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Kanji Isaac Ishizumi
 
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    Comments from a Rabbi in Jerusalem
    ジェルサレムのラバイからのコメント

  1. Introduction to Judaism
    ユダヤ教の初歩の初歩
  2. Difference between Judaism and other religions
    ユダヤ教と他宗教の違い
  3. Who Jews are?
    ユダヤ人とは?
  4. Jewish Religious Calendars and Annual Events : Jewish Ceremonies
    ユダヤ教の宗教カレンダーと年中行事・ユダヤ人の人生儀式
  5. Jewish Prayer
    ユダヤ教の祈り
  6. Kashrut
    ユダヤ教の食事戒律
  7. Jewish Laws (except Kashrut)
    ユダヤ教の戒律(食事戒律以外)
  8. What is the prohibition of idol worship that is the essence of Judaism?
    ユダヤ教の真髄である偶像崇拝の禁止とは
  9. Judaism and Circumcision
    ユダヤ教と割礼
  10. Judaism and Tzedakah (To help the poor)
    ユダヤ教とツェダカ(貧者救済)
  11. Concept of G-d in Judaism (Relationship between Jewish and G-d)
    ユダヤ教に於ける神の概念(ユダヤ人と神との関係)
  12. Interpreting Hebrew Bible by Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾が読み解く“おもろい”Hebrew Bible
  13. Jewish Daily Life, especialy Shabbat day
    ユダヤ人の日常生活 … 特に安息日について
  14. Jewish in the various cities and countries
    世界各地のユダヤ人
  15. Jewish Wisdom of  5000 years
    ユダヤ5000年の生活の知恵
  16. Judaism and Education
    ユダヤ教と科学・教育
  17. Judaism and Moral Law
    ユダヤ教と道徳・法
  18. Judaism and Medical Science
    ユダヤ教と医学
  19. Judaism and Money
    ユダヤ教とMoney
  20. Relationship between Men and Women in Judaism
    ユダヤ教と男女の関係
  21. Relationship between Human and Animal in Judaism
    ユダヤ教に於ける動物と人の関係
  22. Anti-Semitism
    反ユダヤ主義について
  23. Compariative study of Jewish and Japanese
    ユダヤ・日本 比較論
  24. Jewish view on Japanese Business and Business Culture 
    ユダヤ人から見た日本企業と日本の企業文化
  25. Jewish view on Japanese Education
    ユダヤ人から見た日本の教育の問題点
  26. Why and How Kanji Isaac Ishizumi converted to Judaism?
    何故、どのようにして(Why & How)石角完爾はユダヤ教徒になったか?
  27. Publication of Kanji Isaac Ishizumi
    石角完爾出版物紹介
  28. Comments from Blog readers
    ブログの読者からの反応
  29. Others
    その他
私の著書「日本国債 暴落のシナリオ」(中経出版、エコノミスト田代秀敏と共著)が3刷りになりました。
ビジネス書の売り上げが大不況の最中、1刷りですら売れ残りが出る状況ですが、この本は何と発売後まだ2ヶ月余ですが早くも3刷りが決定しました。それほどこの問題が皆様の関心を呼んでいることだと思われます。

私は日本国債の問題点について私が住んでいるヨーロッパのユダヤ人の間で言われていることを日本の皆様に紹介する目的でこの本を書きました。日本の方々は日経新聞しかお読みにならないため、海外で言われていることに非常に疎いということが間々あります。そういう危惧から書いた本です。

http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E5%82%B5-%E6%9A%B4%E8%90%BD%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%AA-%E7%9F%B3%E8%A7%92-%E5%AE%8C%E7%88%BE/dp/4806139092#reader_4806139092

 
| メディア出演・講演・掲載一覧 | 20:24 | comments(0) | trackbacks(0) |
経営塾の講演「ユダヤ人に学ぶ」
司会:皆さん、こんばんは。よくいらっしゃいました。ご案内した時には、こんなんで客が来てくれるのかなと心配していたのですが、それでは石角さんに悪いなと思っていたんです。こんなにユダヤ人に興味のある方が、しかも顔ぶれを見るとバラバラなんですよね、業種がね。なんでXXさんが来てくれたのか、XXさんが来てくれたのか、まあXXさんはいつも来てくれるからいいんだけどね。ちょっとXXさんだって本当にビックリしていますよ。興味があるんですか?
 
     石角さんの私が知っているだけのことでご紹介します。元々は京都の江戸時代から続く扇屋さんの息子なんです。そこを本当は継がなければいけないのに弁護士の道を選ばれて、京大を出られて、それでハーバード、ペンシルバニアで法律の勉強をされて、通産省に入られて、それで辞められて弁護士に。うちの夜の会のメンバーです。それである時に案内状が来まして「私はユダヤ人になりました。」そういうパーティを開くというので、私は病気が治ってから半年も経たないでフラフラしていたんだけど、行ったらいきなりスピーチを頼まれて。訳の分からない所に行って訳の分からないスピーチをして帰って来たんだけどね。やがて本が出て、「だから私はユダヤ人になりました。」というんだけど、「一体何だ?」と思って、しょうがないのでこっちも少しこれを読んで勉強したんです。
 
私が感じたのは、要するにユダヤ人というものに驚いたのではなくて、日本人がいかに知識を詰め込まれるだけで、哲学的なこととか人生とか、そういうものに対する教育を一回も受けていないということなんです。それでユダヤ人の生活を読むと、とにかく子供の時から色んな戒律があるし、要するに子供に哲学的なものを植え付けようというユダヤ人の教育に対する熱意がある。旧約聖書を読みこなすことでそれはよく分かるんだけど、旧約聖書を探したんだけどないんだよ。小説旧約聖書というのはあるんだけど。不勉強のまま来てしまったんですけれども、その謎を今日は石角さんに解いてもらう。
 
彼はユダヤ人になりたいと言ってアメリカのそういうユダヤ教の教会に行って、牧師に言ったら「そんなに簡単にはなれないよ、ユダヤ人には。うんと勉強しなければなれない。」と言うので、彼は日本に帰って、日本の教会に行って牧師に同じことを言われて5年ぐらい勉強したんですよ。それでテストを受けてやっとユダヤ人になれたと言っているんです。なんでそんなにユダヤ人なのか、非常に不思議だし。
 
しかし世界のキーマンというのはほとんどユダヤ人ですから、そういうことを考えると「ああ、そうか。ユダヤ人というのは我々と違う教育を受けたんだな。」と思ったわけです。今日はその秘密を石角さんから聞こうという訳です。どういう話をされるか分からないけど、私の基本的な興味は、子供の時から旧約聖書を叩き込まれる訳だよね。その旧約聖書とは一体何なのか、それから、なんでユダヤ人はそう基礎的、哲学的教育をやるという考えなのか、その辺を我々に分かり易く説明してくれますか。よろしくお願いします。じゃあ。
 
石角:パソコンの操作があるので座らせてもらいます。今日はYou TubeだとかPowerpointだとか、現代技術を全部駆使して、DVDまでやりますから、アシストがいないと全然出来ないので。
 
ユダヤ式にやらせてもらうと質問がないとユダヤ式じゃない、議論がないとユダヤ式じゃないのですが、とにかく今日は無関心と誤解を出来るだけほぐしていきたいと思っています。
 
日本に最も悪い影響を与えたユダヤ人というのは「Japan as Number One」を書いたエズラ・ボーゲルです。これが日本を舞い上がらせてしまった。
 
もう一つは山本七平というえらい文人が居たそうですが、「日本人とユダヤ人」という本を書いて、自分はユダヤ人でも何でもないのにユダヤ人と偽ってイザヤ・ベンダサンというペンネームを使って書いたものだから、そこに書かれているユダヤのことが本当にそうかと非常な誤解を与えたんです。ユダヤ人でない人が自分はユダヤ人だと嘘をついた。虚偽表示ですね。ユダヤのことを知らないのに、さも知っているように嘘をついた。そして日本人がこの嘘を信じてしまった。この辺が誤解の始まりですね。
 
ユダヤ人に最も尊敬されている日本人。これは僕じゃないですよ、(笑い)僕じゃなくて実際の人物は僕なんだけれども、その隣に居るのが銅像で、杉原千畝という人です。この人はユダヤ人がナチスに迫害された時に、今のエストニアの一等書記官の外務官僚をやっていたんです。この人がユダヤ人を逃さなければいけない、可哀想だということで人道主義者で、6000人ものビザを、もう手がおかしくなるぐらいバッバッバッと打ったというお陰で、ユダヤ人が日本経由でナホトカから舞鶴、舞鶴から神戸、神戸からアメリカということで逃れて行ったユダヤ人の中に元のシュルツ国務長官だとか、シカゴ・マーカンタイルの理事長だとか、そういう人達がいっぱい居る訳です。一番感謝をしているのは日本人でこの杉原千畝さんです。
 
結果として最も日本に悪い影響を与えたユダヤ人はジェイコブ・シフという人で、日露戦争の前に高橋是清が「戦艦を買う金もないから何とかしてくれ」ということで、色々と世界中に日本の戦時国債を売りまくったんです。誰も買わない。今の国債と同じですね。その時に高橋是清に「高橋さん、貴方お困りやおませんか。買ってあげましょうか。」と言って近づいたのが、このジェイコブ・シフというユダヤ財閥だったんです。この人がロスチャイルドに繋がっていて、それで日本の明治政府が出した戦時国債を70%近く買ってくれた訳です。それで戦艦を買って日露戦争を勝ち抜いた。そのお陰でまた舞い上がってしまって、第二次世界大戦までいってしまったという意味に於いて、これは悪い人じゃないかと僕は分類しているんですが。ジェイコブ・シフは日本の外交史上、財務史上では最も日本を救済した人だと言われていますが、最も悪い影響を与えたユダヤ人です、僕から言うと。
 
さて、私は改宗してユダヤ人になりましたけれども、改宗者というのはユダヤ社会に於いては最も指導的、規範的、模範的なユダヤ人で尊敬されるのです。それは何故かということは後でゆっくりとご説明します。
 
それで私が立つ位置付けですが、ユダヤには色々な宗派があります。一番ダラかんと言うか、アメリカのユダヤ人達はリフォームというグループに所属していますが、「ユダヤの戒律なんかどうでもいいじゃないか。豚肉を食べてもいいじゃないか。シナゴーグに行かなくてもいいじゃないか。」というグループです。心とか信仰をあまり大事にしない。これはリフォームと言われる。でもこういうユダヤ人も年に一回だけヨム・キプールの大贖罪の日は皆シナゴーグに来るんです。そういうダラかんのユダヤ人が一番外に居て、その次に「いや、やっぱり戒律はちょっと守った方がいいんじゃないか。」というグループがコンサバティブというグループです。これはアメリカで約半分ぐらいはこのグループです。
 
更に一番厳しい戒律を要求するグループがオーソドックス・グループと言って、これはイスラエルを中心にあの例の黒い帽子で髭がガーッと生えているユダヤ人が居ますね、あのグループです。私はその中の更に戒律と信仰を厳しく求めるウルトラ・オーソドックスというグループに所属しています。従って、今からお話しすることはウルトラ・オーソドックスのお話であって、皆さん方が商売上付き合っておられるユダヤ人は全部違う。「あいつらは豚肉を食っているぞ」ということをおっしゃられても、それは僕が所属している宗派じゃないということをまず理解しておいて頂きたい。
 
戒律と心の問題というのは実は2つ絡み合っています。戒律を守らなければ心は神に近づかないと思っている。ところがユダヤのある一派、ハシディズムという一派は「いや、心だけで十分だ。心さえ信仰さえしっかりしていれば神に近づくことが出来る」と言ったのがイエス・キリストです。あれはユダヤの元一セクトだったのです。心だけで十分だ、戒律なんてどうでもいいじゃないか。心だけでイエス・キリストの再来を信仰すれば神に近づけることが出来るというので、もう儀式も何もいらない、割礼も何もいらないと言い出したので、もの凄く信者を集めたのです。それで今のキリスト教というのは世界で数十億人という信者を集めるキッカケとなっている。我々は儀式も戒律も心も両方要求したために未だに世界で1500万人ぐらいの信者しかいないという状況です。
 
それでユダヤ人の行動を律する規範にはテシュバとヨム・キプールと2つあります。
 
テシュバというのは毎日何か人の道に逸れたことをしなかったということを毎日考えるのがテシュバです。この曲線で見て頂ければ分かるように、人の道というのは二次元で言うと左右にずれることが度々あります。例えば、スピード違反をするじゃないですか。そういう時に「この次はスピード違反をしないようにしよう。」というのが毎日懺悔をするのがテシュバです。
 
もう一つのヨム・キプールというのは年に1回ある訳ですが、年に1回の大贖罪日に神に向かって懺悔をするのです。私は人の道に反したことをしなかったか、利益の追求ばかりに走って色々な虚偽の表示をしなかったか、法律的に違反しなくても悪いこと、神の目から見て悪いことというのはある訳です。それをしなかったどうかを三次元的に考えるのが、ヨム・キプールの大贖罪日なのです。このヨム・キプールの大贖罪というのがイスラムのラマダンに繋がっていますが、これが我々ユダヤ人の行動規範になっています。
 
チーズバーガーと果樹園。これには面白い話があります。先ほど言ったように戒律と心の問題があります。チーズバーガーを我々は食べません。それは何故かと言うと、聖書の中に「牛乳と肉とを一緒に食べてはいけない」という規定があるからです。その元々は「子牛の肉を子牛を育てる母親の牛乳で煮てはいけない」という聖書の規定から派生して出てきた言葉、考えなのです。だからチーズバーガーは我々は絶対に食べない。それからビーフステーキと、例えばバターと一緒に食べることは絶対にない。ミルクと肉製品とを一緒に食べることも絶対にない。これが戒律なのです。
 
「戒律さえ守っていれば果樹園の中の実に行き渡る」と考えるグループと、「いやいやそうじゃない、果樹園の中の実だけを求めて行けば誰でも神に近づくことが出来るんだ」と考えるグループがあって、実際ユダヤの説話というのは、4人のユダヤ教徒が果樹園の中に入って行っても実にたどり着くのは一人だけで、あと3人は森に迷ったり、気が狂ったりしてたどり着かないんだという説話があります。
 
