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Kanji Isaac Ishizumi
 
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<< ユダヤ人としての南氷洋調査捕鯨に対する考え方、意見表明 | main | ユダヤ人への批判を大募集して久しいですが、 >>

    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
経営塾の講演「ユダヤ人に学ぶ」
司会:皆さん、こんばんは。よくいらっしゃいました。ご案内した時には、こんなんで客が来てくれるのかなと心配していたのですが、それでは石角さんに悪いなと思っていたんです。こんなにユダヤ人に興味のある方が、しかも顔ぶれを見るとバラバラなんですよね、業種がね。なんでXXさんが来てくれたのか、XXさんが来てくれたのか、まあXXさんはいつも来てくれるからいいんだけどね。ちょっとXXさんだって本当にビックリしていますよ。興味があるんですか?
 
     石角さんの私が知っているだけのことでご紹介します。元々は京都の江戸時代から続く扇屋さんの息子なんです。そこを本当は継がなければいけないのに弁護士の道を選ばれて、京大を出られて、それでハーバード、ペンシルバニアで法律の勉強をされて、通産省に入られて、それで辞められて弁護士に。うちの夜の会のメンバーです。それである時に案内状が来まして「私はユダヤ人になりました。」そういうパーティを開くというので、私は病気が治ってから半年も経たないでフラフラしていたんだけど、行ったらいきなりスピーチを頼まれて。訳の分からない所に行って訳の分からないスピーチをして帰って来たんだけどね。やがて本が出て、「だから私はユダヤ人になりました。」というんだけど、「一体何だ?」と思って、しょうがないのでこっちも少しこれを読んで勉強したんです。
 
私が感じたのは、要するにユダヤ人というものに驚いたのではなくて、日本人がいかに知識を詰め込まれるだけで、哲学的なこととか人生とか、そういうものに対する教育を一回も受けていないということなんです。それでユダヤ人の生活を読むと、とにかく子供の時から色んな戒律があるし、要するに子供に哲学的なものを植え付けようというユダヤ人の教育に対する熱意がある。旧約聖書を読みこなすことでそれはよく分かるんだけど、旧約聖書を探したんだけどないんだよ。小説旧約聖書というのはあるんだけど。不勉強のまま来てしまったんですけれども、その謎を今日は石角さんに解いてもらう。
 
彼はユダヤ人になりたいと言ってアメリカのそういうユダヤ教の教会に行って、牧師に言ったら「そんなに簡単にはなれないよ、ユダヤ人には。うんと勉強しなければなれない。」と言うので、彼は日本に帰って、日本の教会に行って牧師に同じことを言われて5年ぐらい勉強したんですよ。それでテストを受けてやっとユダヤ人になれたと言っているんです。なんでそんなにユダヤ人なのか、非常に不思議だし。
 
しかし世界のキーマンというのはほとんどユダヤ人ですから、そういうことを考えると「ああ、そうか。ユダヤ人というのは我々と違う教育を受けたんだな。」と思ったわけです。今日はその秘密を石角さんから聞こうという訳です。どういう話をされるか分からないけど、私の基本的な興味は、子供の時から旧約聖書を叩き込まれる訳だよね。その旧約聖書とは一体何なのか、それから、なんでユダヤ人はそう基礎的、哲学的教育をやるという考えなのか、その辺を我々に分かり易く説明してくれますか。よろしくお願いします。じゃあ。
 
石角:パソコンの操作があるので座らせてもらいます。今日はYou TubeだとかPowerpointだとか、現代技術を全部駆使して、DVDまでやりますから、アシストがいないと全然出来ないので。
 
ユダヤ式にやらせてもらうと質問がないとユダヤ式じゃない、議論がないとユダヤ式じゃないのですが、とにかく今日は無関心と誤解を出来るだけほぐしていきたいと思っています。
 
日本に最も悪い影響を与えたユダヤ人というのは「Japan as Number One」を書いたエズラ・ボーゲルです。これが日本を舞い上がらせてしまった。
 
もう一つは山本七平というえらい文人が居たそうですが、「日本人とユダヤ人」という本を書いて、自分はユダヤ人でも何でもないのにユダヤ人と偽ってイザヤ・ベンダサンというペンネームを使って書いたものだから、そこに書かれているユダヤのことが本当にそうかと非常な誤解を与えたんです。ユダヤ人でない人が自分はユダヤ人だと嘘をついた。虚偽表示ですね。ユダヤのことを知らないのに、さも知っているように嘘をついた。そして日本人がこの嘘を信じてしまった。この辺が誤解の始まりですね。
 
ユダヤ人に最も尊敬されている日本人。これは僕じゃないですよ、(笑い)僕じゃなくて実際の人物は僕なんだけれども、その隣に居るのが銅像で、杉原千畝という人です。この人はユダヤ人がナチスに迫害された時に、今のエストニアの一等書記官の外務官僚をやっていたんです。この人がユダヤ人を逃さなければいけない、可哀想だということで人道主義者で、6000人ものビザを、もう手がおかしくなるぐらいバッバッバッと打ったというお陰で、ユダヤ人が日本経由でナホトカから舞鶴、舞鶴から神戸、神戸からアメリカということで逃れて行ったユダヤ人の中に元のシュルツ国務長官だとか、シカゴ・マーカンタイルの理事長だとか、そういう人達がいっぱい居る訳です。一番感謝をしているのは日本人でこの杉原千畝さんです。
 
結果として最も日本に悪い影響を与えたユダヤ人はジェイコブ・シフという人で、日露戦争の前に高橋是清が「戦艦を買う金もないから何とかしてくれ」ということで、色々と世界中に日本の戦時国債を売りまくったんです。誰も買わない。今の国債と同じですね。その時に高橋是清に「高橋さん、貴方お困りやおませんか。買ってあげましょうか。」と言って近づいたのが、このジェイコブ・シフというユダヤ財閥だったんです。この人がロスチャイルドに繋がっていて、それで日本の明治政府が出した戦時国債を70%近く買ってくれた訳です。それで戦艦を買って日露戦争を勝ち抜いた。そのお陰でまた舞い上がってしまって、第二次世界大戦までいってしまったという意味に於いて、これは悪い人じゃないかと僕は分類しているんですが。ジェイコブ・シフは日本の外交史上、財務史上では最も日本を救済した人だと言われていますが、最も悪い影響を与えたユダヤ人です、僕から言うと。
 
さて、私は改宗してユダヤ人になりましたけれども、改宗者というのはユダヤ社会に於いては最も指導的、規範的、模範的なユダヤ人で尊敬されるのです。それは何故かということは後でゆっくりとご説明します。
 
それで私が立つ位置付けですが、ユダヤには色々な宗派があります。一番ダラかんと言うか、アメリカのユダヤ人達はリフォームというグループに所属していますが、「ユダヤの戒律なんかどうでもいいじゃないか。豚肉を食べてもいいじゃないか。シナゴーグに行かなくてもいいじゃないか。」というグループです。心とか信仰をあまり大事にしない。これはリフォームと言われる。でもこういうユダヤ人も年に一回だけヨム・キプールの大贖罪の日は皆シナゴーグに来るんです。そういうダラかんのユダヤ人が一番外に居て、その次に「いや、やっぱり戒律はちょっと守った方がいいんじゃないか。」というグループがコンサバティブというグループです。これはアメリカで約半分ぐらいはこのグループです。
 
更に一番厳しい戒律を要求するグループがオーソドックス・グループと言って、これはイスラエルを中心にあの例の黒い帽子で髭がガーッと生えているユダヤ人が居ますね、あのグループです。私はその中の更に戒律と信仰を厳しく求めるウルトラ・オーソドックスというグループに所属しています。従って、今からお話しすることはウルトラ・オーソドックスのお話であって、皆さん方が商売上付き合っておられるユダヤ人は全部違う。「あいつらは豚肉を食っているぞ」ということをおっしゃられても、それは僕が所属している宗派じゃないということをまず理解しておいて頂きたい。
 
戒律と心の問題というのは実は2つ絡み合っています。戒律を守らなければ心は神に近づかないと思っている。ところがユダヤのある一派、ハシディズムという一派は「いや、心だけで十分だ。心さえ信仰さえしっかりしていれば神に近づくことが出来る」と言ったのがイエス・キリストです。あれはユダヤの元一セクトだったのです。心だけで十分だ、戒律なんてどうでもいいじゃないか。心だけでイエス・キリストの再来を信仰すれば神に近づけることが出来るというので、もう儀式も何もいらない、割礼も何もいらないと言い出したので、もの凄く信者を集めたのです。それで今のキリスト教というのは世界で数十億人という信者を集めるキッカケとなっている。我々は儀式も戒律も心も両方要求したために未だに世界で1500万人ぐらいの信者しかいないという状況です。
 
それでユダヤ人の行動を律する規範にはテシュバとヨム・キプールと2つあります。
 
テシュバというのは毎日何か人の道に逸れたことをしなかったということを毎日考えるのがテシュバです。この曲線で見て頂ければ分かるように、人の道というのは二次元で言うと左右にずれることが度々あります。例えば、スピード違反をするじゃないですか。そういう時に「この次はスピード違反をしないようにしよう。」というのが毎日懺悔をするのがテシュバです。
 
もう一つのヨム・キプールというのは年に1回ある訳ですが、年に1回の大贖罪日に神に向かって懺悔をするのです。私は人の道に反したことをしなかったか、利益の追求ばかりに走って色々な虚偽の表示をしなかったか、法律的に違反しなくても悪いこと、神の目から見て悪いことというのはある訳です。それをしなかったどうかを三次元的に考えるのが、ヨム・キプールの大贖罪日なのです。このヨム・キプールの大贖罪というのがイスラムのラマダンに繋がっていますが、これが我々ユダヤ人の行動規範になっています。
 
チーズバーガーと果樹園。これには面白い話があります。先ほど言ったように戒律と心の問題があります。チーズバーガーを我々は食べません。それは何故かと言うと、聖書の中に「牛乳と肉とを一緒に食べてはいけない」という規定があるからです。その元々は「子牛の肉を子牛を育てる母親の牛乳で煮てはいけない」という聖書の規定から派生して出てきた言葉、考えなのです。だからチーズバーガーは我々は絶対に食べない。それからビーフステーキと、例えばバターと一緒に食べることは絶対にない。ミルクと肉製品とを一緒に食べることも絶対にない。これが戒律なのです。
 
「戒律さえ守っていれば果樹園の中の実に行き渡る」と考えるグループと、「いやいやそうじゃない、果樹園の中の実だけを求めて行けば誰でも神に近づくことが出来るんだ」と考えるグループがあって、実際ユダヤの説話というのは、4人のユダヤ教徒が果樹園の中に入って行っても実にたどり着くのは一人だけで、あと3人は森に迷ったり、気が狂ったりしてたどり着かないんだという説話があります。
 
だから戒律と心の問題はバランスが取れていなければならないというのがユダヤの考え方です。そんなことを話していると、朝日新聞が「ユダヤ人はなんで頭が良いんだ、ということを書いてくれ」と言うので「天才頭脳のつくり方」という本を書きました。小学館が「日本人は何もユダヤのことについて知らないから書いてくれ」と言うので「日本人の知らないユダヤ人」、「ユダヤと言えばお金儲けじゃないか、だからお金儲けの方法を書いてくれ」と言うから「いや、そんなことは書けない」と言ったら、「ユダヤとお金儲けとはいかに関係がないかということを書け」と言うからそういう本を書いたのです。「お金とユダヤ」これが何とソフトバンク出版から出しているので、本屋さんと内容とは最も相応しくないことになっているのですが。(笑い)さて、今までのところで何かご質問ありますか。
 
