ人居住区Ghetto の中で生まれた。そして育つにつれ、文才を発揮するようになった。
当時の小説家、詩人、台本作家を目指す者はいずれも国家挙げての音楽振興政策を取っていたAustria の皇帝Joseph 二世にいかにして近づくかということが重要であった。
そこでLorenzo Da Ponte はItaly のVenice でその人脈を発見するのである。Venice で知り合った知人の紹介状を携えてAustria 皇帝Joseph 二世に会うことが出来たのである。
当時も今も変わらないKnow who、誰を知っているか、誰を知っている人を知っているかということが運命の扉を切り開く鍵であることには変わりがなかった。
かくしてLorenzo Da Ponte は当時のAustria 皇帝Joseph 二世のお抱え台本作家となることが出来た。このことが当時Vienna で急速に頭角を現していたMozart と知り合うきっかけとなったのである。
Lorenzo Da Ponte は迫害されたユダヤ人として「Figaro の結婚」に社会変革の種を潜ませることとした。
Lorenzo Da Ponte の書いた「Figaro の結婚」の台本Scenario は支配階級である貴族の浅はかさや馬鹿さ加減を被支配階級であるそれら貴族の使用人が嘲笑するというScenario で満ち満ちていた。
従って、これを皇帝Joseph 二世が公演許可を出すにはひと工夫もふた工夫もいることになる。何故なら、このOpera は公演が許可されると貴族支配の中世の社会秩序を揺るがすことになるかも知れないのであった。
そこでLorenzo Da Ponte はMozart に頼んでこの上なく美しい曲を付けてもらうようにしたのである。その旋律たるや今までにない美しい調べであった。これで皇帝Joseph 二世を説得できると踏んだLorenzo Da Ponte はMozart から曲の美しさを強調して皇帝Joseph 二世の許可を得るようにとMozart に仕向けたのである。Lorenzo Da Ponte は他のユダヤ人と同じで、行動に移す前に考えに考え抜くのであった。
果たして、皇帝Joseph 二世はLorenzo Da Ponte の台本が大きな社会変革のうねりを生むとは知らず、上演許可を与えたのである。
その美しい音楽の調べはHabsburg 家のVienna からFrance 王家に嫁いでいたMarie-Antoinette の心を捉え、どういう訳かFrance 国内での上演も許可されたのである。
被支配階級が支配階級の愚かさを笑い飛ばすLorenzo Da Ponte の「Figaro の結婚」は大いにFrance人民の勇気付けを行ない、France 国王のGuillotine に発展した1789年のFrance 革命へと繋がっていったのである。
まさに被支配階級のさらに下に位置したユダヤ人の撒いた「Figaro の結婚」というOpera の台本の中に込められたユダヤ人の想いが社会を大きく動かした一つの成功例と言えよう。
次にLorenzo Da Ponte を台本作家として最高の位置まで引き上げたのが色男を描いた「Don Giovanni 」である。
「Figaro の結婚」の台本作家として一躍注目を集めるようになったLorenzo Da Ponte が Mozart に仕掛けて次に手掛けたOpera が「Don Giovanni 」である。
当然Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni 」も貴族支配の世の中を批判する種を埋め込もうとし、今度は性の快楽文化、自分の性欲の為すまま次から次へと女を口説いていく色男の物語を台本にしたのである。「Don Giovanni 」Spain 語ではDon Juan (ドン・ファン)である。
ところが現実に人間、特に男の持つ性欲がこのような形で取り上げられるOpera は民衆の心の中に潜んでいたChristian 文化に対する抑圧への抵抗という形になって、この「Don Giovanni 」も大ヒットをするのである。
つまりユダヤ人劇作家 Lorenzo Da Ponte は「Don Giovanni」を通じ当時のChristian 文化、特にChristian が教える男女間の倫理に対する強烈な一矢を放ったのである。
そしてLorenzo Da Ponte の意図せぬ最終作となったのがMozart とのCombination で描いた「Cosi fan tutte 」である。このLorenzo Da Ponte の描いた「Cosi fan tutte 」のStory も、どんな貴婦人も浮気をするものだというTheme であり、当時のChristian 文化人達の感情を意図的に逆なでするものであった。
Mozart と同世代のBeethoven もWagner も、このLorenzo Da Ponte の描く台本のChristian 文化に対する退廃的挑戦はどうにも我慢がならず、「最悪の台本だ、Mozart もLorenzo Da Ponte との手を切るべきだ」などと言い出す始末であった。
かくしてLorenzo Da Ponte はMozart という天才作曲家と組むことにより一躍Christian の倫理観、貴族支配の中世に対する劇作家としての挑戦の目的を達したのである。
しかし、あらゆる試みはその終末の時を迎える。Mozart が若くしてこの世を去ってしまったのである。
Mozart の死に直面し、Lorenzo Da Ponte もMozart 以外とはCombination を組まないと覚悟をしていたので、さっさとVienna を去り、London を経てNew York に渡り、渡ったNew York ではColumbia 大学で劇作家、Scenario Writer としての講座を持ち、生徒達に教える後半の人生を歩んだのである。
このようにLorenzo Da Ponte が活躍したのは皇帝Joseph 二世、Mozart の全盛期のわずか1780年代から1790年代の10年間ほどであるが、Lorenzo Da Ponte が世に放ったOpera は「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」、「Cosi fan tutte 」という世界最高のOpera であったのである。
Mozart が曲を付けたことによってMozart のOpera と言われるが、実はユダヤ人劇作家、台本作家、Scenario Writer のLorenzo Da Ponte のOpera であり、Lorenzo Da Pointe が当時の世に放ったChristian 文化、貴族支配への一大挑戦の3大Opeara であったのである。
当時これといったMedia や無論Twitter などもない世の中に於いて、社会を動かす最も影響力のあるMedia はOpera であったことを考えると、Lorenzo Da Ponte のユダヤ人としての社会変革の決意が沸々と蘇ってくると言える「Figaro の結婚」、「Don Giovanni」そして「Cosi fan tutte 」であると言わざるを得ない。
かくしてLorenzo Da Ponte の名前は永遠の不出のユダヤ人劇作家として明記されなくてはならないと言えるのである。
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