だから戒律と心の問題はバランスが取れていなければならないというのがユダヤの考え方です。そんなことを話していると、朝日新聞が「ユダヤ人はなんで頭が良いんだ、ということを書いてくれ」と言うので「天才頭脳のつくり方」という本を書きました。小学館が「日本人は何もユダヤのことについて知らないから書いてくれ」と言うので「日本人の知らないユダヤ人」、「ユダヤと言えばお金儲けじゃないか、だからお金儲けの方法を書いてくれ」と言うから「いや、そんなことは書けない」と言ったら、「ユダヤとお金儲けとはいかに関係がないかということを書け」と言うからそういう本を書いたのです。「お金とユダヤ」これが何とソフトバンク出版から出しているので、本屋さんと内容とは最も相応しくないことになっているのですが。(笑い)さて、今までのところで何かご質問ありますか。
 
AA:ユダヤ教徒は質問して答えるということの繰り返しで、自分がだんだん・・
 
石角:「質問なきところにユダヤなし」
 
AA:そういう考えがあるらしい。だから質問して下さい、手を挙げたらご指名しますから。
 
石角:早口で申し訳ないのですが、しゃべることで用意したことが多くて。
 
BB:石角さんはどうしてユダヤ教にこれだけ力を入れるようになられたんですか。心境の変化したところを伺いたいのですが。普通我々はなかなかユダヤ教というのは、聞いてはいますけれども、それこそ深刻に考えたことはないので。
 
石角:非常にいい質問で、ユダヤは質問に対して質問で答えるのですが、「では貴方は何故仏教徒のままですか?」これがユダヤ式の答えなのです。「貴方は仏教徒ですか、それとも神道イズムですか?」という質問に逆になってしまうんですね。僕がユダヤ教徒に改宗したのは、今からYou Tubeの音楽を流しますが、実に楽しい。何故楽しいかというのは今からYou Tuneの音楽を流します。これが私が通っているニューヨークのシナゴーグです。それ以外にも世界各地のシナゴーグがこのYou Tubeで出てきますが、あちこち私も行ってますが、実に楽しい。何故楽しいか? 一つは祈りがもの凄く楽しい。そのユダヤの祈りというのはどういうものか、今からYou Tubeを流します。
   (・・・・・・・)
 
BB:のど自慢になると思わなかったね。(笑い)
 
石角:これがシナゴーグの中で実際に我々が捧げている祈りの楽しい方の祈りです。「これは楽しいな」というのも一つの理由です。
 
CC:石角先生、貴方は何故ユダヤ教に興味を持ったかというBBさんの質問に答えていないから答えて下さい。
 
石角:答えていますよ。一つは中に入って楽しかった、と。だから何故中に入ったかということですが、一つは私が病気をした時に命を救ってくれた医者がユダヤ人だった。僕のHarvardの友人で今もずっと一緒に仕事をしている仲間達は全員ユダヤ人だった。3番目は、うちの女房はニューヨークでオペラをやっていますが、その関係者は全員ユダヤ人です。オペラの先生もピアニストも舞台も全部ユダヤ人だということで、必然的にこれに興味を持つようになって勉強を始めたということです。
 
BB:何か最初ニューヨークのユダヤの教会に行って「入れてくれ」と言ったんだって?「ユダヤ人になりたい。」とそうおっしゃって。
 
石角:それで行ったら「いや駄目だ」と。もう一度行っても「いや駄目だ」と。3回目に行ったら「ラバイに会え」と言われたんです。僕はその時ラバイというのがユダヤ教のいわゆる牧師さんのことだということは全然知らなかったので、4回目に行って「ミスター・ラバイに会わせてくれ」と言ったら笑われました。「ミスター・ラバイという人は居ない。ラバイ何とかという名前に付いている人はいるけれども、そういう人は居ない。」とまた追い返された。やっとラバイに会えて「ちょっと勉強したいんだけれども」と言ったら、「今までどんな本を読んだことがあるか?」と聞かれたので「いや、何もない。」「バーンズアンドノーベルズに行ってこれだけの本を読んでこい。」と10冊ぐらいのリストをもらって、それを買って読み出した。それでもう一度「これとこれを読んだ」と言ったら「じゃあ、いいだろう。週1回ユダヤ講座があるからそれに参加しろ。」と。僕は先生に「どのぐらい時間がかかりますか?」と聞いたら「週1回だったら10年ぐらいかかるな。」だからかえって「10年かかるなら何とかやってみよう」という気になった。そこで日本に対して皆さん方がこれがユダヤだったのかというのが一つあります。それを今から聞いて頂きます。これもユダヤの祈りの一つです。
(・・・・マイマイマイマイマイヨエッササの歌・・・・・・・・)
聞いたことがあるでしょう? 僕らが小学校の時に習った「マイマイマイマイマイヨエッササ」という歌です。これがユダヤの祈りで、翻訳すると「砂漠の中で水が見つかった」という歌です。祈りの一つです。これは恐らく皆さん方が聞いたことのあるユダヤの祈りの唯一のものじゃないかと思います。さて、ユダヤの祈りというのは皆さん方が考えているような厳かなものではない。それはシナゴーグの中に入らなければ分からない。入る為にはえらい苦労と勉強ともう一つ試練が必要。試練というのは何か? 割礼です、男の場合。女性は割礼はありませんが男の場合は割礼がいります。
 
AA:石角さん、割礼というのは子供の時にやるんでしょう、向こうは?
 
石角:ええ、でも改宗者は改宗の儀式の一つです。だから成人割礼です。
 
AA:大人になったら割礼なんてする必要がないからね。ひとりでむけて来るから。
 
石角:でも駄目なんです。包皮というのが完璧に取れてないと駄目なんです、ユダヤの割礼は。
 
AA:それはね、普通の男はむけちゃうんですよ。
 
石角:いや、むけても包皮が残っているんですよ。それではユダヤ人にはなれない。取らなければいけない。その取る手術が本格的な外科手術で、1時間半ぐらい手術台に横になっていました。その間ずっとラバイが付き合っていて、ユダヤの戒律に従った割礼手術が終わったかどうかを確かめる。だから簡単にはなれないし、僕の知っている限り日本の男性で改宗を成し遂げたのは僕しかいないと思います。聞いたことがないです。
 
我々はオラムハバとオラムハゼという2つの世界の中で、オラムハゼの方に重点を置いている宗教です。今の現世をどうやって楽しく生きるか。ただ現世は苦悩と苦難に満ちているということは十分認識しなければいけない。
 
これは僕の娘の結婚式です。フッパというユダヤの着付けの材料、身を包む衣ですが、これの下で結婚式をするのですが。この結婚式の時にオラムハゼについての苦難を。だから日本の結婚式とは全く違うのです。それを今から一つお見せします。象徴的な出来事があります。これがYou Tubeの中のサンライズ・サンセット
   サンライズ・サンセットというのを皆さん方聞いておられると思います。森繁久彌が日本ではずっと公演していた「屋根の上のバイオリン弾き」。ロシアのユダヤ人の生活をミュージカルにしたものです。1960年です。この中で一番有名な曲が「サンライズ・サンセット」で、ユダヤ人の結婚式の場面があります。この結婚の場面である行為があって、その行為というのはユダヤ人が人生をどういう風に考えているか、最も祝うべき結婚式をどう考えているかということの象徴的な行為があります。それを今からお見せします。何か今までのところで質問がありますか?
 
CC:ウルトラ・オーソドックスというのはユダヤのエリートですか?
 
石角:いやいや、エリートも何もないです。
 
CC:どういう立場なんですか?
 
石角:まず格好は、僕みたいな格好をしていないんです。こういう平べったい山高帽をかぶっています。それで身体に刃物を当ててはいけないという聖書の規定に従って一切髭を剃っていないから、ハサミを入れませんから、こういう髭が生えてきている、この辺から。
 
BB:割礼はどう?
 
石角:割礼は勿論生後8日目に皆やられていますから、その点だけは例外。
 
CC:では、戒律を一番厳しく守る
 
石角:戒律を一番厳しく守っているグループです。戒律というのは、我々には613の戒律がある。皆さん方は7つの戒律がある。十戒マイナス3ぐらいでいいんです、皆さんは緩いんです。僕らは十戒と613の戒律があって、それを守らなければいけない。一番日常生活で厳しい戒律というのは食事戒律です。あれを食べてはいけない、これを食べてはいけないというのがもの凄く沢山あります。それからお酒も限定されています。ワイン、それを飲むのは安息日だけ。安息日だけで飲めるワインはユダヤ人の農園でユダヤ人が栽培し、ユダヤ人が醸造してユダヤ人がビンに入れてユダヤ人が栓を抜いてユダヤ人が洗ったコップでないと飲めないのです。だから必然的にユダヤ人というのはユダヤ人以外と食事をしない。
 
DD:皆さんも興味があると思いますが、サンデル教授ね。マイケル・サンデル Harvardの。ユダヤ人ですが、彼は先ほどのCCさんの質問に追随するとどの辺の宗派になるんですか。
 
石角:彼に聞いたことはないので。彼の講義は受けたことはあるけれども聞いたことがないので分かりませんね。
 
DD:どちらかと言うと我々が普通付き合っているユダヤ人というのは
 
石角:リフォーム。アメリカのビジネスマンで例えばソロモン・ブラザーズとかリーマンとか、ゴールドマン・サックスで働いている連中というのは99%リフォームだと思って間違いないです。だってこんな格好でビジネスしていられない。僕もそういう格好をしていないので。
 
DD:私は石角さんがユダヤ教に改宗したというのはよく分かるんです。というのは、回りに居てそもそも教えが勉強することで、自分のこれまでの生き方とある意味では共通性があると思うんです。突然例えば石角さんがマザー・テレサみたいになるというのは、私から見ても考えにくいと思うのですが、石角さんがオーソドックスになった、あるいはユダヤ人・・・・そういったことはよく分かるんです。そっちの方はどうなんですか。議論をするだとか
 
石角:議論はしょっちゅうやっていますよ。Powerpointの中でそこのところを出しますが、我々は週に1回安息日の食事をユダヤ人達とシナゴーグでしますが、その時に野球の話とかゴルフの話とかサッカーの話とかは全然話題にはならないです。どんな話をしているか? 今から実例をPowerpointでお見せします。後で出てきます。それでこの現世を我々がどう考えているかということの象徴的な出来事が、このサンライズ・サンセットの結婚式の場面で出て来るんです。ちょっとお見せします。
 
CC:石角さん、質問と答えにして。
 
石角:質問と答えにしてもらいたいという要望があるんですが。今の質問に答えますと、例えば、こういう議論をしています。「神は全知全能である。ならば神はご自身が動かせられないぐらいの大きな岩を作ることが出来るはずだ。よって神は全知全能ではない。」ということについて、この三段論法が何かおかしくないか、というようなことをよく食事の席で議論をします。それから、例えば、自分の家に泥棒が入った。その時に捕まえて調べてみると、その人間がユダヤの青年だった。その時に日本の警察に突き出すべきかどうか、というようなことも議論しています。ある所に煙突から二人の泥棒が煙突を下って降りてきた。一人の顔に煤が付いている。リビングルームに降りて来て顔を見合った泥棒がどちらの顔を拭くだろうか、というような議論もしています。これは物の見方を、次元を変えると真理というものは複数あるんだということの訓練です。先ほどの一番分かり易いのは、「神は全知全能である。よってご自身が動かすことが出来ないほどの岩を作ることが出来る。だから動かせない岩があるんだという神は全知全能じゃない。」という三段論法が何故変なのかということを真剣になって議論しています。だからというのかよく分かりませんが、我々は西洋のプラトンの思考と違って抽象から現実に入りますから、深く物事を考えてCritical Thinkingの訓練というのは、こういうユダヤの食事の場所で小さい頃から為されていくんじゃないかな。それがユダヤ人がノーベル賞受賞者の約3割、ほとんどの偉大な思想家の大半を輩出して来た大きな秘密じゃないかと思います。こういう感じがします。他に何かご質問ありますか。
 
EE:旧約聖書がユダヤ教でしょう。新約聖書はキリスト教ですか?
 
石角:そうです。
 
EE:どういう違いがあるんですか。
 
石角:新約とか旧約とか、まず言わないでもらいたい。我々の聖書はあれしかない、The Bible。新約というのはイエス・キリストの使徒達が書いたもので、違いというのは、新約聖書の方は我々のバイブルに対してかなり批判的なことが含まれている。それからもう一つは、イエスの教えに関して使徒達が書いたものだから、私の感じでは、キリスト教の教えを広める為に色々と創作された部分がある。我々は新約聖書を読まないし、読んだこともないです。バイブルというのは我々には旧約聖書だけ。オバマ大統領が宣誓式で手を置いたのは、紛れもなく我々の聖書だと思っています。新約聖書じゃないと思います。何故か? あの偉大な大統領のエイブラム・リンカーンもユダヤ人だったし、それ以来宣誓式で手を置くのはThe Bibleだろうと。誰も検証のしようがないですけどね。答えていますか? 
 
FF:最初のところで山本七平さんが誤解を招いたという話がありましたが、大宅壮一賞の第2回目の受賞者なので責任がある気がしたんですが、彼の著作の中の何がどう間違い、間違いなのか、彼の解釈がおかしいのか、手短で結構ですが。例がいちいち違っているとか、何か色々あると思いますが。
 
石角:僕もあれを本がボロボロになるぐらいに読みました。今何か記憶に残っているかと言ったら何もない。ただ一つ言葉だけがかなり独り歩きしている面がある。それはユダヤ人は空気と安全について、これはタダだと思っていない。コストがいるんだ。日本人は空気と安全はタダだと思っている、という箇所がありました。僕がユダヤの中に入って感じたことは、安全という問題について我々が議論したことはほとんどない。だから防衛だとか安全だとか、そういう問題については宗教の教義の中には語られていないのではないかと思います。まして安全にコストがかかるなどという議論はユダヤ教の中にはない。山本七平のフィクションだ。それと山本七平さんがイザヤ・ベンダサンかどうか分かりませんが、もしそうだとすると、それは困ったことだという感じがします。あれはやっぱり実名で書かれるべきじゃなかったか。そうしないとユダヤ人がああいう風な対比で語られることに関しては、我々ユダヤ人から見ると多々虚偽のところがある。そういう感じがします。
 
GG:今のお話の安全を考えたことがないということは、安全という、戦い、争いというものがあるのに安全というものを考えないというのはどういうことですか?
 