AA:ユダヤ教徒は質問して答えるということの繰り返しで、自分がだんだん・・
 
石角:「質問なきところにユダヤなし」
 
AA:そういう考えがあるらしい。だから質問して下さい、手を挙げたらご指名しますから。
 
石角:早口で申し訳ないのですが、しゃべることで用意したことが多くて。
 
BB:石角さんはどうしてユダヤ教にこれだけ力を入れるようになられたんですか。心境の変化したところを伺いたいのですが。普通我々はなかなかユダヤ教というのは、聞いてはいますけれども、それこそ深刻に考えたことはないので。
 
石角:非常にいい質問で、ユダヤは質問に対して質問で答えるのですが、「では貴方は何故仏教徒のままですか?」これがユダヤ式の答えなのです。「貴方は仏教徒ですか、それとも神道イズムですか?」という質問に逆になってしまうんですね。僕がユダヤ教徒に改宗したのは、今からYou Tubeの音楽を流しますが、実に楽しい。何故楽しいかというのは今からYou Tuneの音楽を流します。これが私が通っているニューヨークのシナゴーグです。それ以外にも世界各地のシナゴーグがこのYou Tubeで出てきますが、あちこち私も行ってますが、実に楽しい。何故楽しいか? 一つは祈りがもの凄く楽しい。そのユダヤの祈りというのはどういうものか、今からYou Tubeを流します。
   (・・・・・・・)
 
BB:のど自慢になると思わなかったね。(笑い)
 
石角:これがシナゴーグの中で実際に我々が捧げている祈りの楽しい方の祈りです。「これは楽しいな」というのも一つの理由です。
 
CC:石角先生、貴方は何故ユダヤ教に興味を持ったかというBBさんの質問に答えていないから答えて下さい。
 
石角:答えていますよ。一つは中に入って楽しかった、と。だから何故中に入ったかということですが、一つは私が病気をした時に命を救ってくれた医者がユダヤ人だった。僕のHarvardの友人で今もずっと一緒に仕事をしている仲間達は全員ユダヤ人だった。3番目は、うちの女房はニューヨークでオペラをやっていますが、その関係者は全員ユダヤ人です。オペラの先生もピアニストも舞台も全部ユダヤ人だということで、必然的にこれに興味を持つようになって勉強を始めたということです。
 
BB:何か最初ニューヨークのユダヤの教会に行って「入れてくれ」と言ったんだって?「ユダヤ人になりたい。」とそうおっしゃって。
 
石角:それで行ったら「いや駄目だ」と。もう一度行っても「いや駄目だ」と。3回目に行ったら「ラバイに会え」と言われたんです。僕はその時ラバイというのがユダヤ教のいわゆる牧師さんのことだということは全然知らなかったので、4回目に行って「ミスター・ラバイに会わせてくれ」と言ったら笑われました。「ミスター・ラバイという人は居ない。ラバイ何とかという名前に付いている人はいるけれども、そういう人は居ない。」とまた追い返された。やっとラバイに会えて「ちょっと勉強したいんだけれども」と言ったら、「今までどんな本を読んだことがあるか?」と聞かれたので「いや、何もない。」「バーンズアンドノーベルズに行ってこれだけの本を読んでこい。」と10冊ぐらいのリストをもらって、それを買って読み出した。それでもう一度「これとこれを読んだ」と言ったら「じゃあ、いいだろう。週1回ユダヤ講座があるからそれに参加しろ。」と。僕は先生に「どのぐらい時間がかかりますか?」と聞いたら「週1回だったら10年ぐらいかかるな。」だからかえって「10年かかるなら何とかやってみよう」という気になった。そこで日本に対して皆さん方がこれがユダヤだったのかというのが一つあります。それを今から聞いて頂きます。これもユダヤの祈りの一つです。
(・・・・マイマイマイマイマイヨエッササの歌・・・・・・・・)
聞いたことがあるでしょう? 僕らが小学校の時に習った「マイマイマイマイマイヨエッササ」という歌です。これがユダヤの祈りで、翻訳すると「砂漠の中で水が見つかった」という歌です。祈りの一つです。これは恐らく皆さん方が聞いたことのあるユダヤの祈りの唯一のものじゃないかと思います。さて、ユダヤの祈りというのは皆さん方が考えているような厳かなものではない。それはシナゴーグの中に入らなければ分からない。入る為にはえらい苦労と勉強ともう一つ試練が必要。試練というのは何か? 割礼です、男の場合。女性は割礼はありませんが男の場合は割礼がいります。
 
AA:石角さん、割礼というのは子供の時にやるんでしょう、向こうは?
 
石角:ええ、でも改宗者は改宗の儀式の一つです。だから成人割礼です。
 
AA:大人になったら割礼なんてする必要がないからね。ひとりでむけて来るから。
 
石角:でも駄目なんです。包皮というのが完璧に取れてないと駄目なんです、ユダヤの割礼は。
 
AA:それはね、普通の男はむけちゃうんですよ。
 
石角:いや、むけても包皮が残っているんですよ。それではユダヤ人にはなれない。取らなければいけない。その取る手術が本格的な外科手術で、1時間半ぐらい手術台に横になっていました。その間ずっとラバイが付き合っていて、ユダヤの戒律に従った割礼手術が終わったかどうかを確かめる。だから簡単にはなれないし、僕の知っている限り日本の男性で改宗を成し遂げたのは僕しかいないと思います。聞いたことがないです。
 
我々はオラムハバとオラムハゼという2つの世界の中で、オラムハゼの方に重点を置いている宗教です。今の現世をどうやって楽しく生きるか。ただ現世は苦悩と苦難に満ちているということは十分認識しなければいけない。
 
これは僕の娘の結婚式です。フッパというユダヤの着付けの材料、身を包む衣ですが、これの下で結婚式をするのですが。この結婚式の時にオラムハゼについての苦難を。だから日本の結婚式とは全く違うのです。それを今から一つお見せします。象徴的な出来事があります。これがYou Tubeの中のサンライズ・サンセット
   サンライズ・サンセットというのを皆さん方聞いておられると思います。森繁久彌が日本ではずっと公演していた「屋根の上のバイオリン弾き」。ロシアのユダヤ人の生活をミュージカルにしたものです。1960年です。この中で一番有名な曲が「サンライズ・サンセット」で、ユダヤ人の結婚式の場面があります。この結婚の場面である行為があって、その行為というのはユダヤ人が人生をどういう風に考えているか、最も祝うべき結婚式をどう考えているかということの象徴的な行為があります。それを今からお見せします。何か今までのところで質問がありますか?
 
CC:ウルトラ・オーソドックスというのはユダヤのエリートですか?
 
石角:いやいや、エリートも何もないです。
 
CC:どういう立場なんですか?
 
石角:まず格好は、僕みたいな格好をしていないんです。こういう平べったい山高帽をかぶっています。それで身体に刃物を当ててはいけないという聖書の規定に従って一切髭を剃っていないから、ハサミを入れませんから、こういう髭が生えてきている、この辺から。
 
BB:割礼はどう?
 
石角:割礼は勿論生後8日目に皆やられていますから、その点だけは例外。
 
CC:では、戒律を一番厳しく守る
 
石角:戒律を一番厳しく守っているグループです。戒律というのは、我々には613の戒律がある。皆さん方は7つの戒律がある。十戒マイナス3ぐらいでいいんです、皆さんは緩いんです。僕らは十戒と613の戒律があって、それを守らなければいけない。一番日常生活で厳しい戒律というのは食事戒律です。あれを食べてはいけない、これを食べてはいけないというのがもの凄く沢山あります。それからお酒も限定されています。ワイン、それを飲むのは安息日だけ。安息日だけで飲めるワインはユダヤ人の農園でユダヤ人が栽培し、ユダヤ人が醸造してユダヤ人がビンに入れてユダヤ人が栓を抜いてユダヤ人が洗ったコップでないと飲めないのです。だから必然的にユダヤ人というのはユダヤ人以外と食事をしない。
 
DD:皆さんも興味があると思いますが、サンデル教授ね。マイケル・サンデル Harvardの。ユダヤ人ですが、彼は先ほどのCCさんの質問に追随するとどの辺の宗派になるんですか。
 
石角:彼に聞いたことはないので。彼の講義は受けたことはあるけれども聞いたことがないので分かりませんね。
 
DD:どちらかと言うと我々が普通付き合っているユダヤ人というのは
 
石角:リフォーム。アメリカのビジネスマンで例えばソロモン・ブラザーズとかリーマンとか、ゴールドマン・サックスで働いている連中というのは99%リフォームだと思って間違いないです。だってこんな格好でビジネスしていられない。僕もそういう格好をしていないので。
 
DD:私は石角さんがユダヤ教に改宗したというのはよく分かるんです。というのは、回りに居てそもそも教えが勉強することで、自分のこれまでの生き方とある意味では共通性があると思うんです。突然例えば石角さんがマザー・テレサみたいになるというのは、私から見ても考えにくいと思うのですが、石角さんがオーソドックスになった、あるいはユダヤ人・・・・そういったことはよく分かるんです。そっちの方はどうなんですか。議論をするだとか
 
石角:議論はしょっちゅうやっていますよ。Powerpointの中でそこのところを出しますが、我々は週に1回安息日の食事をユダヤ人達とシナゴーグでしますが、その時に野球の話とかゴルフの話とかサッカーの話とかは全然話題にはならないです。どんな話をしているか? 今から実例をPowerpointでお見せします。後で出てきます。それでこの現世を我々がどう考えているかということの象徴的な出来事が、このサンライズ・サンセットの結婚式の場面で出て来るんです。ちょっとお見せします。
 
CC:石角さん、質問と答えにして。
 
石角:質問と答えにしてもらいたいという要望があるんですが。今の質問に答えますと、例えば、こういう議論をしています。「神は全知全能である。ならば神はご自身が動かせられないぐらいの大きな岩を作ることが出来るはずだ。よって神は全知全能ではない。」ということについて、この三段論法が何かおかしくないか、というようなことをよく食事の席で議論をします。それから、例えば、自分の家に泥棒が入った。その時に捕まえて調べてみると、その人間がユダヤの青年だった。その時に日本の警察に突き出すべきかどうか、というようなことも議論しています。ある所に煙突から二人の泥棒が煙突を下って降りてきた。一人の顔に煤が付いている。リビングルームに降りて来て顔を見合った泥棒がどちらの顔を拭くだろうか、というような議論もしています。これは物の見方を、次元を変えると真理というものは複数あるんだということの訓練です。先ほどの一番分かり易いのは、「神は全知全能である。よってご自身が動かすことが出来ないほどの岩を作ることが出来る。だから動かせない岩があるんだという神は全知全能じゃない。」という三段論法が何故変なのかということを真剣になって議論しています。だからというのかよく分かりませんが、我々は西洋のプラトンの思考と違って抽象から現実に入りますから、深く物事を考えてCritical Thinkingの訓練というのは、こういうユダヤの食事の場所で小さい頃から為されていくんじゃないかな。それがユダヤ人がノーベル賞受賞者の約3割、ほとんどの偉大な思想家の大半を輩出して来た大きな秘密じゃないかと思います。こういう感じがします。他に何かご質問ありますか。
 
EE:旧約聖書がユダヤ教でしょう。新約聖書はキリスト教ですか?
 
石角:そうです。
 
EE:どういう違いがあるんですか。
 
石角:新約とか旧約とか、まず言わないでもらいたい。我々の聖書はあれしかない、The Bible。新約というのはイエス・キリストの使徒達が書いたもので、違いというのは、新約聖書の方は我々のバイブルに対してかなり批判的なことが含まれている。それからもう一つは、イエスの教えに関して使徒達が書いたものだから、私の感じでは、キリスト教の教えを広める為に色々と創作された部分がある。我々は新約聖書を読まないし、読んだこともないです。バイブルというのは我々には旧約聖書だけ。オバマ大統領が宣誓式で手を置いたのは、紛れもなく我々の聖書だと思っています。新約聖書じゃないと思います。何故か? あの偉大な大統領のエイブラム・リンカーンもユダヤ人だったし、それ以来宣誓式で手を置くのはThe Bibleだろうと。誰も検証のしようがないですけどね。答えていますか? 
 