石角:ユダヤ人の思想の中で、奇跡というものについて色々な議論があります。今日のPowerpointの中でモーゼの十戒の場面をお見せしようと思って持って来ましたが、例のエジプトの軍団がユダヤ人を追って来て紅海まで追い詰められる。それでユダヤの民が追い詰められて、「助けてくれ」とモーゼに言った時に神の力で紅海が真っ二つに割れるという場面がありますね。あそこがユダヤ人が安全という問題、身の安全という問題について考えた唯一の場面だろう。あの時に神が奇跡を起こしてくれた。ユダヤにとって安全というのは神の奇跡の問題であって、日常の問題ではない。日常の問題については戒律を守るということが全てである。その結果として、戒律を守って、例えば安息日には車を運転してはいけないので歩かなければいけない。その時に車にはねられた。死んでしまった。それはそれとして仕方がないことだ。戒律を守っていることの方が重要だ。だから安全は神の奇跡によって保障されることはあっても、戒律を守ることによって保障されることはあるかないかは、それは分からないという考え方です。戒律を守っていてもテロで殺されることはある。だからやっぱりユダヤ人は安全が自分達のコストだという風に思っているということは、少なくとも宗教教義の中ではないと思います。この点が山本七平の嘘だったと思います。彼はユダヤことを何も知らない。今のイスラエルとパレスチナの問題とか、それは別ですよ。他に何かご質問は?
 
II:戒律についてですが、ユダヤ人は深く物事を考えていく、あるいはCritical Thinkingがどちらかというと得意ですよね。そうすると、この100年ぐらいで戒律自体を見直した例というのはあるんですか?
 
石角:ありますよ。リフォームがまさにそうです。守らなくて良い戒律というのはリフォームにはもの凄く多い。極端なことを言うと、海産物について海老、イカ、タコ、シャコとかを食べるユダヤ人達は結構増えてきています。でもBibleではあれは食べてはいけない。
 
II:宗派の中で変えていく。じゃあ、石角さんが属しているウルトラ・オーソドックスでは絶対に、どうであっても、世の中がどう変わろうが、気温が変わろうと、絶対に変えない?
 
石角:絶対に変えられない。だから今のIIさんのご質問で一番典型的な例は、こういうことはよく食事の時に議論するんですよ。十戒の中に「汝、人を殺してはならない」と書いてあります。あれは刑事規範ではないんです、道徳規範なんです。日本の刑法は人を殺したら刑に処すと書いてある。殺していいか悪いかについては一切書いてない。極端なことを言えば、刑に処されることを覚悟すれば人を殺していいのかも知れない。だから、あれは刑法なんです。十戒は道徳律だから、明確に「殺してはならない」と書いてあるんです。それで食事の時にどんなことを議論するか? 自分の額にテロリストが銃を突きつけて、「お前に拳銃を与える。それでそこに居るお前の娘を殺せ」、あるいは「そこにいる看守を殺せ」と言われた時に、十戒の教えを守って絶対に引き金を引かないのか。そうすると自分は殺される訳です。それを避ける為に自分はピストルを持って自分の頭を打つべきかどうか。つまり自分の娘を殺すことは出来ない。じゃあ、自分を殺していいのか。「人を殺すなかれ」という中に自殺を認めても良いのかというような議論もしています。唯一安全とか何とかを考えるのは、その戒律が現実の場面に於いて問題になった時だけです。だから、僕が改宗の試験の中で最後にユダヤの長老達が5〜6人出て来て僕に色々な矢継ぎ早の質問を投げかけて来た。その一つに「お前が飛行機に乗っていてテロリストがその飛行機を乗っ取った。それで『まず最初にユダヤ人から殺していく。ユダヤ人は手を挙げろ。』という風に乗客に向かって言った時にお前は手を挙げるか?」と言われた訳です。そういう時に初めてユダヤ人というのは安全について考えることはあります。自分の身の安全をどうやって守るか? 現実にそういう目に遭ったユダヤ人というのはもの凄く多いです。ユダヤ人が思うには、その時は神が奇跡を起こしてくれることを請い願うのだが、それでも救われなければ戒律を守ろう、というのが僕の所属するオーソドックス、中でもウルトラ・オーソドックスの立場です。だからユダヤ人が手を挙げなければ、その乗客を軒並み殺していくというような状況になれば、「汝、殺すなかれ」という立場で自分が自殺することになっても止むを得ないから手を挙げる。こういう形になる。こういうようなことをよく議論するんです、食事の時に。だから、食事は普通の日本人だったら美味い訳がないと思います。だけど我々はこういう議論が食事を美味しくすると考える人達なんです。変わっています。
 
BB:石角さん、貴方は一番合理的な仕事をしている訳ですよね、法に則って。その石角さんが何故ユダヤ教にそんなに興味を持って、ユダヤに入って我々が考えられないような戒律みたいなものに浸かって、疑問を感じないですか?
 
石角:例えば茶道をしている人が、なんであの茶室に入る時に礼儀作法についてあれだけうるさいの? というようなことを考えると、僕はそれは本質的に同じじゃないかなという気がします。作法とか戒律とか儀式とか規則とかいうものがあって、初めて心の自由が解き放たれるのではないかというのがウルトラ・オーソドックスの考え方なんです。リフォームは、「いや、そんなものはいらない。信心さえあればいいんで戒律は守る必要がない。」だから仏教の中でも禅宗とかは我々ウルトラ・オーソドックスの考えに近いんじゃないでしょうか。そう僕は思います。浄土宗とか浄土真宗とか、比較的現世的な宗教、仏教の派については、我々の言うリフォームに近いんじゃないでしょうか。だからと言って、何か自分の身体を痛めつけるような業をやらないと悟りの境地に達しないという風に考えている訳ではない。ただ4000年間守って来た旧約聖書、The Bibleの教えの定めに従って生きていくことが一番道を誤まらないんだと考えています、我々は。
 
AA:質問がありますか。皆さん、今日は好奇心で来ておられると思うんだよね。それを満たして帰って下さい。
 
HH:石角さんのご本でもユダヤの逸話で、自分の子供、小さい子供が神の存在について疑問を呈すると親はすごく喜ぶというような逸話を書いています。そういう中で石角さんにとって今ユダヤ人としての神の存在の意義、神をどういう風に捉えていらっしゃるのかなと。
 
石角:僕は何教から改宗したのかとよく聞かれますが、皆さん何教なんですかね。普通の日本人は何教なんですか。そこがやっぱり一番嫌だったという風に言えばいいのかな。よく外国で「What is your religion?」と聞かれますよね。どこの国だったかは忘れましたが、入国の時に自分の宗教を書く欄がある国があります。あそこで皆さん仏教と書くんですかね。そうすると、訳が分からないのは12月のクリスマスはドンちゃん騒ぎをするでしょう、大晦日は仏教、正月は神道でしょう。神社仏閣に行きますね。そうすると僕は、日本人は神道か。いや訳が分からない。だから改宗と言われるとちょっと困るので、入信と言った方がいいのかも知れないですが。
 
HH:神の存在があるかどうかで、いろんなことがあると思いますが、神の存在をユダヤ教になる前となった後で、何と言うんだろう、変わったのか変わらないのか。私の家内がクリスチャンなので心情的にはほとんどそれに近いと思いますが、ただ入信している訳ではない。けれど確かに神という存在を無しにして色々なことを考えるのはすごく難しいと思っています。どこかに属したいなということはありますが、実際にその中で一番ある意味ではカトリックよりももっと戒律が厳しい国、そういうところに属していって、属す前と属した後で自分と神との距離がどういう風に変わったですか?
 
石角:いや、属する前は考えたこともなかったです。ユダヤ教で僕が勉強させられて一番驚いたのは、「ユダヤ人は神を疑わなくてはならない」と言うんです、ラバイが。恐らくウルトラ・オーソドックスもリフォームもコンサバティブも、どの宗派も神を鵜呑みにするということを教えるところはないです。聖書を勉強する時に、いきなり聖書のページを開いて「お前、どこかおかしいところはないか?」とラバイが聞いて来るんです。「世界が6日間で創られたというのはおかしくないか?」だから神の存在を疑わないのはユダヤ人ではない。しかし神の存在を信じて疑わない、鵜呑みにしてしまうというのもユダヤ人ではない。だから我々は日々勉強しなくてはならない。先ほどのように「神は全てのものの創造主である」と言うと、これは間違っていますね、多分ユダヤ的には。そんなことを言うと、「神は全てのものの創造主だ。よって神はヒットラーを創られた。従って、アウシュビッツは神の望んでおられるところだ。」と、こういうことになる訳です。先ほどの神が動かせない岩の例と同じ。
 
僕が何を学んだかというと、ユダヤの考えでは、神を人間の言葉で形容することがそもそも出来ないんだ、と。だから敢えて人間の言葉で形容するならば否定形しかない。「神は形がない、神は姿がない、神は光っているものでもない、神は触れることも出来ない、神に匂いはない、」という否定形でしかない。そうすると、あらゆるものの否定の中にあるものというのは一定何なのか? それは、絶対的な超越をしているものであり、全ての中に抱一されているものであり、あらゆる存在を存在たらしめているものである、というような言い方しかない訳です。全然訳が分からない。訳が分からないから考える以外にない。だからと言って良いけれども、ユダヤ人というのは思想家が多いのはそのせいだと思います。スピノザもそうだし、カール・マルクスもそうだし、フロイトもそうだし。あのアインシュタインもそうだし。まあ、最も思想家というのはイエス・キリストですかね。考えざるを得ない。
 
仏像というお姿があったら、それは簡単です。仏像だとか、鑑真和上の像とか何か、それに手を合わせていればいいのだから。だけど我々はモノシズムであって、そういうお姿、偶像を一切禁止しているのです。あってはならない。
 
GG:仏教は平和主義だと思うんですよ。そういう運動もしている訳ですけれども、ユダヤ教というのは、世界の平和とか、あるいは核兵器とか、そういうことについてはどういう考えですか?
 
石角:ユダヤ教と平和の考えについては先ほどの安全の問題ですけれども、こういう風に考えています。神はエデンの園で人間に善悪の木の実を食べていいとはおっしゃっていなかったのに食べてしまった。しかし食べた以上は人間には善悪、2つが兼ね備えられた。自由意志を持った。従って、人間には悪を為す自由意志もあれば、善を為す自由意志もある。従って、悪がこの世にはびこることも神がある創造をされた結果だ。我々はそれを少しでも少なくさせていく努力をしなければならない。それがユダヤ人の神に対しての約束事だ。そこから契約理論というか選民思想が生まれてくるのです。
 
従って、先ほどの戦争の問題に移りますが、戦争のない世界というのがユダヤの理想であることには変わりはないし、それから「人を殺してはならない」という十戒の教えがそこから来る訳です。動物愛護というのはユダヤの最も基本的な思想です。だから肉食は基本的に禁止なのです。だから我々はそういう意味に於いて動物愛護主義者であり、自然主義者であり、平和主義者です。
 
最もユダヤが今まで2000年間戦ってきたのは差別に対する抵抗です。これは今でも戦っている。だから差別をする人に対しては我々は戦います。差別を戦争という形でする人がいればそれは戦います。その差別というのはキリスト教徒がユダヤ教徒を差別するということは過去の歴史でずっとありましたが、ユダヤ教徒がキリスト教徒を差別したことはないです。あるいはユダヤ教徒がモスリムを差別したこともない。我々は受け入れています。モスリムとユダヤ教徒というのは元々同じ一神教の中から発生してきた。モスリムとユダヤは最も近い関係にある。ユダヤ教は今のバグダッドで生まれた。ユダヤ教徒はモスリムの中で保護されてきた。
 
一神教のユダヤの定義が神に名を与えない、またいかなる偶像も作らないし、書かないし、頭の中に想像しない。これは一神教の定義です。皆さん方が考えている一つしか神がないというのとは違います。一神教というのは偶像を持たないし、紙にも書かないし、神のお姿も想像しない、神の名を呼ばない。だから「天照大神」とかそういう名前も呼ばない。そういうのが一神教です。
 
GG:しかしイスラエルという国は非常に戦闘的な、何かむしろ好戦的な国かなという印象を受けるのですが。
 
石角:ええ、原子爆弾を持っていますしね。だから現体制の政治と我々が信仰しているユダヤ教とは全然別ですね。混同してもらいたくはない。
 
「好戦的な」とか「戦闘的な」という言葉をイスラエルに対して使うのは間違っていますよ。好戦的で最も戦闘的な国は歴史的に見て日本じゃないですか。

まず第一に、豊臣秀吉は自衛の為でもなく朝鮮に出兵した。2番目に満州事変は日本陸軍が仕掛けた。自衛の為でも何でもなかった。そしてパールハーバーは明らかにアメリカが攻撃を仕掛けていないのに攻撃を仕掛けた。こういう歴史を見ても日本ほど好戦的で戦闘的で国際ルールを守らずに自衛の為でない戦争を、しかも国家の目的を達成する為の戦争を相手が仕掛けてきていないのに始めた国だ。そういう日本人からイスラエルに向かって「イスラエルは好戦的だ」と言われたくはないですね。まず日本人のことを好戦的であり戦闘的であり、自衛の為の戦争ではなく侵略戦争を始めた国だということを認めるべきではないですか。
 
武器らしい武器を持っていなかった琉球王国(今の沖縄県)をいきなり武力進出し、日本国に併合したのはどこの誰だ?
2日清戦争は朝鮮の農民戦争をキッカケに日本が朝鮮に出兵した。全く自衛の為でも何でもないのに他国にいきなり出兵したのは日本だ。
   
AA:折角お見えになったのだから、話の中でユダヤ教に共鳴して俺も入りたいというような説得力が今までの話の中で私はないと思うのですが。折角みえたのだから、一人ぐらい帰依したいと思う人がいるべきだと思うんだけれどもね。(笑い)
 
FF:何が良くなるだろうと思ってそんなに努力して信者になられたんですか?
 
石角:多分僕の話を聞いてユダヤ教に改宗しようという気になる人はいないと思いますね。
 
AA:今までの話ではね。最後に、「皆さんユダヤ教はこんなに素晴らしい」という説得力でもって締めてくれませんか。あと5〜6分しかないから。
 
石角:それは残念ながら多分出来ないだろうと思いますね。というのは、ユダヤ教というのは一切布教をしない。布教をしない宗教なんです。それから伝道もしないです。そういうことは一切しないし、どのユダヤ教の宗派でもそれはしないと思います。求めて来た者に対しても拒む宗教なんです。分かってもらいたいなどと思ってもいない宗教なんです。孤立し、変わり者であることを求める宗教なんです。ですから、私も皆さんに共感を得たいとは全く思ってないのです。  
 
AA:確かにそうだね。貴方がニューヨークで「入りたい」と言ったら「勉強しなければ入れないよ。」と言われて5年本当に勉強されたそうだからね。それは確かにそうだ。
 
石角:イスラエルという意味がそこに帰着するんですが、イスラエルというのはヘブライ語で「神と私」なんです。「神と我々」ではないのです。だから「神と皆さん」ということではないんです。だから「My God」なのです。私が神と対話することがあっても、それを皆さん方に理解してもらおう、布教しよう、伝道しようという気は全くない。さらさらない。ただ材料は提供しますし、求めてくれば門戸は開くけれども、簡単な気持ちでちょこっと勉強しようという人は正直言って来てもらいたくない。だから、「シナゴーグをいっぺん見てみたいんだ」と言っても誰も入れてくれないですよ。
 
AA:シナゴーグというのは?
 
石角:ユダヤの教会のことです。誰も絶対に入れてくれない。
 
AA:石角さん、今日は残念ながら入りたいと思った人は居ないと思うよ。変な宗教という結論になっちゃうね。(笑い)
 
石角:それはしょうがないと思いますね。他の理解を得ることを目的としない宗教です。
 
BB:今唯一私がユダヤ教にあるいはと思うのは子供の教育の問題ですね。それについてユダヤ教と日本の今の教育について、まあここにもお書きになったのを拝見しますけれども。何か教えていただければと思います。

石角:ユダヤと教育についてお話すれば、また時間がずい分かかってしまいますが、我々の教育というのは人類史上初めて義務教育を始めたのは我々ユダヤ人です。150人のユダヤ人がいる所には学校を作らなければならないというのが我々の原始ユダヤからずっと続いている考え方です。教育は1対1の議論教育。だから5〜60人の教室で教えるという教育は原則としてやらない。そうすると誰がやるか? いつも傍にいる母親がやる。だから子供と母親との1対1の議論教育がユダヤの教育の基本です。その形はヘブルタ式教育という形でユダヤの中学、高校、宗教大学、全部ずっと受け継がれています。だから彼らの教育を見ていると、こういう風に1対1で座っていてずっと二人が議論している。答えはないというのがユダヤの教育です。答えはないです。ただ議論がある。議論が全て、質問が全て。それはそうですよね。答えは時代によって変わるけれども質問は時代によって変わらない。我々の考えでは真理というのは一つではないので、真理は複数あるというか真理は分からない。従って質問の方が重要だ。

JJ:ユダヤ教に改宗されて、される前と後では貴方自身は何が変わったんですか。幸せになったんですか?
 
石角:もの凄く忙しくなった。今までも弁護士として世界中を飛び回っていたが、さらに忙しくなった。1日24時間7 days a week という感じですね。
 
JJ:忙しさを求めただけなんですか、何が変わったんですか? 幸せというか生きがいというか実感というか、何が変わったんでしょうか。前と後では? 幸せになった、そういうことですか。
 
石角:そういうことですね。忙しくなったことは幸せなことだと思います。つまり仕事以外で忙しくなった。毎朝、毎夜2回シナゴーグに行く訳です。それから金曜の夜と土曜の朝午前中にかけてシナゴーグに居る訳です。土曜日の夜はシナゴーグで勉強会がある。世界中どこに行っても全てのユダヤ人が、まあリフォームの人は別として、コンサバティブの一部、オーソドックスの一部、ウルトラ・オーソドックスのほとんどは、そういう日常生活を送っているのです。それで幸せかい? 我々は幸せです。
 
JJ:知的満足感ですか?
 
石角:それもありますね。それよりも、精神的充足です。これはいくら暇でもお金があっても必ずしも得られない。我々はそれが単調な中に於ける繰り返しの幸せ。例えば、この聖書を我々は一生その人の寿命の回数だけ読むわけです。1週間を54等分して1年間で1回読みます。1回読めばいいじゃないかではない。来年も読むんです。さ来年も読みます。死ぬまで読みます。だからヨボヨボの爺さん・婆さんもシナゴーグに来て聖書を読む勉強会に参加しています。彼らに「それが幸せか?」と聞くと、「Yes」と言いますね。単調な繰り返しの中に於ける幸せというものを求めるのが、先ほど言いました「オラムハゼ」現世の苦悩に於ける幸せの見つけ方だ。
 
AA:それでは石角さん、時間が来ました。あとは食事をしながら雑談ということで。しかし、変わった宗教だなと思うけど共鳴しないね、なかなか。そういう意味では、石角さん、共鳴者を増やすという意味では今日は説得力が足りないよ。もっと・・・
 
JJ:増やしたくないんだもの・・・・・
 
AA:いや、そんなことないでしょう。宗教だからね。信者が増える方がいいじゃない。
 
石角:布教はしないし、共鳴してもらいたくないというのがユダヤ教です。ユダヤ人だけの宗教です。分かってもらう必要は全くない。  
 
JJ:信者証明書みたいなものはあるんですか?
 
石角:あります。改宗証明書が僕のパスポートですね。その改宗証明書があるとユダヤ人として認められるのみならずイスラエル国籍をもらえるのです。だから僕はいつでもイスラエル国籍の取得は可能です。いや、欲しくないでしょう? イスラエル国籍なんて欲しくないでしょう。それはそうですよ、イスラエル国籍をもらうと日本のパスポートを持っているよりえらい不便なんです。アメリカに入国出来ないんだもの。皆さん、イスラエルはアメリカとべったりだと思っているかも知れませんが、全然違います。イスラエルのパスポートを持っていたらアメリカにビザ無し渡航が出来ないんです。
 
JJ:ちょっと石角さんの弁護ということではないのですが、コメントなので質問ではなくて申し訳ない。私も子供を中学校から二人ボーディング・スクールという全寮制の学校に行っているんです。あるいはアメリカのビジネススクールに行ってみると、つくづくユダヤ人の連中の話をしていて・・・の本などを読んでいると、実はアメリカでやられている教育、あるいは今日本ですごく話題を呼んでいるマイケル・サンデル教授のハーバード白熱教室とかの日本語訳をしていますが、あれはいわゆるアメリカでは全く普通に行われている教育なんだけれども、日本に来ると皆「ワーッ」と言って色々な人が反応している。逆に言うと、ユダヤ人のああいう考え方というのはアメリカの革新的なものの母体というものがそれであると考えざるを得ないぐらい、やっぱり浸透しているんじゃないかなと思います。ユダヤ人でない私が言うのもおかしいんだけれども、ユダヤ的なああいう風な物の考え方・・・・
 
AA:それでは乾杯の音頭をHHさん、貴方不思議そうな顔をしているから、感想と・・・・
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TOPPOINTに紹介されています
 私が2000年にJapan Times社から出版した「アメリカのスーパーエリート教育〜 独創力とリーダーシップを育てる全寮制学校 〜」の改訂版を本年10月5日にJapan Times社から出版しましたが、それが<Longseller Collection>として書評誌「TOPPOINT」12月号に紹介されています。
 
2000年に出版した「アメリカのスーパーエリート教育〜 独創力とリーダーシップを育てる全寮制学校 〜」は1万部を超えるこの種の本としては大ベストセラーになりました。そこで10年の歳月を経てさらに詳細かつ綿密な私の足と目と手による現地の200校の学校調査を行い、これらの新しい学校情報も加えさらに充実させた内容として全面改訂版が発行されました。その全面改訂版が「TOPPOINT」に<Longseller Collection>として紹介されていますので、是非「TOPPOINT」のご購入及び私の全面改訂版「改訂版 アメリカのスーパーエリート教育〜 独創力とリーダーシップを育てる全寮制学校〜」(2010年10月5日Japan Times社発行)をお読み下さい。http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%89%FC%92%F9%94%C5%83A%83%81%83%
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教育関係者、教育に関心を持っておられるご両親の方、学校関係者に広く読まれるべき本であると自負しております。日本の教育とアメリカの教育、そしてイギリスのエリート教育との違いがこの本1冊で十分お分かりになっていただけると思います。
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「週刊現代」に紹介されます
 ご無沙汰しております。さて、私の書いた「日本人の知らないユダヤ人」(小学館)の著書が1122日発売の「週刊現代」の172ページから174ページの3ページにわたって紹介特集されます。是非ご覧下さい。週刊現代の編集者がまとめたものですが、本1冊分を非常にうまく内容を逃さずにまとめています。いわば「日本人の知らないユダヤ人」(小学館)のダイジェスト版です。是非週刊現代をお求め下さい。


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初等社の講演
司会:では定刻となりましたので、まだ人数もこれから来ると思いますけれども、先に始めさせていただきたいと思います。石角先生は本会で前回も5〜6年前に「スーパーエリート教育」というお話をして頂きました。Prep Schoolの入学についてのお話をして頂きました。今回、そういうユダヤ人になったということを偶然FM放送のインタビューで聞いたのですが、そういうことで今回ユダヤ人とユダヤ教について私もよく分からないことが沢山ございますので、特に今日は来ていませんが、XXXさんという反ユダヤ主義者の人が当会にいるのですが、今日は直接対決をするのを嫌がるのかなと。(笑い)今日はXXX先生です。では1時間程度お話いただきまして質疑。また8時半からレストランに移って会食としますので、8:40ぐらい前後にはレストランに移りたいと思います。ではよろしくお願い致します。これを使います? では、それを見ながらよろしくお願い致します。
 
石角:ユダヤ的にやっていいですかね、今日? ユダヤ的にやるとなると「何か質問ありますか?」と。石角完爾がここに居ますから。多分日本語の出来るユダヤ人は世界で僕だけだろうと思いますし、「何か御質問ありますか?」というやり方がユダヤ的なんです。どうぞ。
 
AA:XXXと申します。そうすると、日本人でもないしユダヤ人でもないのか。それともユダヤ人であり日本人でもあるのか、そこら辺の価値観の事例とか。その辺をどのように。今日の石角さんのおっしゃったのでは、僕は石角さんは日本の方かと思っていたら、「いや、自分はユダヤ人だけど日本に住んでいる。」とかおっしゃったようで。その辺が混然と融合しているような感じになるので、ちょっとご説明頂ければと思います。蝶ネクタイ派の同志として御質問申し上げます。

石角:これもユダヤ的な対応でいいですか。ユダヤでは質問に対して質問で返すんです。そこで「日本人って何ですか?」どうですか?

AA:それは本当の日本人でなければ「日本人って何ですか?」というのは分からないと思いますが、どういう風に思いますか。また質問で返す。

石角:だいぶユダヤ的ですね。「日本人とは何ですか?」と聞かないと「ユダヤ人とは何ですか?」というのは答えられないと思うんです。多分ここにいらっしゃる方は皆日本人で、僕も日本国籍だから「日本人って何ですか?」と聞かれて多分皆答えられないというか、一人一人全部答えが違うのではないですかね。日本国土に住む人が日本人だったら在日韓国人は日本人ですよね。ところがブラジルに移住した日本人は日本国土に住んでいないけれども、あれも日本人なんですかね。

BB:日系ブラジル人ですね。

石角:日系ブラジル人、それは日本人から除外する訳ですね。

BB:日本人というのは日本国籍を持っている法律的に決まった人・・

石角:そういう定義で皆さん賛同されますか?

AA:そういう風になってしまうと、何か非常に法律的あるいは学問的にあれするのかも知れませんが、私は「日本人とは何ですか?」と言われた時に、やっぱり何と答えるか自分で・・・勉強してみたいと思いますけど、やはり基本的には島国根性が抜けない少数民族というか、これから益々日本の力を何かと言われた時に非常に何だか分からないことになってしまう、大国から中国、それから小国の未来しかないという見方と、それから日本人の未来には非常にいろいろと夢もあるし、まだまだ大丈夫だという方もありますけど。その辺から僕は石角さんがユダヤの方ではなくて日本人で色々と見ながらユダヤのことを語っておられるのかなと思っていたら、そうじゃなくて。逆にユダヤ人で日本人に・・

石角:そうじゃないですよ。

AA:逆に言えば、なんでユダヤ人を捨てて日本人になられたかという質問。

石角:逆ね。何で日本人を捨ててユダヤ人になったのかという質問でしょう。まず、今の日本人というのは「日本国籍を有する者」だという明確な答えがある訳です。けれど「日本国籍を有する者」の条件は何かと聞かれると、多分XXさんでも答えられないと思うんですよ、多分。「日本国籍を有する者」という定義が日本人だとすると、日本国籍ってどういう条件で与えられるんですか。多分答えられないと思います。僕らが海外に出て行くと、日本国籍を有していて日本語をしゃべって日本のパスポートを持っていると大抵日本人と言われるんです。ちょっと日本人という定義はかなり曖昧模糊として分からない。ところがユダヤ人の定義というのはもの凄くハッキリしています。もの凄くハッキリしています。今日来られた人はこれだけは覚えておいて頂きたい。ユダヤ人とは「ユダヤ教に改宗した者及びユダヤ教に改宗した女性から生まれた子供」なのです。これはもう絶対不変の定義で。だから、まず改宗がありきなのです。ユダヤ教に改宗すると全員ユダヤ人です。よって、私のようなオリエンタルのユダヤ人も居れば、真っ黒な黒人のユダヤ人も居るし、北欧系の真っ白なユダヤ人も居るし、イラクに住んでいるユダヤ人も居るし、上海に住んでいる中国系のユダヤ人も居るんです。だから完全にユダヤ人というのはコスモポリタンなのです。しかし、ユダヤ教の教徒であるということで統一されているんです。だから僕が聞きたいのは、逆に日本人は日本教というか、そういうもので統一された民族ですか? 多分それはなかなかないでしょう。けれどもユダヤ人は徹底したユダヤ教というか、英語で言うとJudaismと言いますが、ユダヤ主義者なのです。ユダヤ主義者になる為にはかなりの改宗の試練がいるのです。誰でもユダヤ人になれる訳ではなく、僕の本の中にも書かれていますが、「ユダヤ教に改宗したい。」と言ってニューヨークのユダヤ・センターに行ったら「アホか!」と言われて追い返された。二度目に行ったら「気ちがいか!」と言って追い返された。3回目に行ってやっとセキュリティ・ゲートを通してもらった。それでもまだ何も始まらない。ラバイというユダヤ教の先生に面会を許されたのが何と3度目。4度目に「こういう本を読んでいらっしゃい。」と言われて、ニューヨークでバーンズ・アンド・ノーベルで売っているユダヤ教の入門書の本を4〜5冊示されてそれを読んで行ったら初めて「勉強会に参加していいよ。」と。勉強会というのは日曜日の夜にあります。それと水曜日の午後にあって、その週2回の勉強会に参加して「先生、改宗にどれぐらいかかりますか?」と聞いたら「まあ10年はかかるな。」と。「10年間それでも意欲が衰えなかったら改宗試験を受けさせてやってもいいよ。」と言われた。僕は弁護士でアッチコッチ行って忙しいから「じゃあ、1対1で教えてくれますか?」ということで10年を5年に短縮した訳です。

CC:そうすると、ヒットラーがアウシュビッツに送ったユダヤ人の定義も同じですか?