FF:最初のところで山本七平さんが誤解を招いたという話がありましたが、大宅壮一賞の第2回目の受賞者なので責任がある気がしたんですが、彼の著作の中の何がどう間違い、間違いなのか、彼の解釈がおかしいのか、手短で結構ですが。例がいちいち違っているとか、何か色々あると思いますが。
 
石角:僕もあれを本がボロボロになるぐらいに読みました。今何か記憶に残っているかと言ったら何もない。ただ一つ言葉だけがかなり独り歩きしている面がある。それはユダヤ人は空気と安全について、これはタダだと思っていない。コストがいるんだ。日本人は空気と安全はタダだと思っている、という箇所がありました。僕がユダヤの中に入って感じたことは、安全という問題について我々が議論したことはほとんどない。だから防衛だとか安全だとか、そういう問題については宗教の教義の中には語られていないのではないかと思います。まして安全にコストがかかるなどという議論はユダヤ教の中にはない。山本七平のフィクションだ。それと山本七平さんがイザヤ・ベンダサンかどうか分かりませんが、もしそうだとすると、それは困ったことだという感じがします。あれはやっぱり実名で書かれるべきじゃなかったか。そうしないとユダヤ人がああいう風な対比で語られることに関しては、我々ユダヤ人から見ると多々虚偽のところがある。そういう感じがします。
 
GG:今のお話の安全を考えたことがないということは、安全という、戦い、争いというものがあるのに安全というものを考えないというのはどういうことですか?
 
石角:ユダヤ人の思想の中で、奇跡というものについて色々な議論があります。今日のPowerpointの中でモーゼの十戒の場面をお見せしようと思って持って来ましたが、例のエジプトの軍団がユダヤ人を追って来て紅海まで追い詰められる。それでユダヤの民が追い詰められて、「助けてくれ」とモーゼに言った時に神の力で紅海が真っ二つに割れるという場面がありますね。あそこがユダヤ人が安全という問題、身の安全という問題について考えた唯一の場面だろう。あの時に神が奇跡を起こしてくれた。ユダヤにとって安全というのは神の奇跡の問題であって、日常の問題ではない。日常の問題については戒律を守るということが全てである。その結果として、戒律を守って、例えば安息日には車を運転してはいけないので歩かなければいけない。その時に車にはねられた。死んでしまった。それはそれとして仕方がないことだ。戒律を守っていることの方が重要だ。だから安全は神の奇跡によって保障されることはあっても、戒律を守ることによって保障されることはあるかないかは、それは分からないという考え方です。戒律を守っていてもテロで殺されることはある。だからやっぱりユダヤ人は安全が自分達のコストだという風に思っているということは、少なくとも宗教教義の中ではないと思います。この点が山本七平の嘘だったと思います。彼はユダヤことを何も知らない。今のイスラエルとパレスチナの問題とか、それは別ですよ。他に何かご質問は?
 
II:戒律についてですが、ユダヤ人は深く物事を考えていく、あるいはCritical Thinkingがどちらかというと得意ですよね。そうすると、この100年ぐらいで戒律自体を見直した例というのはあるんですか?
 
石角:ありますよ。リフォームがまさにそうです。守らなくて良い戒律というのはリフォームにはもの凄く多い。極端なことを言うと、海産物について海老、イカ、タコ、シャコとかを食べるユダヤ人達は結構増えてきています。でもBibleではあれは食べてはいけない。
 
II:宗派の中で変えていく。じゃあ、石角さんが属しているウルトラ・オーソドックスでは絶対に、どうであっても、世の中がどう変わろうが、気温が変わろうと、絶対に変えない?
 
石角:絶対に変えられない。だから今のIIさんのご質問で一番典型的な例は、こういうことはよく食事の時に議論するんですよ。十戒の中に「汝、人を殺してはならない」と書いてあります。あれは刑事規範ではないんです、道徳規範なんです。日本の刑法は人を殺したら刑に処すと書いてある。殺していいか悪いかについては一切書いてない。極端なことを言えば、刑に処されることを覚悟すれば人を殺していいのかも知れない。だから、あれは刑法なんです。十戒は道徳律だから、明確に「殺してはならない」と書いてあるんです。それで食事の時にどんなことを議論するか? 自分の額にテロリストが銃を突きつけて、「お前に拳銃を与える。それでそこに居るお前の娘を殺せ」、あるいは「そこにいる看守を殺せ」と言われた時に、十戒の教えを守って絶対に引き金を引かないのか。そうすると自分は殺される訳です。それを避ける為に自分はピストルを持って自分の頭を打つべきかどうか。つまり自分の娘を殺すことは出来ない。じゃあ、自分を殺していいのか。「人を殺すなかれ」という中に自殺を認めても良いのかというような議論もしています。唯一安全とか何とかを考えるのは、その戒律が現実の場面に於いて問題になった時だけです。だから、僕が改宗の試験の中で最後にユダヤの長老達が5〜6人出て来て僕に色々な矢継ぎ早の質問を投げかけて来た。その一つに「お前が飛行機に乗っていてテロリストがその飛行機を乗っ取った。それで『まず最初にユダヤ人から殺していく。ユダヤ人は手を挙げろ。』という風に乗客に向かって言った時にお前は手を挙げるか?」と言われた訳です。そういう時に初めてユダヤ人というのは安全について考えることはあります。自分の身の安全をどうやって守るか? 現実にそういう目に遭ったユダヤ人というのはもの凄く多いです。ユダヤ人が思うには、その時は神が奇跡を起こしてくれることを請い願うのだが、それでも救われなければ戒律を守ろう、というのが僕の所属するオーソドックス、中でもウルトラ・オーソドックスの立場です。だからユダヤ人が手を挙げなければ、その乗客を軒並み殺していくというような状況になれば、「汝、殺すなかれ」という立場で自分が自殺することになっても止むを得ないから手を挙げる。こういう形になる。こういうようなことをよく議論するんです、食事の時に。だから、食事は普通の日本人だったら美味い訳がないと思います。だけど我々はこういう議論が食事を美味しくすると考える人達なんです。変わっています。
 
BB:石角さん、貴方は一番合理的な仕事をしている訳ですよね、法に則って。その石角さんが何故ユダヤ教にそんなに興味を持って、ユダヤに入って我々が考えられないような戒律みたいなものに浸かって、疑問を感じないですか?
 
石角:例えば茶道をしている人が、なんであの茶室に入る時に礼儀作法についてあれだけうるさいの? というようなことを考えると、僕はそれは本質的に同じじゃないかなという気がします。作法とか戒律とか儀式とか規則とかいうものがあって、初めて心の自由が解き放たれるのではないかというのがウルトラ・オーソドックスの考え方なんです。リフォームは、「いや、そんなものはいらない。信心さえあればいいんで戒律は守る必要がない。」だから仏教の中でも禅宗とかは我々ウルトラ・オーソドックスの考えに近いんじゃないでしょうか。そう僕は思います。浄土宗とか浄土真宗とか、比較的現世的な宗教、仏教の派については、我々の言うリフォームに近いんじゃないでしょうか。だからと言って、何か自分の身体を痛めつけるような業をやらないと悟りの境地に達しないという風に考えている訳ではない。ただ4000年間守って来た旧約聖書、The Bibleの教えの定めに従って生きていくことが一番道を誤まらないんだと考えています、我々は。
 
AA:質問がありますか。皆さん、今日は好奇心で来ておられると思うんだよね。それを満たして帰って下さい。
 
HH:石角さんのご本でもユダヤの逸話で、自分の子供、小さい子供が神の存在について疑問を呈すると親はすごく喜ぶというような逸話を書いています。そういう中で石角さんにとって今ユダヤ人としての神の存在の意義、神をどういう風に捉えていらっしゃるのかなと。
 
石角:僕は何教から改宗したのかとよく聞かれますが、皆さん何教なんですかね。普通の日本人は何教なんですか。そこがやっぱり一番嫌だったという風に言えばいいのかな。よく外国で「What is your religion?」と聞かれますよね。どこの国だったかは忘れましたが、入国の時に自分の宗教を書く欄がある国があります。あそこで皆さん仏教と書くんですかね。そうすると、訳が分からないのは12月のクリスマスはドンちゃん騒ぎをするでしょう、大晦日は仏教、正月は神道でしょう。神社仏閣に行きますね。そうすると僕は、日本人は神道か。いや訳が分からない。だから改宗と言われるとちょっと困るので、入信と言った方がいいのかも知れないですが。
 
HH:神の存在があるかどうかで、いろんなことがあると思いますが、神の存在をユダヤ教になる前となった後で、何と言うんだろう、変わったのか変わらないのか。私の家内がクリスチャンなので心情的にはほとんどそれに近いと思いますが、ただ入信している訳ではない。けれど確かに神という存在を無しにして色々なことを考えるのはすごく難しいと思っています。どこかに属したいなということはありますが、実際にその中で一番ある意味ではカトリックよりももっと戒律が厳しい国、そういうところに属していって、属す前と属した後で自分と神との距離がどういう風に変わったですか?
 
石角:いや、属する前は考えたこともなかったです。ユダヤ教で僕が勉強させられて一番驚いたのは、「ユダヤ人は神を疑わなくてはならない」と言うんです、ラバイが。恐らくウルトラ・オーソドックスもリフォームもコンサバティブも、どの宗派も神を鵜呑みにするということを教えるところはないです。聖書を勉強する時に、いきなり聖書のページを開いて「お前、どこかおかしいところはないか?」とラバイが聞いて来るんです。「世界が6日間で創られたというのはおかしくないか?」だから神の存在を疑わないのはユダヤ人ではない。しかし神の存在を信じて疑わない、鵜呑みにしてしまうというのもユダヤ人ではない。だから我々は日々勉強しなくてはならない。先ほどのように「神は全てのものの創造主である」と言うと、これは間違っていますね、多分ユダヤ的には。そんなことを言うと、「神は全てのものの創造主だ。よって神はヒットラーを創られた。従って、アウシュビッツは神の望んでおられるところだ。」と、こういうことになる訳です。先ほどの神が動かせない岩の例と同じ。
 
僕が何を学んだかというと、ユダヤの考えでは、神を人間の言葉で形容することがそもそも出来ないんだ、と。だから敢えて人間の言葉で形容するならば否定形しかない。「神は形がない、神は姿がない、神は光っているものでもない、神は触れることも出来ない、神に匂いはない、」という否定形でしかない。そうすると、あらゆるものの否定の中にあるものというのは一定何なのか? それは、絶対的な超越をしているものであり、全ての中に抱一されているものであり、あらゆる存在を存在たらしめているものである、というような言い方しかない訳です。全然訳が分からない。訳が分からないから考える以外にない。だからと言って良いけれども、ユダヤ人というのは思想家が多いのはそのせいだと思います。スピノザもそうだし、カール・マルクスもそうだし、フロイトもそうだし。あのアインシュタインもそうだし。まあ、最も思想家というのはイエス・キリストですかね。考えざるを得ない。
 
仏像というお姿があったら、それは簡単です。仏像だとか、鑑真和上の像とか何か、それに手を合わせていればいいのだから。だけど我々はモノシズムであって、そういうお姿、偶像を一切禁止しているのです。あってはならない。
 
GG:仏教は平和主義だと思うんですよ。そういう運動もしている訳ですけれども、ユダヤ教というのは、世界の平和とか、あるいは核兵器とか、そういうことについてはどういう考えですか?
 
石角:ユダヤ教と平和の考えについては先ほどの安全の問題ですけれども、こういう風に考えています。神はエデンの園で人間に善悪の木の実を食べていいとはおっしゃっていなかったのに食べてしまった。しかし食べた以上は人間には善悪、2つが兼ね備えられた。自由意志を持った。従って、人間には悪を為す自由意志もあれば、善を為す自由意志もある。従って、悪がこの世にはびこることも神がある創造をされた結果だ。我々はそれを少しでも少なくさせていく努力をしなければならない。それがユダヤ人の神に対しての約束事だ。そこから契約理論というか選民思想が生まれてくるのです。
 
従って、先ほどの戦争の問題に移りますが、戦争のない世界というのがユダヤの理想であることには変わりはないし、それから「人を殺してはならない」という十戒の教えがそこから来る訳です。動物愛護というのはユダヤの最も基本的な思想です。だから肉食は基本的に禁止なのです。だから我々はそういう意味に於いて動物愛護主義者であり、自然主義者であり、平和主義者です。
 
最もユダヤが今まで2000年間戦ってきたのは差別に対する抵抗です。これは今でも戦っている。だから差別をする人に対しては我々は戦います。差別を戦争という形でする人がいればそれは戦います。その差別というのはキリスト教徒がユダヤ教徒を差別するということは過去の歴史でずっとありましたが、ユダヤ教徒がキリスト教徒を差別したことはないです。あるいはユダヤ教徒がモスリムを差別したこともない。我々は受け入れています。モスリムとユダヤ教徒というのは元々同じ一神教の中から発生してきた。モスリムとユダヤは最も近い関係にある。ユダヤ教は今のバグダッドで生まれた。ユダヤ教徒はモスリムの中で保護されてきた。
 
一神教のユダヤの定義が神に名を与えない、またいかなる偶像も作らないし、書かないし、頭の中に想像しない。これは一神教の定義です。皆さん方が考えている一つしか神がないというのとは違います。一神教というのは偶像を持たないし、紙にも書かないし、神のお姿も想像しない、神の名を呼ばない。だから「天照大神」とかそういう名前も呼ばない。そういうのが一神教です。
 
GG:しかしイスラエルという国は非常に戦闘的な、何かむしろ好戦的な国かなという印象を受けるのですが。
 
石角:ええ、原子爆弾を持っていますしね。だから現体制の政治と我々が信仰しているユダヤ教とは全然別ですね。混同してもらいたくはない。
 
「好戦的な」とか「戦闘的な」という言葉をイスラエルに対して使うのは間違っていますよ。好戦的で最も戦闘的な国は歴史的に見て日本じゃないですか。

まず第一に、豊臣秀吉は自衛の為でもなく朝鮮に出兵した。2番目に満州事変は日本陸軍が仕掛けた。自衛の為でも何でもなかった。そしてパールハーバーは明らかにアメリカが攻撃を仕掛けていないのに攻撃を仕掛けた。こういう歴史を見ても日本ほど好戦的で戦闘的で国際ルールを守らずに自衛の為でない戦争を、しかも国家の目的を達成する為の戦争を相手が仕掛けてきていないのに始めた国だ。そういう日本人からイスラエルに向かって「イスラエルは好戦的だ」と言われたくはないですね。まず日本人のことを好戦的であり戦闘的であり、自衛の為の戦争ではなく侵略戦争を始めた国だということを認めるべきではないですか。
 
武器らしい武器を持っていなかった琉球王国(今の沖縄県)をいきなり武力進出し、日本国に併合したのはどこの誰だ?
2日清戦争は朝鮮の農民戦争をキッカケに日本が朝鮮に出兵した。全く自衛の為でも何でもないのに他国にいきなり出兵したのは日本だ。
   
AA:折角お見えになったのだから、話の中でユダヤ教に共鳴して俺も入りたいというような説得力が今までの話の中で私はないと思うのですが。折角みえたのだから、一人ぐらい帰依したいと思う人がいるべきだと思うんだけれどもね。(笑い)
 
FF:何が良くなるだろうと思ってそんなに努力して信者になられたんですか?
 
石角:多分僕の話を聞いてユダヤ教に改宗しようという気になる人はいないと思いますね。
 
AA:今までの話ではね。最後に、「皆さんユダヤ教はこんなに素晴らしい」という説得力でもって締めてくれませんか。あと5〜6分しかないから。
 
石角:それは残念ながら多分出来ないだろうと思いますね。というのは、ユダヤ教というのは一切布教をしない。布教をしない宗教なんです。それから伝道もしないです。そういうことは一切しないし、どのユダヤ教の宗派でもそれはしないと思います。求めて来た者に対しても拒む宗教なんです。分かってもらいたいなどと思ってもいない宗教なんです。孤立し、変わり者であることを求める宗教なんです。ですから、私も皆さんに共感を得たいとは全く思ってないのです。  
 
AA:確かにそうだね。貴方がニューヨークで「入りたい」と言ったら「勉強しなければ入れないよ。」と言われて5年本当に勉強されたそうだからね。それは確かにそうだ。
 
石角:イスラエルという意味がそこに帰着するんですが、イスラエルというのはヘブライ語で「神と私」なんです。「神と我々」ではないのです。だから「神と皆さん」ということではないんです。だから「My God」なのです。私が神と対話することがあっても、それを皆さん方に理解してもらおう、布教しよう、伝道しようという気は全くない。さらさらない。ただ材料は提供しますし、求めてくれば門戸は開くけれども、簡単な気持ちでちょこっと勉強しようという人は正直言って来てもらいたくない。だから、「シナゴーグをいっぺん見てみたいんだ」と言っても誰も入れてくれないですよ。
 
AA:シナゴーグというのは?
 
石角:ユダヤの教会のことです。誰も絶対に入れてくれない。
 
AA:石角さん、今日は残念ながら入りたいと思った人は居ないと思うよ。変な宗教という結論になっちゃうね。(笑い)
 
石角:それはしょうがないと思いますね。他の理解を得ることを目的としない宗教です。
 
BB:今唯一私がユダヤ教にあるいはと思うのは子供の教育の問題ですね。それについてユダヤ教と日本の今の教育について、まあここにもお書きになったのを拝見しますけれども。何か教えていただければと思います。

石角:ユダヤと教育についてお話すれば、また時間がずい分かかってしまいますが、我々の教育というのは人類史上初めて義務教育を始めたのは我々ユダヤ人です。150人のユダヤ人がいる所には学校を作らなければならないというのが我々の原始ユダヤからずっと続いている考え方です。教育は1対1の議論教育。だから5〜60人の教室で教えるという教育は原則としてやらない。そうすると誰がやるか? いつも傍にいる母親がやる。だから子供と母親との1対1の議論教育がユダヤの教育の基本です。その形はヘブルタ式教育という形でユダヤの中学、高校、宗教大学、全部ずっと受け継がれています。だから彼らの教育を見ていると、こういう風に1対1で座っていてずっと二人が議論している。答えはないというのがユダヤの教育です。答えはないです。ただ議論がある。議論が全て、質問が全て。それはそうですよね。答えは時代によって変わるけれども質問は時代によって変わらない。我々の考えでは真理というのは一つではないので、真理は複数あるというか真理は分からない。従って質問の方が重要だ。

JJ:ユダヤ教に改宗されて、される前と後では貴方自身は何が変わったんですか。幸せになったんですか?
 
石角:もの凄く忙しくなった。今までも弁護士として世界中を飛び回っていたが、さらに忙しくなった。1日24時間7 days a week という感じですね。
 
JJ:忙しさを求めただけなんですか、何が変わったんですか? 幸せというか生きがいというか実感というか、何が変わったんでしょうか。前と後では? 幸せになった、そういうことですか。
 
石角:そういうことですね。忙しくなったことは幸せなことだと思います。つまり仕事以外で忙しくなった。毎朝、毎夜2回シナゴーグに行く訳です。それから金曜の夜と土曜の朝午前中にかけてシナゴーグに居る訳です。土曜日の夜はシナゴーグで勉強会がある。世界中どこに行っても全てのユダヤ人が、まあリフォームの人は別として、コンサバティブの一部、オーソドックスの一部、ウルトラ・オーソドックスのほとんどは、そういう日常生活を送っているのです。それで幸せかい? 我々は幸せです。
 
JJ:知的満足感ですか?
 
石角:それもありますね。それよりも、精神的充足です。これはいくら暇でもお金があっても必ずしも得られない。我々はそれが単調な中に於ける繰り返しの幸せ。例えば、この聖書を我々は一生その人の寿命の回数だけ読むわけです。1週間を54等分して1年間で1回読みます。1回読めばいいじゃないかではない。来年も読むんです。さ来年も読みます。死ぬまで読みます。だからヨボヨボの爺さん・婆さんもシナゴーグに来て聖書を読む勉強会に参加しています。彼らに「それが幸せか?」と聞くと、「Yes」と言いますね。単調な繰り返しの中に於ける幸せというものを求めるのが、先ほど言いました「オラムハゼ」現世の苦悩に於ける幸せの見つけ方だ。
 
AA:それでは石角さん、時間が来ました。あとは食事をしながら雑談ということで。しかし、変わった宗教だなと思うけど共鳴しないね、なかなか。そういう意味では、石角さん、共鳴者を増やすという意味では今日は説得力が足りないよ。もっと・・・
 
JJ:増やしたくないんだもの・・・・・
 
AA:いや、そんなことないでしょう。宗教だからね。信者が増える方がいいじゃない。
 
石角:布教はしないし、共鳴してもらいたくないというのがユダヤ教です。ユダヤ人だけの宗教です。分かってもらう必要は全くない。  
 
JJ:信者証明書みたいなものはあるんですか?
 
石角:あります。改宗証明書が僕のパスポートですね。その改宗証明書があるとユダヤ人として認められるのみならずイスラエル国籍をもらえるのです。だから僕はいつでもイスラエル国籍の取得は可能です。いや、欲しくないでしょう? イスラエル国籍なんて欲しくないでしょう。それはそうですよ、イスラエル国籍をもらうと日本のパスポートを持っているよりえらい不便なんです。アメリカに入国出来ないんだもの。皆さん、イスラエルはアメリカとべったりだと思っているかも知れませんが、全然違います。イスラエルのパスポートを持っていたらアメリカにビザ無し渡航が出来ないんです。
 
JJ:ちょっと石角さんの弁護ということではないのですが、コメントなので質問ではなくて申し訳ない。私も子供を中学校から二人ボーディング・スクールという全寮制の学校に行っているんです。あるいはアメリカのビジネススクールに行ってみると、つくづくユダヤ人の連中の話をしていて・・・の本などを読んでいると、実はアメリカでやられている教育、あるいは今日本ですごく話題を呼んでいるマイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室とかの日本語訳をしていますが、あれはいわゆるアメリカでは全く普通に行われている教育なんだけれども、日本に来ると皆「ワーッ」と言って色々な人が反応している。逆に言うと、ユダヤ人のああいう考え方というのはアメリカの革新的なものの母体というものがそれであると考えざるを得ないぐらい、やっぱり浸透しているんじゃないかなと思います。ユダヤ人でない私が言うのもおかしいんだけれども、ユダヤ的なああいう風な物の考え方・・・・
 
AA:それでは乾杯の音頭をHHさん、貴方不思議そうな顔をしているから、感想と・・・・
HH:感想を述べようもないですが、マゾ的に快感なのかなと思いながら聞いていたり、誠に低次元な受け止め方をしていたのですが、なるほど違うアングルから捉えることは大事なことだということは分かりました。何はともあれ、先ほど先生が言ったように不思議な、布教もしない、伝道もしないと言うんだから何のためにやるのかな、と思ったりして。(笑い)アメリカに行って我々の商売、エンタテイメントはユダヤ系がほとんどですけど、法律家もほとんどもそうだし、金融もメディアも何でもそうだから何だろうなという気はしました。ただ入りたいとは思わないです。(笑い)まあ入れないね、俺はどう考えたって。
 
石角:HHさん、だって割礼手術をどうするんです?(笑い)
 
HH:まあ、そんなことで変な宗教に乾杯しましょうか。(笑い)それでは変わった石角さんと変な宗教に。発展を望まないのはどういう風に言ったら良いのか分かりませんが、乾杯!
 