石角:違う。ヒットラーの定義というのは実に間違った定義で、鼻の高さが何センチで鼻の幅が何センチで額はどういうあれで、それで曾お婆さんというか三親等以内にユダヤ人がいれば全員アウシュビッツに送っているんです。従って、我々が言っているユダヤ人とヒットラーがアウシュビッツで殺したユダヤ人とは全然定義が違って、恐らくあそこではユダヤ人でないポーランド人もかなりの割合でアウシュビッツで殺されていますね。だからあの定義は無茶苦茶です。中世ヨーロッパでは「近づいて行って口が臭い奴はユダヤ人だ」と言われた時代がありました。そういう時代がありました。口が臭いのは当たり前で、我々は年に13回断食、断水日があるんです。つい先週もヨム・キプールの断食日がありましたけれども25時間断食、断水する訳です。だから口が臭くなるのは当たり前なんです。もちろん汗もかきますし、この暑い最中で一生懸命シナゴーグでお祈りを捧げる訳だから。だから、ユダヤ人は臭い、臭い奴には蓋をする、近づきたくないと。差別の対象になった理由の一つが「ユダヤ人は口が臭い」ということ。そんなことを言うならイスラムでもラマダンの時に断食をするじゃないか、と。断食に関してはこちらの方が先輩です。モハメッドは生まれるよりも数千年早く我々は断食を始めているんです。そんなこともありまして、今日お話しする中で是非覚えておいて頂きたい4つの言葉があります。

シナゴーグ、これはユダヤ教の教会です。ユダヤ人はだいだい毎朝平日は7時半にシナゴーグに行きます。私も行っています。東京ではちょっと行きにくいので、イギリスとかニューヨークに居る時は必ず行っています。上海に居る時もシンガポールに居る時も行っています。

ラバイ、これは司祭ですが、司祭というのはプロテスタンの司祭とカトリックで言えば神父さんとは、我々のラバイとは全く違います。どう違うか? 誰か、ここでクリスチャンの方はいますか?

DD:いや、別にないです。私は破門同然の人間ですから・・・・

石角:キリスト教の神父さんだとかプロテスタントの司祭の方というのは神と人間との間に位置しておられる方だと僕は理解しています。我々のラバイは単なる我々よりもヘブライ聖書のことを良く知っている人、その程度なのです。だからユダヤ教で一番偉い預言者のモーゼ、モーゼも決して神格化されていない。第一モーゼの墓はどこにあるか分からないし、モーゼを拝むことは一度もないです。そこが他の宗教と違うところです。
トーラ。今日は持って来ていますが、これはモーゼ五書です。そこが他の宗教とは違う。皆さん方が言う旧約聖書、僕らはヘブライ聖書と言っていますが。これですら崇めることはないです。まあ、勿論これを持ってトイレの中に入ったりするとそれは叱られますけれども。これは確かに神聖なものだけれども教材です。何の教材か? 神が我々に示したMission Statementとして教材です。だから台本なのです。ユダヤ民族として生きるべき台本がここに書かれている。

タルムードというのはこのトーラの注解書です。モーゼがシナイ山から授かったことが書かれている。それだけではよく分からないからというので、ユダヤ人が3000年かかって色々と解説してきたものがあるんです。その解説書が37巻あって、それがタルムードと言われている。それを勉強するのがユダヤ人の宗教的に一番神聖な義務なのです。義務というか、それをやらなければユダヤ教徒ではない。

この4つの言葉は覚えておいて下さい。私の講演の中でしょっちゅう使いますから。日本人の定義はハッキリしないけれどもユダヤ人の定義はもの凄くハッキリしている。他の「フランス人とは?」と言われてもフランス人の定義は全然ハッキリしない。世界の民族の中で一番定義のハッキリしているのがユダヤ人です。逆にそれで今日皆さんにお聞きしたいのは、「日本の民族というか日本人は何の為にこの世に生まれてきて存在しているのか?」と聞いて、そう簡単に答えられない。でも僕らユダヤ人は明快に答えられる。それは「この聖書の教えをこの世に自分が実践するために生まれてきたんだ」と明快に答えられる。だから、こういうサッカーだとかグルメに走るだとか、産業振興とかが人生の目的ではないということだけはユダヤ人はもの凄くハッキリしている。もう一つユダヤ人の特色は、「徹底的にエイリアンたれ」というのが我々がシナゴーグで言われていることです。人と変わっていなければ駄目だ。それと、徹底的に打たれる。打たれるごとに強くなるのが我々ユダヤ人で、日本人は僕が見てきた限り、やっぱり打たれるとシュンとなってしまうか、しょ気てしまうというか、暴走するかどちらかだけれども、我々ユダヤ人は打たれながら打たれながら、アウシュビッツで600万人殺されながら、それでもなおかつトーラの教えを守り続けて、国を失っていた期間が3000年ぐらいありますから、やっとイスラエルというカナンの地に戻ったけれども。ユダヤ人から見て日本人に対する一つの疑問は「グルメに走っているだけが人生ですか?」という点が一つあります。僕らユダヤ人は食べて良いもの・悪いものというのがもの凄く厳格に規定されているんです。日本人と中国人ぐらいじゃないですかね、何でも食べるのは。本当に異常な民族だと思います、日本人と中国人は。イスラムとヒンズーも我々ユダヤも食べないものは沢山あります。どっちが正常かと言われると、グローバル・スタンダードという言葉は使いたくないけれども、食事戒律がある方がグローバル・スタンダードだと思います。

ユダヤ人が食べてはいけないもの。日本では恐らくフルーツと野菜以外は口に出来ないです。我々が食べて良いものはコーシャでなくてはならない。コーシャのお話をすると1日ぐらいかかりますが、まとめて言うと、まず牛肉だとかああいう四つ足動物はほとんど食べられないです。勿論「ヒヅメが割れていて反芻する胃を持っているものについては食べて良い」と言われていますが、それですら屠殺方法が限定されている。カシュルートという食事戒律規定に従った屠殺人が屠殺した肉しか食べてはいけないので、日本では手に入らない。アメリカでも簡単に手に入らないのでそう簡単にみな肉食はしていないです。豚肉は元々駄目です。海産物に関してもほとんど駄目ですね。江戸前寿司はまず駄目です。カニ、海老、シャコとか全然駄目だし、マグロは駄目です。何故駄目か? ウロコがないから。僕らが食べて良いのは、「ウロコがあって、ウロコの形状が丸いもので、ウロコを剥す時に魚に対して痛みを与えないもので、かつヒレがあるもの」という限定がありますので、食べて良い魚というのは、サーディンとサーモンぐらいです。まあカープもいいかも知れないけれども。だいたいそんなものです。それから野菜は洗う時に、虫は食べてはいけないので、虫を徹底的に落とす為にしつこく洗うということで、野菜もそこら辺に売っているものは簡単に食べられない。ミルク、チーズなどの乳製品もコーシャの牛から取った牛乳でないと口に出来ないので日本では全然駄目です。アメリカでも売っているところは限られるので、まず駄目だということで、我々はチーズバーガーだとかそういうものも食べません。それから乳製品と肉とを一緒に食べてはいけないとヘブライ聖書に書かれているので、ビフテキにバターを塗るという食べ方はしません。チーズバーガーも駄目。デザートにチーズを肉料理の後に食べるということはしません。というようなことでコーシャの規定が猛烈にあって食べていけないものがもの凄く多いのです。何故か? その理由は一言で言うと、食べるだけが人生の目的じゃない。そこだけです。

皆さん、やっぱり日本人は僕が見ていても仕事中毒だと思うんですよ。けれどもユダヤ人は安息日という規定があって1週間に1日は絶対に仕事をしてはいけないのです。日曜日というのはキリスト教の休みでしょう。あれとは違うんです、僕らユダヤ人は一切電気を使ってはいけない。5メートル以上歩いてはいけない。それから筆記具を持ってはいけないし、仕事のことを考えてもいけない。その安息日が金曜日の日没から土曜日の日没までです。だから、その間ユダヤ人は仕事をしているという状況はまずない。自動車に乗ってもいけない、電車に乗ってもいけない、エレベーターを使ってもいけない。ユダヤ人の家に安息日に招かれると、24階に住んでいたら24階まで階段で上がるんです。それぐらい徹底している。それは宗教的に言うと、「神が6日間で世界を創られて7日目はお休みなったから」と言われていますが、ユダヤ人はそれだけじゃなくて、そういう仕事ばかりをやっているだけが人生じゃないでしょう。もう少し他のことを考える1日があってもいいんじゃないか、と考える。それは身体の栄養は食事、じゃあ精神とか魂の栄養は何から取るんだ? 安息日なのです。安息日で取るんです。それがユダヤ人の考え方なのです。さて、ここまででご質問ありますか?

EE:安息日には本は読んでもいけないんですか?

石角:聖書は読んでもいいんです。タルムードも読んでも構わない。ビジネスの本は駄目。翌日のビジネスの準備をしては駄目です。お札に触れても駄目、コインに触れても駄目、携帯駄目。だから携帯電話をシナゴーグに持ち込んだらえらい目に遭います。シナゴーグの外に置いておかなければいけないので、まあ大体そういうようなものを持っていかないようにしてから行かなければいけない。

AA:えらい目に遭うというのはどういう意味ですか?

石角:いい質問ですね。ヘブライ聖書では安息日というのは一番重要な戒律です。ヘブライ聖書で「安息日を守らなかったら死に値する」と書かれている。ヘブライ聖書の中で「死罪に値する」と書かれているものは幾つかしかない。幾つかしかないぐらいに一番重要なもの。安息日というのはもの凄く重要です。恐らく安息日があるからこそユダヤ人は4000年生き残ったと言われているぐらいに重要です。

EE:夜暗くなると電気のスイッチを、明るくするために。スイッチも触らない。そうすると真っ暗になってしまうじゃないですか。

石角:だから前日からスイッチを点けておく訳です。そこで、ここから先は「ユダヤ人と金」という本にもちょっと書いていますが、「じゃあユダヤ人の銀行で安息日の金利はどうするんだ」という議論があります。それは本1冊分ぐらいあります。安息日の金利は取って良いのか。バンカーの人が居るんじゃなかったですか、ここに? 元々「ユダヤ人はユダヤ人に対してお金を貸す時に金利を取って良いのか」という議論もそもそもあります。イスラム金融というのは金利を取らないはずです。サブプライム以降イスラム金融がもの凄く見直されているでしょう。その元々の金利を取らない金融というのはユダヤ人が始めているんです。安息日に金利を取ってはいけない、原則として。だから我々の金利は1年間は54日分少ない。もう一つは、安息日にユダヤ人が経営するレストランは、レストランのシェフが普通のアメリカ人だったら開いて良いのかという議論もあります。アメリカに行ったら多分ユダヤ式の食事を出しているレストランは閉店しています、金曜日の夜から土曜日の夜にかけては。ホテルはどうするんだ? ホテルは365日の営業だから。それも細かい議論があって、労働契約を安息日以外に結んでいれば、敢えて安息日だけを働かせるという雇用目的でない限りは構わないというように議論されていますが、とにかく「議論なきところにユダヤ人なし」ということでもの凄く議論好きです。このところが多分日本人とは本当に水と油だと思いますね。凄い議論好き、質問好き。それから、サイレンスというのを一番嫌います。日本では「沈黙は金」だとか言われていますが、旧約聖書の第1章第1節でこういう風に書かれている。ここが「And God said, Let there be light; and there was light.」これは天地創造のところです。宇宙というかこの世界は神によって創られた。ホーキング博士は何によって創られたかということで、ビッグバンによって創られたと言っている。我々は神が創ったと考えている。キリスト教も神が作ったと考えています。ユダヤ人は神のお言葉が創ったと我々は考えている。言葉が宇宙を創ったんです。それぐらいユダヤ人は言葉が大切なんです。ここが僕はユダヤ人と日本人の大いなる違いの根源だと思います。徹底的に言葉を大切にする。言葉こそユダヤ人を幸せにするものだし、「舌先三寸」とかいう言葉が日本ではありますね、ペラペラしゃべったり弁護士のことを「三百代言」だとか言ったり、日本では「しゃべる奴はろくな奴じゃない」という認識があるけれども、ユダヤでは「しゃべらない奴はろくなユダヤ人じゃない」というぐらい言葉は神聖なものです。それはここから来ているのです。だけれども、言葉を支配する者は実はやっぱり金儲けが出来るんです。あまりユダヤとお金のことは言いたくないけれども。というのはバベルの塔というのは皆さんご存知でしょう? バベルの塔が何故神によって壊されたかご存知ですか?

EE:それは、色々な人種で言葉が色んな言葉があって何が何だか分からなくなってコミュニケーションが出来なくなって、それで壊された。

石角:逆なんです。バベルの塔の時にはバビロニアで単一言語で世界が話されていた。言語は単一だった、旧約聖書によると。それで単一言語だから人間が調子に乗ってどんどん繁栄して高層ビルを作り出した訳です。高層ビルの設計は単一言語だから出来た。つまり労働者も設計者もビルを作ることにファンドを提供する者も皆同じ言語でしゃべっていたから、神のいらっしゃる天国まで届くような高層ビルを作ろうという繁栄が出来た。それを見て神は「俺が創った人間がちょっとやりすぎじゃないか。」ということでバベルの塔を壊して、それで言語をバラバラにした。簡単に人間相互が話を出来ないようにしてしまおうと、旧約聖書では書かれています。ここの箇所を僕らユダヤ人は徹底的に勉強しています。それでどう思ったか? 言語を統一すればお金が儲かる、言語を統一すれば繁栄する。それは逆説的にそうでしょう。だから今はやはり言語を統一しているところが繁栄しているじゃないですか。大英帝国しかり、今のアメリカしかり、マイクロソフトもそうですね。コンピューター言語という一つの統一された言語であれだけビル・ゲイツ帝国が出来た訳だし。だから言語というのはもの凄く重要なものです。そういうことも教えられるのです、このヘブライ聖書を読むと。ユダヤ人というのはとにかく自己管理のもの凄く厳しい人々です。とにかく1日3回シナゴーグに来るし、どんな年寄りになってもシナゴーグに来ています。日本では高齢者と言われて65歳を過ぎると高齢者でしょう、75歳を過ぎると後期高齢者。ユダヤではそういう言い方をしない。ユダヤ人は単にユダヤ人で、年をとろうが赤ん坊であろうがユダヤ人。シナゴーグに来れば必ずシナゴーグでの役割はどんなにヨボヨボの人でも役割を押し付けられています。車椅子でも勉強会に参加して来ています。そういうコミュニティーなんです。マーク・トウィエンがこう書いています。「あらゆる者が死を免れることは出来ないが、しかしユダヤ人だけは例外である。あらゆる勢力は消えて行ったがユダヤ人だけは生き残った。」これが多分西洋人のユダヤ人に対する見方で、多分そうだと思います。これはユダヤ主義というものが生き残ったということを言っているんです。ここまでで何かご質問がありますか?

FF:言語を統一するという意味ですと、ユダヤ人はヘブライ語を書籍を読むとか、会話をするとか、聖書を勉強するとか、皆さんはヘブライ語で世界中会話するんですか?

石角:そうですね、フランス語しか出来ないユダヤ人とアラビア語しか出来ないユダヤ人とはヘブライ語で会話していますね。それからロシアに居たユダヤ人というのはロシア語しかほとんど出来ない。第二次世界大戦の直前に大量のユダヤ人がロシアからイスラエルに来ています。彼らはロシア語しか出来ない。そこでイスラエルでヘブライ語を教えて、アメリカから来たユダヤ人とロシアから来たユダヤ人とが初めて会話できるようになった。話は脱線しますが、佐藤優(スグル)ってご存知ですか? 外務省のロシア情報分析官をしていて逮捕された。あの人が逮捕されるキッカケになったのがイスラエルなんです。国の金を使ってロシア情報を分析するために何何大学の教授達をイスラエルに出張させたんです。イスラエルで会議を開く、ということで公費を使ったということで公金流用で逮捕されているでしょう。けれども、ロシア情報について最も情報を入手し易いのはイスラエルです。それはロシアからイスラエルに来た何十万人というロシア系ユダヤ人達がもたらす情報には非常に貴重なものがあったからです。だから佐藤優がやったことは正しいことなんです、情報分析という観点から言えば。検察の観点から言えば逮捕の口実には十分なり得る。

FF:先生は政府の内部には関与されてはいない?

石角。いません。

FF:私は一言も発するべき立場ではないけれども、先生には愛情を感じるから、あれは中野学校の末次さんが・・・を作り、そして官房長官・・・・元来であれば・・・・・ああいう問題ではない。先生のおっしゃる通りでありますが、まだ軍事面に於いてはイスラエルは、彼らが持つ中距離核弾頭に・・・・モスクワにあたって、それでユダヤ人の祝福が・・・・・・・なったということをお教えしておこうと思います。恐らく皆さんご存じないと思いますので。お教えすることはまだありますが、時効が過ぎているが、私はここでは一切発言しない。だから先生のお持ちになっている旧約聖書を見て、そのことが神に対して許されることと思ってお話したのです。そのことを忘れないで下さい。

石角:有難うございます。

FF:講演料は安い。だから十分・・・・

石角:じゃあ、またいずれ日を改めて先生のお話を聞かせて下さい。

FF:・・・・・末次先生は陸軍の中でも、もう亡くなられましたが、私とは仇敵の間柄です。親交はありますので。

AA:そうすると、ここで言う1500万人のユダヤ人というのが今おっしゃったような生活をきちんとしているということなんですか?

石角:いやいや、とんでもない。違います。恐らく10人に1人もやっていない。豚肉を食べているユダヤ人もいるし、海老をバカバカ食べているユダヤ人もいるし。

AA:私の知っているユダヤ人もほとんど違いますね。(笑い)

石角:もの凄く良い質問。だからユダヤ人というのは一人一人自己で定義している民族なんです。それぐらい違うんです。

AA:そうすると、あなたはどっちなんですか?

石角:あなたは一番厳格なユダヤ人に属する。というのは、僕は改宗したでしょう。改宗者というのはユダヤ人の鑑でなければならない、と言われているんです。というのは元々ユダヤ人というのは改宗者から始まっている訳ですから、アブラハムという。アブラハムというのは元々異教徒だったのです、それが改宗してユダヤ人第1号になった訳です。ユダヤで一番有名なダビデ王という者も改宗者の子孫なのです。改宗者というのはユダヤの鑑で、節目節目で何百年かに一人の割合ですごい改宗者が現れて、それでユダヤ教を再復興させているのです。だから僕もそのうちの一人かも知れない。(笑い)

GG:改宗されたと言われましたが、何から改宗されたのですか? 何故改宗されたのですか?

石角:何からというのがなくても改宗なんです。僕は日本教とか仏教とか神道とかいう、皆さんもそうでしょう。仏教徒ですか? 多分、それじゃ何で元旦に・・・・・・

GG:入信という言葉を使うことがあるけれども、ユダヤでは改宗・・・

石角:Conversion、改宗です。日本人というのは何教かと聞かれると、12月24日から1月3日ぐらいまでは混合教じゃないですか。そういう人達というのはちょっと僕の目から見ると、僕も改宗前はそうだったからあれだけれども、ちょっと理解に苦しむ。多分イスラムも理解に苦しむだろうし、カトリックも苦しむだろうし、プロテスタントも苦しむし、お隣の韓国でもちょっと分からない、混合教というのは。

GG:それは一神教と我々のいう多神教の違い、万の神、全てが神様という考え方との違いですね。

石角:そうなんです、ユダヤ教というのは一神教なんです。今一神教と多神教の話が出ましたが、あと何分ぐらいですか?(まだ大丈夫です。)ユダヤのお祈りの中で最も神聖な祈りというのがあります。それはシェマ・イズラエルの祈りというものですが、ここに祈祷集があります。アミダの祈りとシェマ・イズラエルの祈りというのが最も神聖な祈りです。シナゴーグに日本人の方は入ったことはないだろうし、こういう姿を見たこともないだろうし、我々ユダヤ人がシナゴーグの中でこういう格好をしてお祈りをしています。本当は見世物ではないので、また、この時間帯でやるべき姿でもないのですが、今日は特別に。

これはキッパと言われているユダヤ教徒の頭被りですが、これにも謂れがあります。これはタリートというものですが、これは全部旧約聖書にこういうものを付けなさいという謂れが書かれています。この中に旧約聖書の一節が書かれて入っているのです。我々は朝7時にシナゴーグに駆けつけて、三々五々これを、テフェリンを腕に装着し、それから祈りが始まるのです。この巻き方は、アシュケナージとスファルジーという大きなユダヤ人の二つの流れがありますが、巻き方はちょっと違います。でもいずれにしても共通しているのは、ここの二の腕に7回巻くということが旧約聖書、旧約聖書とは言いたくないですね、ヘブライ聖書で書かれている。それで中指に3回巻きつける。ここにヘブライ文字の「シン」の文字を作って、これは左手にこういう風にやる。何故左手にやるのか? 我々ユダヤ人にとっては左手は正義、法を表わす、神の法を表わすのです。右手が神の慈悲を表わすのです。情けです、日本的に言うと。法が慈悲を優ってはならない、と我々は考えているので、常に法を表わす左手については不自由にしている。山伏の姿と非常に似ているので、ユダヤ教が日本に渡ったのではないかという日ユダヤ同祖論の根拠にもなっているのです。これがタリートと言われている祈りのショールです。これがユダヤ人の一番正式な姿です。だから皆さんはユダヤ人とのお付き合いとか仕事上あるかも知れませんが、この姿を見ることはないです。これはシナゴーグでしかやらないし、しかも朝しかやらない。

我々の祈りの中で最も神聖なシェマ・イズラエルという祈りですが、これがユダヤ教の教えを表わしている。この祈りの時には我々は眼を閉じて祈らなければいけない。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
これはどういうことを言っているか? 神は唯お一人である。神は我々の神である。Lord is one。これが世界の一神教の始まりとなった祈りなのです。これからイスラムが始まり、イエス・キリストのキリスト教が始まったのです。それがまた続きます。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
このくだりは神を崇めたてる時に、本当に心の底から崇めたてなければいけないというくだりです。それから先もうちょっと歌いますが、ユダヤ教の最もユダヤ教らしいところです。それは他の宗教には見られない。それは何か?
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
これはどういうことを言っているか? 英語ではこういう翻訳が与えられています。「You shall teach them diligently to your children speaking of them when you are at home, when you are away, when you lay down at night and you rise up in the morning.」つまり、ユダヤ教の教えを子供達に徹底的に教えろということがここで言われている。だから我々に一番重要なことは自分がユダヤ教を勉強するだけではなくて、子供達に徹底的に教えなければいけない。そのために日曜学校があるし、家庭教育があるし、野球観戦をしないでとにかく安息日には子供達に徹底的にユダヤ教を教える。

(サンライズ・サンセットのYou Tubeを見せる)
この有名なミュージカルのサンライズ・サンセットは寝ても覚めても子供に勉強をさせることから来ているのです。

他民族とお酒を酌み交わすこともないし。そういう時間があれば子供達にユダヤ教の勉強を。ユダヤ教というのは道徳律なのです、それを教えなければならない。さらに徹底している。「You shall bind as sign upon your arm.」ここにユダヤの教えが入っている。こうしなければいけない。「And they shall be reminder above your eyes.」ユダヤの教えを常に思い起こすために頭にこれを付けていなければいけない。「You shall inscribe them on the door post of your home and your gates」これが十戒の映画を思い出してもらえば分かるけれども、ユダヤ人の家庭だけは神が訪れることなく、その初子が殺されることがなかった。それはドアポストに羊の血を塗りつけた。それと同じように我々はドアポスト、いわゆる玄関にトーラの巻物が入ったお守りみたいなもの、細長いものをある一定の角度をもって付けなければいけない、と書かれている。我々はドアに付けるだけではなく、家庭の中のあらゆるドアにも付けます、トイレ以外は。それで毎日そこを通る時に神の教えを反復しなければいけない。こういう宗教なのです。こういう宗教というのは、僕は恐らく、イスラムもここまで徹底しているのかどうかは知らないけれども、カソリックもそれほどでもないし仏教もそういうことはないと思う、絶対に子供に引き継がなければいけない。それはこういう偉大な思想家を生んだ一つの原因でもあるし、こういう偉大な事業家を生んで来た、ほとんどのアメリカの偉大な事業家はユダヤ人です、理由でもあるし。

ユダヤ教とは何だろう。どんな宗教か? 80歳をとっくに過ぎたと見られる日本人のお婆さんが「ユダヤ教ってどんな宗教や?」と聞いて来た。そのお婆さんは「お不動さん」と「弁天さん」の熱烈な信者で、しかも真言宗の教徒でもある。典型的な日本人の神仏同時信仰者である。この私とそのお婆さんとのやり取りはユダヤ教を一言で説明するのに面白いので再現してみよう。

「ユダヤ教は誰を拝むのや? キリストはんか?」
「キリストを拝むのはキリスト教やないか。ユダヤ教とは違うよ。」
「ほな、ユダヤ教は何を拝むのや。」
「何も拝まんよ。」
「仏さんのお姿みたいなものはいないんか?」
「何もないよ。」

我々にはお姿は一切ありません。何もない。ここが他の宗教とちょっと違います。仏教は仏像があるし、阿弥陀仏という仏像の形をとっているし、キリスト教はイエス・キリストの十字架をやはり信仰の対象にしている訳です。プロテスタントはちょっと違うかも知れないけれども、少なくともカソリックはそうです。我々は何もない。絶対的な抽象の存在なんです、我々の神は。だからユダヤ人というのはもの凄く勉強するのです。勉強しなければ分からないから。絶対空の存在だし、もしユダヤの神を何らかの形で表現すると否定的表現しかないと言われている。姿がない、色がない、形がない、肌に触れることがない、味がない、要するに、ないないずくしで行くとユダヤの神を定義出来る。

「へぇ〜。変わってんな。ほな、あんた、毎週土曜日に行って何してんの?」
「本をみんなで読んでるんや。講義もある。」
「へぇ〜。勉強しに行ってんのか。」

勉強はもの凄く重要な宗教行為です。だから週に2回水曜日の夜と金曜日の夜は1時間半ぐらい勉強会があります。それには熱心なユダヤ教徒がかなり来ています。

「勉強だけしてればええんか?」
「いや。食べてはいけないものを食べないこと。週1回は仕事をしないこと。それぐらいやな。」
「え〜。変わってんな。それ宗教とちゃうな。」

多分日本人はそういう感じだと思いますね。念仏を唱える訳でもないし、こういうお経はありますけれども。実は、勉強することと食事戒律を守ること、安息日を守ること、それがユダヤ教なのです。これは全て子供の健全な成長に向けられている。だから、僕はユダヤ教というのは「子育て教」だと思います。食べてはいけないものはやっぱり「体」に悪いものだし。食育、体育、そして一番健全な「魂」の健やかな成長のために、安息日は休んで子供たちと一緒に聖書の勉強をする。

GG:その聖書は日本語でやっているんですか? 日本では?