石角:有難うございます。僕らが何故迫害されたかというと、ユダヤ人です、僕は。やはりこの画面にも書いていますが、東西両文明の礎を作ったという凄い自信がある訳です、イスラムとキリストの礎を作った。だから我々が基本だという自負がある為にキリスト教からコンプレックスの裏返しで迫害を受ける。それは現実に例の「ベニスの商人」の映画などでも、今日お見せできればよかったのですが、凄い迫害ですよ。あの当時のユダヤ人を何かゲットーという中に閉じ込めていたんです、キリスト教徒達が。僕もゲットーには何度も行っていますが、大体が非常に居住環境の悪いところです。水浸しになるような、潮の満ち干などで。そこに囲いを作って出てはいけない、夜は戻らなければいけない。ゲットーの門を開けるのは朝の10時から夕方の4時までだけ。出てお前たちキリスト教徒を相手にやって良い商売が、金貸し金融業と古物業だけ、ということだったのです。だから我々は必然的に金融業と古物売買。古物売買というのはいわゆるコマースですから商業です。だから百貨店は全部ほとんどユダヤ系です。メイシーズも何もかもアメリカの百貨店は全部ユダヤ系です。そういうことと金融がユダヤ系になったのは、それはあのキリスト教文明が金貸しをやってはいけないと言っていたから、ユダヤ人に押し付けたから我々がそうなったというだけの話です。何かご質問、コメント、批判は? その金貸しとユダヤの話は例のシェイクスピアの「ベニスの商人」が一番如実に描いています。あれが偏見の元になった訳です。
 
JJ:先生がユダヤ教に改宗されてプラスになった部分というのは色々あると思います。ただ、改宗されてマイナスになったなあと思われる点があれば、お話できるか出来ないかは別として、教えていただきたいと思います。
 
石角:マイナスは、ユダヤ人同士の中での対立に必然的に、対立というか意見の違いに必然的に巻き込まれる訳です。どういう問題が一番最近僕に起こったかというと、僕が以前所属していた東京のあるシナゴーグのラバイを迎えるに際して対立が起こったんです。どういう対立か? ラバイというのはユダヤ人共同体が迎えるのです、お金を出して、月謝を払って。月給制です。日本にずっと居てくれる訳ではない。だけどラバイが居ないと旧約聖書を読む先導役が居ない。自分達も読みますけれども、やっぱりラバイが先導してくれないといけないので、そういう先導役とか、説教をたれるとか、ユダヤの教えについて最も良く知っているのはやっぱりラバイだから居た方がいい。だから迎えようとした時に、何人か面接したけれども、逆に向こうから断られたり「東京なんか嫌だよ」という人が結構いて、最後に一人残った人がなんとその人はゲイだったんです。それで大議論になって、議論と言っても東京に居るユダヤ人の数だから100人ぐらいだから知れていますが、真っ二つに割れましたね。
 
JJ:戒律ではぶれないんですか?
 
石角:触れます。ウルトラ・オーソドックスの僕の立場からすると、最もいけない行為です。我々のBibleでは男が男の裸を見てもいけないと書かれているし、近親相姦も禁止だし。近親相姦の定義も父親が息子の嫁とか、もう具体的にこの定義が聖書の中にいっぱい書かれています。最もいけないことが、その男と男の性行為。これが良いのかという議論が私も含めて為されて、結局真っ二つに割れて、そのシナゴーグは結局二つに分かれてしまった。賛成派と反対派で。反対派が出て行った訳です。こういう争いというのはしょっちゅうです。ユダヤではユダヤ人の数だけ総理大臣が居ると言われるぐらいに、考え方を変えない人達の集合です。
 
KK:なんでラバイが居ないと駄目なんですか。途中までは黙っていたの? そのゲイのラバイは
 
石角:いやいや、彼はもうWebで自分がゲイだということを公表していますから、それをシナゴーグに迎えるかどうかを我々メンバーが議論して、「いいんじゃないの」というアメリカ的なリフォームの立場と、「いやいや、とんでもない」という最もオーソドックスな立場とが対立して、それでシナゴーグが真っ二つに割れてもう一つシナゴーグを作るという話になった。こういう争いに巻き込まれるのが、先ほどのご質問ではないですが、まあ面倒と言えば面倒ですね。
 
KK:食べものは苦じゃないですか?
 
石角:食べるものは全く苦じゃないですね。改宗前日にビーフカツだとかシャコだとかイカ、タコだとか山ほど食べてそれっきりです。もう5年何ヶ月になります。寿司とかないですね。マグロも食べていないです。
 
CC:じゃあ、寿司屋には行かれないですね。
 
石角:寿司屋は駄目ですね。いや、寿司屋に行くユダヤ人も多いですよ。でも僕の立場は先ほど言った中心円の方ですから、行かないですね。
 
KK:ゲイがラバイになれたということは、ラバイになることがゲイでクリア出来るんですか?
 
石角:できないですよ。Bibleには反している。
 
KK:反していてもなれちゃうの?
 
石角:それはシナゴーグが共同体として迎え入れればなれちゃいます。それは分からないでしょう。だから本当にユダヤ人というのは、
 
CC:凡人には分からない。
 
石角:凡人には分からないし、考え方を絶対に変えないし、しかも柔軟なのです。
 
CC:(笑い)変えないけど柔軟というのが・・・・
 
石角:訳が分からない。こういうことがあったんです。僕の娘の結婚式で、娘はユダヤ人ではない、相手の男性もユダヤ人ではないけれどもユダヤ式の結婚式をした。結婚式の真っ最中に結婚式を執り行っているラバイに娘が異議を唱えた。「ちょっと待ってくれ。私はユダヤ人じゃないから、この儀式の中でやりたくないことが2つある。」と言ったんです。「一つは結婚証書の取り交わしとエンゲージリングの取り交わしだ。これはやりたくない。」と言った。そうすると普通は結婚式が成り立たない訳です。その3つとあとはサンライズ・サンセットのビデオでお見せしたかったグラス割りの儀式があるんです。グラス割りはやりました。その時にラバイが「ああ、よし分かった。それでいいよ。」と。ことごと左様に凄く自由なんです、考え方が自由なんです。だけど自分の考え方は変えない。つまり人に自分の考え方を押し付ける訳ではない。自分は神との関係で1対1の関係だから自分は変えない。
 
DD:先ほど、例えばワインを全てユダヤ人が栽培し、ボトリングし、飲む時に確認はどうやってするんですかね。
 
石角:Kマークです。コーシャのKマークが付いています。皆さんがアメリカに行かれてコーシャ食品の売り場に行くと、全部Kマークが付いています。あれです。
 
DD:Kマークを詐称するような奴は出て来ないという前提ですね。
 
石角:出て来ていますね。アメリカの食肉業者でKマークを詐称した奴がいて、それはやっぱり我々の中で大問題になって、その業者にはもう一切Kマークを発行させることは認めないことにしたのですが、それはKマークの付いている食品は絶対安全食品だという、ユダヤ人でないアメリカ人の間ですら認識が広まっている為に、いわゆる無農薬のアメリカ農務省のマークとKマークが2つ付いていれば完璧だと言われているぐらいです。多分、味の素などの化学調味料でもイスラエルとかアメリカに輸出する時にはKマークを付けるようにしておられると思います。日本の食品メーカーさんは恐らくKマークが付いていることの方が販売促進になるという観点からKマークを付けていると思います。取得されていると思いますよ。Kマークというのは、コーシャという意味のKの略です。他に何かご質問は?
 
FF:先ほどの画面にヒットラーは神の子である、ということでアウシュビッツが許されることだというのは、それはヒットラーは神が創られた、アウシュビッツは神のお求めになったことである、それは全然私らの考えているユダヤとは違うように思いますが。
 
石角:いや、こういうのになってしまうということを言っている訳です。神を何らかの形で形容しようとすれば、こういう矛盾が生じる。だから神を形容することは出来ないというのが一神教の考え方だという一つの例です。
 
KK:これは間違いですということなんですね、間違いというより・・・
 
石角:いや、そこも難しいんですよ。というのは、アウシュビッツで信仰を捨てたユダヤ人も結構居たんです。「なんで罪のないユダヤの子供達が、(600万人のうちの子供達の数は恐らく数十万人です)なんで殺されるんだ」と。「我々の神は一体どこに行ったんだ」ということで信仰を捨てたユダヤ人も沢山います。一方に於いて、「そうじゃないんだ。あれは我々に与えた試練である。」という風に考えるユダヤの宗派と、もう一つ。神は自分が選んだ民族が可愛いんだ。つまり神とユダヤ人とは選ばれた関係です。神は我々を選んだし、我々は神を選んだ。可愛い。可愛い子にはかえって厳しいんだ。という風に考えて解決するグループもある。かえって厳しい。だから600万人が殺されるのも、神がお望みになったことという風には認めないけれども、
 
DD:仏教徒が居るということは認めるんですか?
 
石角:それは認めますよ。ヒンズーも認めます。
 
DD:ユダヤ教と全く違う世界があるという、世の中には存在することを認める訳ですね。そういうような話は、例えばあそこにあるような話は違う宗教の人達がやったんだという、そういう話でいいんじゃないですか。
 
石角:異教徒がやったことだ。異教徒がやったことが何故我々に災難として降りかかってくるのかという問題なんです。
 
DD:そうすると、「自分の神様は何故見てくれないんだ」という・・
 
石角:そうそう。十字軍がそうじゃないですか。十字軍が何度もエルサレムに攻め入って来て、歴史を紐解けば、紀元前になんでバビロニアが攻め入って来たんだ、イスラエルに。それでユダヤ人全員を拉致した訳です。あの時にバビロニアに拉致された、今のイラクにバグダッドに連れて行かれた訳です。民族全員の拉致ですから数十万人全員連れて行かれて、そこで70年間ぐらいずっと閉じ込められていた訳です。高校時代の世界史で皆さんが勉強したネブカドネザル王、あのときのバビロニアの大王がユダヤ人を拉致して、その時に我々の神殿も全部壊していったんです。それはやっぱり災難です。それから紀元後にローマ軍が入って来てユダヤをメチャメチャにしていったのです。惨殺の限りを尽くし神殿を破壊し町も破壊し、奴隷として連れて行った。それ以前の有史以前の話ではエジプトの奴隷という話もあるけれども、そういう問題を考えてくると、我々の考え方というのはやっぱり神のお望みになったことだと考える以外にないですね。それはキリスト教の原罪とはちょっと違います。元々罪を背負って生まれて来たんだという考え方ではない。ちょっと違う。
 
GG:ナチスはなんであんなにユダヤ人を嫌って大量に殺しちゃったんですか? どこを憎んだんですか、ユダヤ人達の。
 
石角:すごい質問ですね。ああいうことをする必要はなかったですよね。
 
GG:僕らというのが非常に違和感があるんですが(笑い)、その時は「僕」は居ないんだから。
 
石角:いやいや、それはしょうがないですよ。でもユダヤ人というのは4000年の歴史を毎日ずっと日々勉強しているから、4000年前のことというのは今のことなんです。アウシュビッツもほとんど今のことですね。ああいう必要はなかったと思います。だからGG先生のご質問はまさにその通りで、何故ヒットラーがユダヤ人を憎んだのか。戦略上の根拠というのは何もないと思います。
 
GG:何故あんなに嫌われたんですか? 毛嫌いされた。
 
石角:ずっと我々が受けてきた差別を利用されたということじゃないかと思います。
 
GG:やっぱりユダヤ人は害があるという風にナチスは、ヒットラーは思ったんだろうね。
 
石角:中世ヨーロッパではそういう考え方は一般的だったですね。例の黒死病が蔓延してどんどん死者が出た時に、ユダヤ人だけは病気にならなかった。現実にユダヤ人は罹患率が非常に少なかった。だからユダヤ人がペスト菌をばら撒いたと言われて迫害を受けたという歴史もあるし。まあ「ベニスの商人」じゃないけれども金貸しだからというので憎まれたこともあるし。十字軍は元々ユダヤ人惨殺の限りを尽くしていた訳だから。
 
でも何故なんだろうと言われると、一つはBibleの中にヒントがあって「我々は徹底したエイリアンでなくてはならない。」と書いてある。エイリアンという言葉を使っています、英語版には。「人と違っていなければならない。」それも差別迫害の理由の一つだと思います。だって交わらないんだから。異教徒と結婚することはもの凄く嫌がります。異教徒と食事を一緒にすることは原則禁止です。先ほど言ったように、食事戒律があるから食卓を一緒に出来ない。異教徒が食べるものが食べられないから。そういう生活態度がやっぱり嫌われた理由の一つだし、それからユダヤ人は口が臭いとか言われています。それはどうしてかと言うと、僕らは年に14回の断食日があります。断食、断水です。勿論歯を洗ってはいけない。下着を変えてもいけない。櫛をといてもいけない。その時の断食明けのユダヤ人の口は確かに臭いことは臭いです。それで「あいつらは臭い」ということで嫌われたということもあります。今でも断食を諦めていないし、年に14回いろんなキッカケで断食をしています。ヨム・キプールは25時間の断食断水。ゲラリアの断食だとか色々な断食があります。それでもこの生き方を変えるつもりはない。
 
FF:先ほど××さんも言っていたように、石角さんが過去のユダヤ人の行いに対して、「我々」と言うのはすごく違和感があるのですが、60歳近くでユダヤ人になることはイコールユダヤ人になるということですが、その時点で元々は日本人だった訳ですよね。
 
石角:今でも日本国籍です。
 
FF:今でも日本人でありユダヤ人でもあるということですか。
 
石角:日本国籍を有するユダヤ人です。日本人ではありません。
 
FF:それで、過去のユダヤ人の人達がやっていることも自分の祖先がやっていることとして思えるようになっているのだと思いますが、それはどういう過程でそうなったんですか?
 
石角:それでなけりゃ改宗できないです。それは絶対の条件です。アウシュビッツは自分の祖先に起こったことだと思わなければ改宗は絶対に認められない。あり得ないです。
 
FF:それは日本的に言うと、自分の親も祖父もというような中でということだったら分かりますが、明らかに違いますよね。事実として違うということは分かっていると思うんだけれども、何となくそういう風に言われちゃうと・・・その辺りはもっとディベートしてもいいんじゃないか。「そういう風に思わなければ入れないんですよ」、「ああ、そうですか。」というんだと、あまりユダヤ人的じゃないなと思ってしまうんですけど。
 
石角:民族ですよ。民族に帰属している以上はその民族の一員であり、その民族の歴史を自分の歴史として背負っている訳です。だから、逆に僕は改宗前は日本人。でも日本民族というのはあるのか。日本民族とは何か。その民族を構成している日本人とは一体何なのかと言うと、多分皆さん方はここで答えられないと思うんですよ。
 
BB:そんなもの答える必要はないんじゃないですか、日本人とは何かなんて。今日のお話を伺って感じるのは、やっぱり強烈な選民意識ですね。それが最大の支えにね、だから僕も今日は日本の教育は非常に不安ですから、何か良いSuggestionがあるかなと思ってそこに興味があったんですが、やっぱり選民意識が強烈な中での教育というのは、一般的にあまり参考にならないような気がしましたね。先生もやっぱりだいぶ選民意識をお持ちでしょう、既に。
 
石角:貴方ほどの人でも誤解していますね。 選民というのは誰が選んだのかという問題ですね。私が神を選んでいるんです。エリート意識とは違うんです。神を選んだ民ということです。神が選んだ民ではない。
 
BB:エリート意識ということではなくて、この地球の全人類の中でも極めて選ばれた集団という意識があるんでしょうね。
 
石角:この地球と宇宙に対して神の意向を実現する為に神を選んだパートナーであるユダヤ人の石角完爾です。そういう話なんです。
 
BB:そうですね。(笑い)
 
石角:それはスピノザとかマルクスがユダヤ人でありながらユダヤを否定してああいう思想体系を打ち立てたというのと重なってくる問題だと思います。
 
AA:今日石角さんの話を聞いてユダヤ教に共鳴しようと思って、そういうつもりで出て来たんだけれども、石角さんの話を聞くと「これは違う人達だな」という違和感を持つね。
 
石角:だから差別され、迫害されるんだと思うんですね。貴方が持つ違和感が差別の元なのです。日本人の間違っていることは、違和感から差別することです。日本人は違和感を持つ対象が多過ぎる。多過ぎてもいいが、だからと言って差別までいくことはおかしい。
じゃあユダヤ人は他の人に同化しようと思っているかというと、絶対に思わない。それは絶対に思わない。
 
AA:誰か共鳴した人は居ませんかね。共鳴の理由を簡単でいいから言って下さい。
 
石角:共鳴は求めませんね。日本人は共鳴してもらいたいという気持ちが強過ぎる。回りの他人(世間)と自分との比較という価値尺度しかない。だから、格差に対して異常に反応する。日本人とアフリカの貧しい人との格差には鈍感なくせに。ユダヤ人は自分と神ということしか考えないから、他人がどう思っているかは関係ない。
 
GG:先生との付き合いが長いんですかね、石角さん。変えて行くというか過程を見て欲しい。食べ物についての勉強とか、何故ウロコの付いていないものは食べてはいけないのか、それは全部理屈があるんです。やっぱり、食べてはいけないというものはあまり良くないんですね。そういうこととか、ユダヤの人達が非常に優秀、少ない人数で。それは教育というよりも戒律なんですね。戒め。今日本は教育についても武士道はなくなって、生き方についても宗教がなくなって何でもあり。非常に彷徨っています。そういう意味では非常に羨ましいなと。ユダヤの教えで子供を育てたら、もしかしたら立派な子が出来るかなという風に僕は捉えていますよ。もしかしたらじゃなくて、もしかしなくてもですね。
 
AA:ただ私が一番感じているのは、やはりユダヤの子供達、旧約聖書を物心ついたらすぐ教わり始めてもう少年になった時には完全に旧約聖書が身体の中に入ってしまっているんだよね。聖書というのはやはり一種の哲学ですよね、生きている意味とか証とか、そういうものを子供のうちから学んで、それから知識が入って行くでしょう。
日本人は子供に知識を植え込むことから始まって、そういう精神教育みたいなものが全くない。そういう意味ではユダヤは羨ましい。やはり優秀な人間が出来るのは子供の時からそうやって身体の中に叩き込んであるから、吸収率が高いと思うんだよね。その点日本は教育的に、子供に対する教育は全くそういうものがないからね。まだ昔は修身があったからいいかなと思うけれども、道徳と修身は違うからね。修身は身を修める訳で、道徳は他の人に迷惑をかけないように生きるという、どちらかと言うと逃げるような感じだな。その中で平和に生きていこうという知恵を道徳というのは教えていると思うんだな。修身というのは身を修める訳だから、学問も含めて子供のうちから旧約聖書を叩き込んでいるというユダヤ人が優秀なのは私は当たり前だと思いますね。そこの違い。
 
HH:寺子屋の時代は、ずい分意味の分からない漢文や古文なんかを全部暗記したじゃないですか。そのまま来ていれば
 
AA:寺子屋の時代はね。そういう侍精神みたいなものを子供の時から叩き込んだから、武士は皆から尊敬されたんじゃないかな。
 
KK:意見ではないのですが、石角先生の今日の講義を聞いて、やはり非常に興味を持って戒律を学んでみたいという風に強烈に思いました。それは、戒律を守らなければ心が神に近づくことは出来ないという教えですね。それは恐らくそうではないかなと。我々は一体どこから来てどこに帰るのかということを考えなくなってしまっているんではないかと思います。でも突き詰めて行ったら、ここに居る私達は誰一人いつか必ず死ぬ訳ですから、何となく死に行くのではなくて、やっぱり知りたいという人間、それを突き詰めて行くと心が何かを求めていくのではないかな。ですから、この戒律が一体どういうもので、どういう風に細かく非常に沢山の制約のようなものがあって、何故そのことによって心が神に近づいて行くのか、ということを自分でやっぱり体験してみたいなということは非常に思いました。
 
石角:まあ、その通りですね。ここにも書いていますが、「何故」がもの凄く重要で。「KKさん、貴方は何故生まれて来たんですか?」という質問がもの凄く重要なんです。会社のB/S、P/L、それも重要でしょう。預金通帳の残高、それも重要でしょう。美味しいものを食べたい、その気持ちも重要でしょう。でもそれだけでいいんですか? 何故60億人の世界人口の中で貴方が今ここに存在しているのかということを考えると、それはもはやユダヤ教なんです。
 
KK:・・・・を選んだのか、話を聞いていると、例えば私が戒律を勉強してユダヤ教に帰依したいと思ったら、それは私が望んで神に向かいたいと思ったからなんですね。だから神というのは、仏教だろうと何だろうと人間は皆平等に生まれて来ている訳ですから、その中で自分がどういう意思を神に向けるかというのは、個人と神との関係だと思う訳ですよ。だからユダヤ人を選んだのか、ユダヤ人が神を向いているのかと考えたら、やはり自分が求めて行くということなのかなと自分の中では今考えています。
 
石角:おっしゃる通りですね。だからこういう説話があります。あるところに神を非常に信仰している者が居た。ところが大洪水が起こって自分の家が流されそうになった。その時にモーターボートが来て助けてくれた。助けを寄こそうとした。その男は「いやいや、神が必ず助けてくれるんだ。」ということで、そのボートに乗る事を拒んだ。いよいよ木のてっぺんまで行かないと溺れそうになってきた時にヘリコプターが来てその男を助けようとした。しかし、その男は「いや、私の神様は必ず助けてくれるんだ。」ということで、まだしがみついていた。それで溺れて死んでしまった。天国に行って神様に文句を言ったそうです。「なんで、助けてくれなかったんだ。」神はこう言われた。「いや、ワシは二度も助けを寄こしたぞ。」と。
これがユダヤの子供達に話をする説話の一つですが、自分が求めて知ろうとしなければ何も与えられないということを教えているのです。だから与えるだけのものではない、自分が求めて行かないといけない。だから、私が求めるものが先なんです。その為には、求める為には「何故」を考えないと始まらない。「何故宇宙が創造されたか」とか「何故自分が生まれたか」と。そして、「この世界に何故自分が存在しているのか」ということを考えて行かないと求める行動にはならない。だから「How、どうすれば」じゃないんです。「どうすれば」というのは解決済みで、もう全て聖書に書いてあるので。「この宇宙はどのように創造されたか」とか「人間がどうして生まれて来たか」とかは全部書いてある。そうではなく「何故」ということは書いてないので、これは勉強しなければしょうがない。というのがユダヤの考え方です。恐らく多分仏教でも何でもそうじゃないかと思います。神道イズムもそうじゃないかな。ただユダヤ教と仏教との違い、あるいはその他の宗教、ヒンズーとの違いは偶像を作らない。それから神様に呼び名がない。この2つです。ここがモノシズム、一神教と多神教のアニミズムとの大きな違いです。神が一人だとか二人だとか、そういう人数の問題ではない。偶像を作らないということと神に呼び名を与えないというところの違いです。他に何かご質問ありますか。
 