石角:英語です。英語でやっています。

GG:しかし日本にはシナゴーグはあるんでしょう。そこでは日本のキリスト教はみんな日本語でやっていますね。しかし、ユダヤ教は英語でやっている。

石角:英語でやっています。

CC:じゃあ、ほとんどの人は分からないんじゃないですか?

石角:分からないですね。だから行ってもよく分からないし、疎外感はあるし。そこがユダヤ教のちょっと問題点かも知れないですね。なんで土着の言語でやらないのか、と。

AA:日本人でユダヤ教信者というのは何人ぐらいおられるんですか?

石角:僕みたいな日本の顔をした人でユダヤ教徒? 

AA:改宗された。

石角:男性は僕一人じゃないかと思いますね。女性は結構いますよ。

AA:男性は一人?

石角:いや、僕が知る限りは多分。イスラエルか何かで日本人でユダヤ教に改宗した人が何人かはいらっしゃるかも知れない。だって、まず割礼手術って聞いただけで「何でそこまで?」という感じがあるんじゃないですか。

DD:根本的な話なんですが、石角さんは何故ユダヤ教に改宗されてユダヤ人になられたんですか?

石角:もうずばり来る質問ですね。(笑い)

DD:こういう言い方は失礼ですけど、栄華到達は当然お持ちであり、キャリアを背景にして首席で京大を出られて弁護士の試験も早いうちに合格されて、何不自由もないというところがおありで、ホームページもずい分見させていただいたんですが、改宗する前の日には海老とかカニとかタコとかをたらふく食べまくったと書いている。そういう俗世の部分もご自身で感じていらっしゃって、こういう厳しい戒律の中で「私はユダヤ人になるんだ」と思わせしめたものは、一体何だったのですか?

石角:幾つか理由がありますけれども、一つは弁護士として一緒に仕事をしていた連中が全員ユダヤ人だった。それから、教育コンサルタントの仕事を僕はやっています。日本の親御さんの子供をアメリカのエリート教育の学校にお入れする仕事をやっているんですが、ユダヤ人が多く行く学校がTop School、上から50位ぐらいまで全部そうだ。3番目はニューヨークで病気になった時に命を救ってくれた医者がユダヤ人だった。それがキッカケなんです。それで永続したのはラバイとの勉強がメチャメチャ面白かった。僕は弁護士だから理屈でないと分からないんです。それがもの凄く面白かった。こういう話があるんですよ。ラバイとの問答で、「ある貧しい大学生がたまたま通りかかったら人の家のドアに鍵がかかっていなかった。それでひょっと魔がさしてそこの自転車を借用した。それでお巡りさんに捕まってしまった。さて、神の目から見て誰が罪人か?」という議論なんか、メチャメチャ面白かった。僕が弁護士として刑法の目から見ればそれは盗んだ奴が悪い。窃盗です。十戒に「汝、盗むなかれ」と書いてあるから、もう答えは盗人に罪あり。ラバイの答えは「No」なのです。「そいつは悪くない。それは鍵をかけてなかった奴の方が悪い。」つまり、ユダヤ教では人をその気にさせるような不用意なことはしてはいけない。自分ちに外出する時は鍵をかけておかなければいけないのが社会的責務だ。それをしていなかった為に、たまたま通りかかった、まだ善悪の判断のつかないような高校生が自転車を借用して、それが為にその高校生は逮捕されるという前歴がついて、それから道を誤まるかも知れないじゃないかという議論も面白かったし、それから宇宙創造が神によって為されたということとホーキング博士のビッグバンのセオリー、完全に矛盾しないという説明ももの凄く面白かった。つまり、我々のヘブライ聖書では6日間で創られた。ホーキングは150億年じゃないですか。僕はラバイと議論したんです。「6日間というのは嘘だ。150億年というのが現代物理学では正しいじゃないか。」ラバイが言うには「いや、1日の光の進む速度が違うんだ。」と。「12世紀のユダヤの学者の記述の中には『神の御目には数千年たりと言えども一夜にしか過ぎない。』と書かれているから、それは光の速度が違うんだ。アインシュタインの相対性理論では光の速度が違っていて当たり前だ。」そういう説明も面白かったし。もう一つ面白かったのは、「ユダヤ教では自白ほど信用出来ない証拠はない。」これもメチャメチャ面白かった。日本の検事さんは「自白は証拠の王様だ」と言っている訳です。僕も研修所でそう教えられた。自白調書があれば裁判官というのは100%それを認めるべきだ。何故か?「人間は罪を認める時には本当に悪かったと思って罪を認めて告白するんだから、それは真実だ。」という訳です。ユダヤ教では違うのです。「人は拷問か利益誘導でない限り罪を認めることはない」、と言うんです。すごく人間の人間を現実を直視しているんです、ユダヤ教は。面白かった。だから5年ぐらい続いたのです。

DD:そこのところを非常にこだわってしまうのですが、ラバイにそもそも会いにいかれるという動機自体が、済みません、我々の感覚からすると、3回も行ってそういうことを5年も続けられるということは強烈な動機がおありだったのではないかという風に思うのです。お話はいちいちもっともなんですけど。

石角:やっぱり門前払いをされたというのが動機ですね。恥かしかったわけです。「ラバイに会ったらいいだろう。」と言われたんです、Jewish Centerの守衛に。次に行った時に「ミスター・ラバイに会わせてくれ。」と言ったんです。「お前、アホか。ラバイというのは役職の肩書き、名前じゃないんだ。」と。それぐらいユダヤ教のことは何も知らなかった。だから無知こそ全ての始まりですよ。

AA:イスラム教にはコーランという聖書みたいなのがありますね。それに該当するものがそれですか。同じようなものですか、中に書いてあるのは?

石角:かなり違いますね。僕はコーランの勉強をしたことはないけれども。

AA:でも元々は全部はキリスト教から。ずーっと元を辿るとそこから始まる。

石角:ユダヤ教が一番根幹にあって、イエス・キリストがユダヤ教の分派として生まれて、ムハンマドはその後ですね。全てユダヤ教が始まり。

HH:先生、ちょっと口を挟んでいいですか。カトリックは40年前まで私の子供の頃、学生の頃まではラテン語でミサを行なって、だから世界中どこに行こうが、・・の先に行こうが、インドに行こうが、我々は全てそのミサに参加できる。ところが今・・のあれで変えてしまってバラバラになっている。その考えというのはバチカンの意図と・・・・先ほどのバベルの塔の話に一致するものがある。それは先生は頭が良いから、・・・・・をお考え下さい。皆様は進め方が分からないと思うから、私がお話をする、私の発言を許して下さい。それだけです。

AA:そろそろ時間がなくなってしまったんです、その割礼の話をちょっと教えて下さい。

石角:割礼をしない限りはユダヤ教徒には改宗できません。

AA:それはユダヤ教じゃなくてもイスラムでも皆そうでしょう。あれは子供の時にやるものじゃないですか?

石角:そうです。生後8日目にやるんですよ、ユダヤ教は。でも大人で改宗する限りはその時に割礼を受けなければいけない。実は僕はちょこっと切ればいいものだと思っていたんですよ。いやいや、とんでもない。本の中にも書きましたが、1時間ぐらいの大手術です。完璧にあれを取ってしまうんですから。その後が大変だったですよ、トイレにも行けないし、血はにじみ出てくるし、包帯でグルグル巻きになっているし。だから成人になってからの割礼というのはちょっと大変ですね。だから皆が改宗を思い留まるのは、ユダヤ教義には感動してもそういう儀式を通過出来ない面があると思います。もう一つ大変なのは火葬されてはいけないので、ヘブライ聖書に「From dust to dust」と書かれているからあり得ない。土葬でなくてはいけない。土葬を受け入れるという誓約書を出さされましたね。

AA:それは日本では出来るんですか? 法律的に?

石角:いや、僕の遺体はアメリカに運ぶつもりです。ユダヤ人墓地というのが長崎と横浜にあることはあるけれども満杯だから、新たに横たわるスペースがないんです。でも遺体を運ぶのは僕の子供達だからやってくれるかどうか分からないですけどね。面倒くさいから火葬にするかも知れない。

GG:さきほどユダヤ人には、例えばアインシュタインを始めとする非常に優秀な人達がいますね。例えば、最近イスラエルも非常にIT技術が発達して、そういう発明、発見がどんどん出ていると思います。いわゆるそういうことと、宗教を迷信と言っては怒られるかも知れないけれども、観念的なそういうものと頭の良いユダヤ人が色々やっていくとどこかで矛盾というのは感じないんですかね?

石角:いや、頭の良いユダヤ人というのは居ないと思います。ユダヤ人が人種的に頭が良いわけではなくて、やっぱりユダヤ教がユダヤ人を頭の良い民族にしたというのが事実だと思います。とにかくラバイに「ユダヤ教のエッセンスを一言で教えてくれ」と言ったら何と言ったと思いますか?「Questioningだ」と。神の存在すら疑わなくてはならない。そこが仏教とかヒンズーとかと根本的に違うところですね。神の存在を否定するのがユダヤ人じゃない、しかし盲目的に存在を信じて疑わないのもユダヤ人ではない。我々は神の存在を疑問を持ちつつQuestioningし続ける一生を送らなければいけない、と言われている。だから頭が良くなるのは当たり前だと思いました。そういう根源的なことを常に考えるわけだから、絶対抽象の存在を追い求めれば人間は頭が良くなりますよ。

GG:僕の質問は、そういう宗教的なというか、そういうことと、何と言うかITを初めとした物理的な発展とどこかで研究している人が何か矛盾を感じておかしいという風に思わないかということです。

石角:思わないかも知れませんね。それは安息日があるからじゃないですかね。

GG:安息日にしても先生のやられた儀式にしても、何か、別にそれをどう言っている訳でもないのですが、だけど、そういうような儀式を始めとした迷信的と言うと怒られてしまうけれども、そういうことと、技術進歩だとかそういうことに貢献している人の考えていくと、どこかで矛盾を感じないかなと。

石角:すごくいいコメントで、6日間というのは神が我々に与えられた使命の中で恐らくやってはいけないことをやっているんだと思います。つまり、自然に手を加える行為じゃないですか。6日間、つまり我々の一週間のうちの安息日以外は。パソコンをやり、自然を破壊し、石油を掘り、工業を起こし、何かをやっている訳です。それは決して望まれていることではないし、やはり安息日があるからこそ矛盾しないのだと思います。その日一日だけは最も神の望まれる1日なのです。IT技術者でユダヤ人は沢山いると思いますけれども、恐らくそういう風に考えていると思います。一日で贖罪している。

GG:贖罪?

石角:贖罪という言葉が今私の口から出ましたが、我々の贖罪というのは、ヨム・キプールの大贖罪が年に1回あります。もう一つはテシュバの贖罪というのがあります。例えば、僕が人を殴ったとします。謝罪して損害賠償する。これはテシュバです。このテシュバの贖罪というのは毎日のように行なわれなければならない。我々は、ユダヤ人のあるべき道というのは一直線で、神のいらっしゃる方向に真っ直ぐ向かって行かなければいけないんだけれども、人間は善悪の判断が時々ぶれますから。自由意志を与えられたから、時々ぶれるので、多分皆さん方もそれぞれちょこっとしたぐらいの悪いことをした経験はあるかも知れない。僕だって色々ある訳です。直線からずれるんです。このズレを戻すのがテシュバの行為で、日常的にズレを戻していかなければいけない。もう一つはヨム・キプールの贖罪があって、年に一度は大贖罪。その日は前後上下のダッチロールを戻して行かなければいかない。初めて神のいらっしゃる方向に自分達を導いて行く道が出来るわけです。スケープゴートという言葉がありますね。スケープゴートという言葉を我々日本人は日常的に使っているけれども、あれはヨム・キプールから来ているんです。大贖罪日から来ている。ヤギに罪を負わせて砂漠に追いやった訳です。それがヨム・キプールの贖罪。全部の罪を背負わせて。面白い話があります。ある年砂漠に追いやったヤギがどういうわけか戻って来たのです、ユダヤ人の町に。それでパニックになった、ユダヤ人が。「えらいことだ。あの罪を全部背負わせて砂漠に追いやったヤギが戻って来た。これは神がきっと罪をお許しにならなかった兆候に違いない。これから大災害が起きるのではないか。」とパニックになって、その翌年からはヤギを断崖絶壁に連れて行って、そこから突き落とした。それがスケープゴートという言葉の始まりです。そういう生贄の儀式を古代ユダヤではやっていた。今はやらない。

DD:ユダヤ人というと、お金儲けとか金という言葉が、ユダヤ人には必ず出て来る。だけど今そこのパネルには事業家ということは出て来たけれども、金持ちとか、そういうことは出て来なかった。けれど我々は、改宗した実業家がユダヤ人になって、たまたま事業家だったからお金を持っているのか、それともユダヤ人だからお金儲けが出来て、いわゆるDNA、つまりユダヤ人の息子とか子孫が事業家になったのか。そこら辺、お金とユダヤ人、あるいはその辺の関係はどういう風に理解したら良いのか?

石角:僕の「お金とユダヤ人」の本の中に色々書いていますが、こういう質問、今と似たような質問をされる方が別の講演で居ました。「そんなにシナゴーグに通い詰めの毎日を送れるのはユダヤ人が金持ちで金利生活をしているからじゃないかと。貧乏人の我々はそんなことはやっておれません。金持ちの贅沢じゃないか。」という質問があったのです。僕が見る限り、あまり金持ちのユダヤ人は居ませんね。医者とか弁護士とか大学教授とかそういう人は多いですけれども。Investment Bankerとかゴールドマン・サックスだとかリーマンがユダヤ系だとか言われていますけれども、あそこで実際にプログラムを作ったり、先物取引をしたりしているトレーダーの人でユダヤ系というのはそんなに居ないです。非ユダヤ人の方がむしろ多い。それからメジャーのハリウッドの映画会社も全部ユダヤ系だとか、メイシーズとかアメリカの百貨店も全部ユダヤ系だ、クリスチャン・ディオールとかカルティエも全部ユダヤ系だと言われていますけれども、確かにそうです。でも実際に働いて色々と世界戦略を練っている方々はユダヤ人ではないです。

AA:でも我々の理解ではトップはユダヤ人だ。

石角:創始者はね。それはインテルもそうです。確かにユダヤ人です。マイクロ・ソフトもビル・ゲイツともう一人のユダヤ人のポール・バルマンだったかな、二人が始めた。創始者、それは確かにユダヤ人です。でも金に汚いとか何かというのは「ベニスの商人」のあれの影響じゃないかと思いますね。シェイクスピアの罪は重いと思います、僕は。

AA:金に汚いとは思わないけれども、金はやっぱり非常に金科玉条みたいな感じで。どこか生活の中にそういう物質的な象徴的なものを尊ぶような思想があるんじゃないですか?