アメリカにユダヤ人が多いからアメリカはユダヤの国というのはとんでもないことで、これを見て頂ければ分かりますように、アラバマ州で黒人と白人の結婚が合法化されたのは、何と2000年11月です。こんな国がユダヤの国であるはずがない。だから皆さん誤解しておられると思います。

サンディ・コーファックスという投手が居ました。敬虔なユダヤ教徒で、初日先発投手、開幕日に指名されたけれども、安息日にあたっている為に彼は登板しなかったんです。マドンナもユダヤ教に改宗したんですが、彼女も安息日には舞台に上がらない。

戒律の一つに安息日という戒律があって、金曜日の日没から土曜日の日没までは一切仕事をしない。仕事をしないということは、生産的な活動というか人間的な活動をしないということです。ただダラッと寝ているということではない。電気を使わない、筆記具を持たない、ビジネスの書類を開かない、電話をしない、携帯をしない、e-mailをしない、何もしない。じゃあ我々は何をしているのか? 神のことを考える一日として聖書に、7日間のうちの7日目は休まなければならない。7日に1日休むというのはユダヤが考えてキリスト、イスラムに広まって、それで今日曜日が休みというのが大体ほとんどの国に広まってきた考えですが、元々はここから来ているのです。我々は安息日があったからユダヤ人が今まで生き残って来ているんだと思っています。それぐらい存在基盤としてこれは重要なんです。
 
AA:今日のお話で非常に興味深かったのは、母親と子供が1対1で教育をやっているという話。これはあれですか、旧約聖書が教育のベースになっている訳ですか?
 
石角:そうです。
 
AA:つまり、母親が子供以上に旧約聖書をよくマスターしている。そういうことですか?
 
石角:そうです。だから、お母さんはシナゴーグに行く必要がないのです。シナゴーグに行くのは男だけです。それからシナゴーグに於ける祈りと活動、色々な儀式をやるのも男だけです。女性はシナゴーグに行く必要はない。全ての宗教的な義務から女性は免除されている。何故か?
 
BB:それぐらいもの凄く勉強しなければいけないということですね。
 
石角:勿論そうです。だから家に居て育児と勉強に専念する訳です。ユダヤの母親というのは凄く偉大だし、ユダヤの祈りの中で、我が母、我が妻を讃える祈りはもの凄く多いです。賛美する訳です。安息日のユダヤの席上で唱える祈りは神と我が妻、我が母親の賛美の祈りが延々と続くのです、先ほどのああいうメロディで。
 
AA:これが今の日本の社会で一番欠けていることでしょう。
 
石角:全くないです。皆無です。女性の役割は「さあ早く塾に行きましょう。」と言って車を運転して塾から塾へと子供を連れ回るだけの役割に尽きています。だから、非常に日本の将来に関しては危惧すべき面があるのではないでしょうか。母親が役割を放棄している。塾回りの運転手に成り下がっている。そうではなくて、母親はやはり子供に自分の考えている道徳律を教えなければいけないでしょう。父親がシナゴーグに行かなければいけないのと同じように仕事をしなくてはいけない訳だし。それで写真を撮りたいとおっしゃっておられたのでファッション・ショーを。
 
HH:男性は私達も分かるものがありますね、あの帽子と・・とか。他にも何かあるんですか、ユダヤ人の?
 
AA:今からやります。これからお色直しだよ。
 
石角:ビデオを沢山持ってきたけれどもあまりやっている時間がなくて。でも、お色直しだけはやらせてもらわないと。
 
DD:先生、食べ物の制限もずいぶん戒律上あるじゃないですか、今日覗いて見ているんですが、薬を随分飲んでいるみたいだけれども、あれはいいんですかね。Chemicalなものは?
 
石角:あの薬もユダヤの薬屋が作ったコーシャです。
 
DD:失礼しました。(笑い)
 
石角:動物性のゼラチンのカプセルではないのです。植物性のゼラチンのカプセル。これが、モーゼの十戒の映画を見せられなくて残念ですが、モーゼが着てエジプトの王の前に出て行ったあれです。あの時はモーゼのショールは赤い色だった。だからずっとその後ユダヤ人は赤いショールとか赤い帽子を被らなくてはならないという差別を受けてきたのですが、今はこういう白と黒になっています。これがショールです。それでユダヤの母親がどういう教育をするのかについてですが、その秘密を今からちょっとお見せします。皆さん、目にしておられないと思います。これはシナゴーグの中でしかやらない格好だから。これがキッパと言われるユダヤの帽子です。これは時々見たことがありますね、町で被っている人が多いから。ニューヨークではこれを結構被っていますよね。今ほどいているのがテフェリンと言われているもので、聖書の中に「お前たちはこれを身に着けて神の存在を日々再確認しなければならない」と言われているものです。旧約聖書の中にそういう風に書かれているので、我々は毎朝これをシナゴーグに来て着けています。朝だいたい7時か7時半です。夏は7時、冬は7時半に全員がシナゴーグに集まります。先ほど「変わったところは何か?」と忙しくなったというのがこれなんです。朝行かなければならない、夜に行かなければならないでしょう。だから居酒屋なんかに行っている時間は全然ないんです。
 
AA:それは何ですか? 血圧を測るみたいな。
 
石角:この装着の仕方も全部細かく決まっているんです。改宗してこれをマスターするまで結構トレーニングを受けなければいけない。山伏が何か付けているでしょう。あれと同じじゃないかという説があるけれども、似て非なるものです。あれには中に何も入っていないけれども、これには聖書の一節が入っている。それを目と目の間に付けて「お前達の頭の中に叩き込まなければいけない。」もう一つ聖書の一節がこの左腕の心臓に向かって付いて「お前達の心臓には聖書の教えが毎日入って来なければいけない。」という風に書かれているためにこうやるのです。毎朝やっています。どんなユダヤ人も、まあオードックスとウルトラ・オーソドックスは皆そうですね。左手の人差し指に3回・・・・
 
AA:がんじがらめですね。
 
石角:そうですね。AAさんが良いことをおっしゃいました。何故左手をがんじがらめにするのか? これは左手は正義を表わすのです。右手をがんじがらめにしないのは、右手は慈悲を表わすからです。正義は慈悲に優ってはいけないというのが我々の考え方です。
 
AA:左利きの人はどうするんですか?
 
石角:左利きの人もこうです。だって正義がしゃちこばっている世界は不愉快でしょう、やっぱり。慈悲が笑顔を見せている社会じゃないと。どこかの国のように、検察の正義だ何だと言ってしゃちこばっていれば、やっぱりああいうことになるんじゃないですかね。
 
BB:石角先生、坊主で良かったね。
 
石角:坊主、僕はBBさんに電動バリカンをもらって非常に感謝していますよ。
 
BB:電気バリカンもあげたのよ。自分で坊主に刈るからと。ユダヤ教のではなくて、俺のアドバイスなんだよ。
 
石角:改宗祝いかも知れないけど。それで、祈りを1時間ぐらい捧げるわけです、朝、夜。それで土曜日の午前中は3時間。色々なお祈りがありますが、最も有名なお祈りがアミダの祈りとシェマの祈り。アミダというのがどこから来た言葉か分かりませんが、我々はもう4000年前からアミダの祈りと。アミダの祈りは黙読です。シェマの祈りは音読です。その中で一番有名な祈りが
(・・・・・シェマ・イスラエルの祈り・・・・・・)
これは「唯一の神、我々の神、貴方に対して全知全能の信仰を捧げます。」という意味です。

先ほどのご質問ですが、このヘブライ語の訳はどういうことかと言うと、
「お前たちは寝ても覚めても起きても横になっても、このユダヤの教えを子供達に受け継がなければならない。」というのがこの祈りの訳なんです。
 
だから、ユダヤ教というのは子育て教なのです。徹底してユダヤの道徳律を子供に教え込んで行けということが聖書の中に書かれてあって、その一節が最も有名な祈りなのです。これを毎回やっている訳です。だから母親は絶対に子供の傍に居て、ユダヤの道徳律と旧約聖書、それにまつわるタルムードの教えがありますが、それを教えなければならない。それが義務です。それを男が思い出すために、毎日目と目の間の大脳及び心臓に向けてそのことを再認識しなければいけない。
 
それから、ドア・ポストに付けろと書いてある。ユダヤ人の家のドア・ポストには皆このような斜めのお守りが付いています。あれは、この旧約聖書の教えを子供に教えることを母親が出入りする時に再認識しなければいけない、という意味でドア・ポストにそれが付いている。元々の起源はエジプトに神が怒りの炎を降らせて、エジプトの第一子を全部殺した。その時にユダヤ人のドア・ポストだけには羊の血が付いていたから、死ななかったというところが起源です。今はそうではなくて、母親が子供に教えなければいけないということを再認識する為に入り口に全部付いている。だからニューヨークに行かれて、ドア・ポストにこんなお守りが付いていれば、そこの住人は全部ユダヤ人です。
 
BB:いちいち入る時に触って入るんですか?
 
石角:そうです。それから部屋の中に全て付いています、トイレ以外は。そういう所にも付いているし、玄関にも付いているし、全部付いています。一言で言うと、子育て教です。だからずっと受け継がれてきたのです。だからCCさんにも今日の出席者の方にも聞きたいのですが、日本人というのは何かこういうふうに受け継いで行くものがあったはずなのに失っていませんか、ということなんです。あったはずなのに失っていませんか? 失わない為の努力は実は大変なんです。こういう風に大変なんです。戒律を守らないとやっぱり失うんです。日本人はこういう戒律も聖書も何もなかった為に失ってはいませんか、ということです。
 
BB:日本人を弁護するとね、
 
石角:ええ、どういう弁護がありますか?
 
BB:韓国の運輸大臣に会った時に、「スチュワーデスの質がKoreanと全然違う。」と言う。「いや、同じでしょう。サービスは一緒だから。」と言ったら、「いや、日本のスチュワーデスには敵わない。どう教えてもうちの韓国のスチュワーデスは分からない。それは何かというと日本人の家庭で昔からやっている躾ですよ。家庭の躾が女性教育になっているんだ。うらやましい。」というような話をしたことがある。日本人には躾というものがあるんですよ。
 
石角:おっしゃる通りです。ユダヤでも母親の躾があって、母鳥の話ということで有名なユダヤの話があります。巣の中に3匹のヒナがいる母鳥が、嵐を前にしてそのヒナ達を避難させようとしました。対岸に向かって母鳥は一匹、一匹のヒナ鳥を口に咥えて渡ろうとした時に、母鳥がヒナ鳥に向かってこう聞いた。「ヒナ鳥や、対岸に連れて行ったら一体お前は私に何をしてくれるのか?」「お母さん、親孝行をしたいから、是非立派な親鳥になって子供を産みたいと思います。」と言ったヒナ鳥を海の上でポトッと落としてしまう。2匹目のヒナ鳥に同じ質問をしたら、そのヒナ鳥は「お母さんに親孝行をしたいから、親鳥になったら一杯虫を取って来てお母さんにあげたいと思います。」そのヒナも海の上に落とすんです。3匹目のヒナ鳥に同じことを聞いたら「お母さんが私に教えてくれたことを同じように自分の子供に教えます。」と言った子供だけを安全な所に連れて行って避難させた。このユダヤの話は何を教えているか? 母親が教えたことを子供も自分の子供に教えなければいけない。その繰り返しが非常に重要だと言っている訳です。親孝行じゃない。本当の意味の親孝行というのは親がしてくれたことを自分の子供に教えることです。これがユダヤの考え方です。こういうヒナ鳥の話だとか本当に色々な説話があって、分かり易い言葉で語られているので、幼児教育は本当に優れたものがあると思います。難しく教えていないから。
 
KK:良いところだけは取れないんですかね? 教えを。
 
石角:それは難しいかも知れないですね。このダビンチの最後の晩餐、これも実は非常に変な絵なんです。晩餐と言いながらテーブルの上に何も料理が出ていない。そうでしょう。全員ここに並んでいるのはユダヤ人です。これはユダヤのペサハという宗教儀式のSupperの絵です。ペサハの時には非常に貧しいものしか食べない。だから皿の上に食事が出ていない。これを見て世界の人々はそれを覚えて思い出していただきたい。ダビンチも恐らくそういう意味で書いていると思います。
 
このミレーの落穂拾いの絵、これも実に変な絵でおかしい。落穂を拾っているなら何で3人の女しか描かれていないのか。落穂拾いというのは古代のユダヤでは、農場主は落穂を残しておかなければいけない。貧しい女性とか寡婦だとか夫に先立たれた女性達、そういう人達の為に落穂を残しておかなければいけない。いわゆる分け与えの思想があります。この3人の女性、ナオミとルツという女性ですが、ルツはまだユダヤ教に改宗していない女性です。落穂拾いを一緒にやって、ナオミのユダヤ教に改宗しようと決心をする場面なのです。このミレーの「刈入れ人達の休息」もそうです。こういう西洋の絵というのは多くがユダヤを起源にして聖書の教えを語りかけている絵なんです。
 
改宗というのはこういうことです。「Your people shall be my people and your God is my God.」というのが改宗の真髄を言っています。貴方がたは私達と同じ同胞であり、貴方の宗教は私の宗教だ。貴方の神は私の神だ。そういう気持ちになって初めて改宗が認められる。だからなかなか難しい。それも旧約聖書の一節から来ていて、それを物語っているのがミレーの落穂拾いの絵です。改宗の難しさを語った絵です、ミレーの落穂拾いは。
 
   ツェダカ。これは要するに自分の収入の10分の1を社会還元しなければいけないというユダヤの思想です。これが最も重要な考え方です。日本人は本当にユダヤ人に対して多くの誤解を構築されていて、「金に汚い」とか「金融支配」だとか色々ありますが、まあ「選民思想」も一つの誤解ですね。少しでも分かってもらえれば。逆にユダヤ人が日本人に対して持つ疑問はこういうことです。一番大きな疑問は3番目ですね。何故いつも黙っているんだ。なんで我々のように打たれ強くならないんだ。打たれてシュンとなっている日本人はどうしたんだ? あの尖閣の問題などもそうですね、あれがユダヤだったら、あんなことはあり得ない。絶対にあり得ない。返すなんてことはあり得ないと思います。
 
BB:何を飲んでいるんですか、それは?
 
石角:これはサプリメント
 
BB:ユダヤ教に関係あるの?
 
石角:いや、これは単なる健康法。(笑い)やること為すこと全部ユダヤとか、そういうことではないんですよ。何かご質問ありますか、反論でもいいですよ。質問なきところにユダヤなし。
 
JJ:キッシンジャーというのはユダヤ人でしょう。彼は誇りですか?
 
石角:ヘンリー・キッシンジャー? あれぐらいの人はいっぱいいますので、アメリカでは。エイブラハム・リンカーンもそうだし、FDRのボルカー議長。その後の今の金融危機を作った前連邦準備委員会の議長、グリーンスパン、そう、彼もユダヤ人です。前が財務長官をやっていたルービン、あれもユダヤ人です。こんどのクリントンの娘が結婚したのもユダヤ人です。相手は何か僕と同じウルトラ・オーソドックスらしいけれども。
 
ユダヤ人のジョークというのはもの凄く多いです。ユダヤ人を小馬鹿にしたジョークというのは全部ユダヤ人が作っているんです。「ユダヤ人の鼻はなんで大きいか知っているか?」先ほどのDDさんの質問じゃないけれども、「空気と水はタダだから。」と。空気を吸う鼻は大きくなった、というようなジョークはいっぱいあって、迫害の数千年を楽しく生きるための一つの英知ですね。そうでもしなければここまでやってこれないです。それと美しい音楽を作ったのもユダヤ人が多いし、それもやっぱり迫害の歴史です。だから、日本人も色々と隣国から圧力を受けている。ユダヤ人と同じように打たれ強くなってもらいたい。シュンとなっちゃいかんです。ジョークで受け流して。
 
BB:我々が海外に行って、これだけ日本の説明が出来ないね。石角さんは大したものですよ、ユダヤ人以上にユダヤ人になっちゃった。
 
石角:模範的指導的ユダヤ人なんですよ、改宗者は。何故か? ユダヤ人の第一号はエイブラハムといいます。それがずっと今1500万人のユダヤ人の始祖ですが、エイブラハムはある時ユダヤ教に改宗したのです。それで名前をそれまでは「アブラム」と言っていたのを「エイブラハム」に変えた。その妻も一緒に改宗したので生まれた子供がずっとユダヤ人なんです。
 
ユダヤ人とは「改宗者及び改宗者の母親から生まれた子供達の集合体」なのです。非常に定義がハッキリしています。日本人の定義というのは全然曖昧であやふやですが、ユダヤ人だけは世界のあらゆる人種の中で定義がハッキリしている民族です。多分他は、アメリカ人と言っても定義出来ないし、フランス人と言ってもフランス・ワインを飲む人? イタリア人はスパゲティ? 全然定義出来ませんよ。日本人は多分同じように定義出来ない。
 
EE:石角さんのお子さん方は全部ユダヤ教にすんなり入っているんですか?
 
石角:僕が改宗したのは60歳です。従って子供は全部産み尽くされた後ですから、先ほどの定義から言うと全部ユダヤ人ではないです。ユダヤ人は改宗者の母親から生まれた子供です。僕の妻は「嫌だ、嫌だ」と言っていましたけれども、「まあとにかく割礼はないよ」とか、「勉強は楽だよ」とか「ヘブライ語はそんなに勉強しなくていいよ」とか色々騙くらかして6ヶ月遅れで改宗しました。最後に一番彼女が文句を言ったのは、ミクベという儀式があるんです。これは生まれ変わりの儀式で、ジョージ・W・ブッシュはプロテスタントの福音派で生まれ変わりという言葉を時々使いますが、我々の方が先輩です。生まれ変わる儀式があります。それは自然の水に頭まで浸かって出て来る儀式です。一切の眼鏡だとかマニキュアとか指輪だとか全部外して。僕の家内はどこでミクベの儀式をやったか? 自然の水でなければならないので三浦海岸でやりました。真冬の三浦海岸で3人のユダヤ人の女性に介添えされてミクベの儀式をやったんです。冷たかったと言って、今でも文句を言っています。僕はシナゴーグの中でミクベの儀式をやったのでそういったことはなかったのですが。従って、僕の子供達は改宗をしない限りはユダヤ人ではないです。
 
EE:改宗しておられない?
 
石角:していません。だから結婚式の時に娘が文句を言ったんです。「私はユダヤ人じゃないので、ユダヤの結婚式のうちの重要な儀式の2つはやりたくない。」といきなり言い出したので大問題になったんですけど。
 
ちなみに、夫婦は片一方が改宗者でもう一方が異教徒という訳にはいかないんです。これはあり得ない。何故ならば、異教徒の女性と同棲をしているという状況なので、それはユダヤの戒律が許さないのです。元々結婚していない夫婦が性生活を営むことは絶対に禁止です。十戒の教えに「汝、姦淫をしてはならない」という道徳律の一番。だからタイガー・ウッズがあれだけ叩かれる訳です。あの戒律がベースになってプロテスタントの思想もあるから、あれだけマスコミも叩くんです。だから異教徒の女性と同棲しているという訳にはいかないので、妻の改宗は僕の場合には絶対条件だったのです。
 
FF:じゃあ、クリントンのお嬢さんもユダヤ教に・・・
 
石角:いや、そうしないとクリントンの孫はユダヤ人じゃなくなる訳だから。これからよく話し合って、彼女は改宗すると思いますけど。ちなみに、日本人というのは日本人の父親・母親から生まれた子供です。それは国籍法でしょう。国籍法が制定される以前の江戸時代の日本人の定義は、そういう法律がなかったから、実は分からないのです。でもユダヤはずっと4000年間その定義を守り続けてきていますから。
 
FF:先生は今日本国籍なんですか?
 
石角:そう。日本のパスポートを有するユダヤ人です。
 
FF:国籍はそのまま
 
石角:そうです。だから国籍と人種は別だという考え方です。日本人ではない日本国籍者です。
 
BB:ということは、ユダヤ国籍はないわけですね。
 
石角:ありませんね。イスラエル国籍はあるけれども。イスラム教徒もキリスト教徒もイスラエル国籍者は沢山います。イスラエルという国がユダヤ人だけで構成されているという、そういう誤解は持たないで下さいね。70%ぐらいの人口は僕らみたいなユダヤ人だけれども、残り30%はキリスト教徒、イスラム教徒です。だから、パレスチナ人でイスラエルのパスポートを持っている人は沢山います。
 
FF:ユダヤ人になった人というのは、先生のような人はどれぐらい、正確にはどのぐらい?
 
石角:男は恐らく皆無じゃないかと思いますね。聞いたことがないです。僕が聞かないだけかも知れないけれども。
 
FF:女性は何人かいらっしゃる?
 
石角:女性は沢山います。女性はアイバンクの男性のユダヤ人と結婚した女性は沢山います。ゴールドマンとかリーマンの男性職員と結婚した日本人女性というのは。彼女達はユダヤ教の速成コースで皆改宗している訳です。6ヶ月短期養成コースみたいなのが女性にはあります。(笑い)男にはえらい試練が待っていて、10年かかるとか言われました。まあ5年で何とか試験をパスしましたけれども。
 
一番難題は火葬されないという誓約書を入れないと認められないというのは割礼と同じぐらいに難題だったです。これは絶対です。火葬は絶対に駄目。何故ならば、聖書の中に「人は塵より生まれし、塵に返るべし」と書いてある。塵というのは土のことです。だから火葬はあってはならない。僕はそれで誓約証書を入れたけれども、僕の遺体をどうするかは子供達の問題だから、アメリカに冷凍で運んでもらってユダヤ人墓地に入れてもらうという風には頼んでいますけれども、金がかかるからやってくれるかどうかは分かりませんね。(笑い)日本にもユダヤ人墓地は長崎にあります。日本に来たユダヤ人の第1号は長崎の出島に来たオランダ人です。何か日本の女性と結婚して、そのユダヤ人の血を引いた人が長崎に居るらしいですけれども。
 
FF:それは土葬にするんですか?
 
石角:ええ、長崎のユダヤ人墓地は土葬、横浜のユダヤ人墓地も土葬があります。神戸もあります。ただ満杯でもう入れないんです。だから遺体の上に遺体を土葬しない限りはいけないし、下の遺体が土に返るまでの年月は5〜60年以上かかりますね。だからそう積み重ねる訳にはいかないから。
 
司会:はい、それでは時間がまいりましたので。今日は石角さんの熱い話を聞いてそれぞれ皆さん感想をお持ち帰りになるだろうと思います。本当に石角さん、ありがとうございました。
 
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