石角:そうなんです。おっしゃる通りなんです。ユダヤ哲学というのはプラトー哲学と全く逆なんです。プラトー哲学というのは具体性から入って抽象性に上がって行く哲学ですね、西洋の哲学は全部そうです。ユダヤ哲学というのはオリエント哲学で、抽象から入って具体的なものに引き落として行くんです。旧約聖書の書き方はみなそうです。天地創造という抽象的なものがあって、アブラハムという具体的な人間に入ってきて、それで日々の戒律で「ああいうことをしろ、こういうことをしろ。」という具体的なこと。逆です。だから多分具体的なことを非常に重視する宗教であるが故にお金が貯まっていくのかも知れない。

FF:先生、タブーなQuestioningかも知れません。ユダヤとは直接関係ないのですが、お名前にすごく関心があったんです。私のような若輩者でも、これは石原莞爾に似して命名されたんじゃないか、と。質問が2点あって、お父様がどういう思いを込めて命名されたのか。2点目は、石原莞爾から何か影響を受けたとすればどういうこと?

石角:父が命名したのは石原莞爾にちなんで命名した。

FF:戦後生まれなんですが、どういった思いを込めて命名したんですか?

石角:父が命名したのはやっぱり太平洋戦争に対して反対だったんじゃないですかね、多分。そういう話は聞いたことはなかったですけど。先ほどもちょっと話していましたが、石原莞爾が陸軍から追放されて立命館の教授をしていた時期があるんです。その時にうちの父親が大学生だったんです。だから多分影響を受けたと思いますね。この最後の晩餐の絵を見て何かご質問ありますか? 不思議だと思う点があれば皆さんもユダヤ人です。これは僕もラバイから言われて「お前不思議だと思わないのか。駄目だ。あと一年勉強しろ。」と言われた。

AA:これは全員ユダヤ人ですか?

石角:全員ユダヤ人です。真ん中にいる人もユダヤ人です。不思議だと思う場面があるんです。

AA:ちょっと電気を消した方がいいですか?

石角:消して下さい。この絵でもいいし、もう一つ次のダヴィンチの絵でもいいんですが、不思議なんです、これ。最後の晩餐と言っているのにテーブルの上に食事が出ていない。皿だけなんです。えらい不思議なんですよ。だけど、これがユダヤ教徒の食事なんです。

CC:食べ終わったんじゃないですか。

石角:違う、食事の前です、食事の途中です。これは実はパス・オーバー、ペサハという過ぎ越し祭の祭りの食事なんです。だから贅沢なものが出ていない。食事が出ていない。僕の息子をペサハの祭りに連れて行ったら、「ユダヤ人はこんな貧しいものを食べているのか。僕もう絶対に改宗しない。」と言われて。(笑い)

HH:お酒は飲むんですか?

石角:葡萄酒は飲みますね。パンも何かクラッカーみたいなパンがペラーッと出るだけ。これはエジプトからモーゼに連れられて、バーッと紅海が割れて脱出できたその記念のお祭りなんですが、その時に我々はえらい苦労をしたんです。着の身着のまま。それを思い出す為に贅沢な食事はこの日はしない。

それと、これは「ミレーの落穂拾い」です。これも「お前、不思議と思わなければ改宗を認めない」と言われた絵なんです。パッとこれを示されて「お前、不思議と思わないか。」日本人だったらなかなか不思議だと思わない。「落穂拾いをしているなら、なんで3人しか居ないんだ?」それが不思議なんです。落穂拾いというのは麦畑で残っている落穂を拾って貧しい者達が食を食いつないだ訳ですね。「なんで3人だけなんだ。ミレーは何故3人しか描かなかったんだ?」というのがラバイの質問です。これは旧約聖書に起源があって、ミレーもその旧約聖書の場面を描いている訳です。真ん中に居るのがルツという女で、これがダビデ王のひいお婆さん。ルツというのはナオミというユダヤ人に付いて来たのです。ナオミが姑、自分の夫のお母さん、夫も亡くなり、子供も亡くなったけれどもナオミに付いてきて、ルツという異教徒がユダヤ教に改宗します、という場面なんです。だから3人しか描かれていない。もう一人はその地方の娘ですが。「刈り入れ人達の休息」これにはこれだけの沢山の人が描かれているけれども、あの落穂拾いは3人。こういう風に書かれている。

欧州の麦畑は同じミレーの『種まく人』にみるように畑に種をばら撒き、育った株を柄の長い鎌で立ったまま薙ぐように刈り倒す。これをフォークで集めて脱穀するのだが、当然のことながら集めきれなかった落穂が多数地面に残される。当時、旧約聖書の『レビ記』に定められた律法に従い、麦の落穂拾いは、農村社会において自らの労働で十分な収穫を得ることのできない寡婦や貧農などが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていた。落穂拾いの光景はミレーの故郷で土地の痩せた北ノルマンディー地方では見られず、肥沃なシャイイ地方に移住した後に体験した感銘を描いたものであると考えられている。また、同時期には同じく旧約聖書『ルツ記』の一場面に由来する『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』を手がけており、農村社会での助け合いを描いている。」

こういうことです。ミレーのこういう絵を見て旧約聖書のどこから来ているのかが分かるようになるようにとラバイから散々嫌味を言われて教育されたんです。そういう課程だったのです、改宗の課程とは。そこで我々ユダヤ人が最も重視するのがツェダカという思想なんです。ツェダカとは落穂拾いの絵そのものです。全部刈り取ってはいけない。根こそぎやってはいけない、ということです。だからリーマンは戒められるべきだった。そうではなくて、やはり少しは残さなくてはいけない。ユダヤではその少しという割合が自分のNet Incomeの10%と言われている。Gross Incomeではない。After Taxの10%を社会に還元しなけばいけない。ツェダカをやっていない人は大贖罪日で絶対に救われること、罪を贖われることはない。だからユダヤ人には面白いことがあって、ヨム・キプールの日には本当に寄付します。お金を持って来て貧しい人にどんどん寄付するんです。こういう風に色々なことを言われていますけれども、ヘブライ聖書というか旧約聖書の思想は、このミレーの落穂拾いの思想です。少しは残しておかなければ駄目、根こそぎは駄目だよ。「ユダヤ人と付き合ったらケツの毛まで毟られる」とかよく言われますけれども、それはかなり偏見と差別に満ちた言葉だと思いますね。そんなことは中に入ってみて、ないと僕は確信しています。

これはユダヤの結婚式ですが、実に簡略なものです。先ほどお見せしたタリートをパッと棒4つで広げて、その下で結婚式をするのです。実に簡略なものです。ラバイに払うお金、僕の娘もこのやり方で結婚したけれども、6万円払っただけです。だから豪華な披露宴とかをやる人達も居ますけれども、こういう簡単なやり方で終わる。

AA:娘さんがよく承諾してくれましたね?

石角:いや、これがね、娘が結婚式の始まる前にラバイに向かって「ちょっと待ってくれ」と言い出したんです。それで「いや、完璧なユダヤ式はやりたくない。」とラバイと交渉したんです。それでユダヤの結婚式の3条件のうち2条件はカットしたんです。3条件というのは、指輪の交換、ケトゥーバと言われている婚約証書のサイン、もう一つがグラス割りなんです。僕の娘がやったのはグラス割りだけなんです。あと2つをラバイと交渉して、それはやりたくないと言った。ユダヤのラバイの面白いところは「OK、分かった。」と。何か20分ぐらい別室で交渉していました。「OK、分かった。」と。ユダヤの結婚式ではなくて、ユダヤ式でやろうということで、グラス割りだけでうちの娘は結婚式を挙げました。グラス割りというのは、船の竣工式でシャンペン・グラスを舳先にぶつけるじゃないですか。あれの起源です。これからの航海、いいことばかりないぞ。波もあれば風もあるし、荒波で打ちひしがれることもある。それを思い知るためにグラスを割るんです、ユダヤでは。もう一つはローマ軍によって神殿が破壊された、その苦しさを思い出す為にグラスを割ると言われていますけれども、どちらかと言うと、幸せばかりが人生じゃないということを思い知る為に、縁起の悪い、日本の結婚式では縁起が悪いじゃないですか、グラスを割るというんだから。そういう人生だということを知らせる為に。

最後に、これはロサンゼルスのリトル東京にこのおっさんが建っているんです。銅像。これは誰だと思いますか? 我々ユダヤ人の救世主。杉原千畝という人です。第二次世界大戦の時にリトアニアの領事館に勤めていた領事です。この人がヒットラーに追いかけられたユダヤ人を救済するために、何とゴム印で作った通行証書をバンバンバンバン何千枚も発行したんです。

AA:6000ですよ。6000。判子を押して。

石角:それでロシアを通過して、ナホトカから舞鶴に来た。救われたユダヤ人の中にあとでアメリカで有名になったシュルツ国務長官だとか色々なユダヤ人が居るんです。だからこうやって銅像を作って、ロサンゼルスのユダヤ人達がこれを作っている。

AA:ホロコースト・ミュージアムにも何かありましたね。

石角:そうです。だからシンドラーよりも杉原さんの方がユダヤ人の感謝すべき人の名簿の中では筆頭に挙げられていますよ。

AA:リトアニアに居たんですよね。

石角:そうそう。何か色々な説があって、本省の命令に違反してということらしいけれども。

AA:奥さんはそう言っているけれども、実際外務省ではそういう命令は出さなかった。だから杉原千畝を命令違反でそれをやって、それでも最後の汽車に彼が乗るまでスタンプを押し続けたという英雄視するけれども、そうではなくて本省から何も出さなかったから命令違反ではないという意見もあるようですね。僕はこの杉原千畝のことで、石角先生にちょっと伺おうかと思ったんだけど。これを今リトアニアで神格化しないで日本とリトアニア、あるいはユダヤ人との関係をオペラを、XXXさんがやって、その作曲は新しい近代音楽家が作曲していますが、もっと新しい現代の。今アフガンで日本の行っている文民の、いわゆるアフガンの復興支援で女性が二人と男性が二人、文民協力して、それがリトアニア軍のキャンプの中に守られて学校を建てたりしている。そういうような新しいことで象徴するようなものをやりたいと思って、どうやってお金を集めたらいいか。

石角:そうなんですよね。映画を作るという話があるでしょう、杉原千畝の。来週僕のところにもファンド・レイジングの相談に来られますけれどね。シンドラーのリストが映画になるぐらいなら、なんで杉原をやらないんだ。こっちの方が沢山救っている訳です。シンドラーは自分の工場で働かせた訳でしょう。あんな。こっちは無条件で救出しているんだもの。

AA:シカゴの先物取引の・・・

石角:マーカンタイルね、あの人も杉原に救われて。

AA:名誉Chairmanがいわゆる大使が杉原千畝の何周年かでワシントンの公邸を全部解放したら、みなユダヤ系の人がずいぶん来て、色々とやった。「それも自分もその一人だ、自分も判子を受けた」と、その先物取引のChairmanが言っておられた。

石角:先物取引のChairmanは確かに杉原千畝の通行証で日本に逃れてきてアメリカに行ったんです。あれは手嶋龍三の「スギハラ・ダラー」という小説の主人公ですよ。日本人はユダヤ人に対して大恩人の一人を持っているんだということで、僕は本当に胸を張っていいんじゃないかなと思って、だから隣に座って記念写真を撮ったんですけれども。

www.kanjiishizumi.comはユダヤ教に関する日本語のWebsiteとしては最も分量が多い。内容は別としてもの凄く分量が多いです。1週間にいっぺんぐらい書き入れていますので、もう膨大な量です。2008年の4月ぐらいから書き始めたんです。

BB:我々の初等社も昔山本七平さんを呼んだんです。

石角:うーん、だいぶ前でしょう。「ユダヤ人と日本人」を書いたね。イザヤ・ベンダサンは山本七平のペンネームだから。

BB:あの人はどうなんですか、ユダヤ教じゃないんですか?

石角:ユダヤ教じゃないです。要するに、あれは日本人論をユダヤ人を引き合いに出して書いたというフィクションです。金儲けに関する本で、ユダヤ人に勉強を学べばみな金持ちになるという本が日本でいっぱい出ているけれども、(笑い)いやいや、ちょっと笑っちゃいますよね。お金儲けのことを勉強したいなら、Business Schoolに行くべきです。ただ一言だけ「ああ、そうか」と思ったことがあったのは、ユダヤ人のブルームバーグでも現在のニュースは流しているけれども、4000年にわたる人間のBehaviorの分析は出来ないでしょう。それが出来るのは我々ユダヤ人のヘブライ聖書だけだと思います。変わらないものがあるんです、人間のBehaviorには。それを早く知っておいた方が良かったなと思うことはたくさんあります。例えば、兄弟争いだとか親子争いだとかセックスの問題だとか、色々な生々しいことがヘブライ聖書に物語として書かれているけれども、ブルームバーグのニュースでは流れていません、そんなものは。でもいかにお金を儲けて、いかにITで長者になられても、そういうご不幸は皆さん、ご家庭で抱えられている方が多いんじゃないですか? そっちの不幸の方が身を苦しめます。僕は本当にそう思います。それが改宗して良かったことです。

CC:教育コンサルタントもやっておられるということで、それは・・・・・基金をご存知かどうか知りませんが。私の弟がやっているんですが、それは日本人の学生をアメリカの大学に4年間やる。あとの就職問題や何かで今年はHarvardに入った日本人のUnder graduateはたった一人。それを非常に問題にして、色々と石角さんがやられた、色々のアメリカの小さな大学・・

石角:テリー・ポルテが今一生懸命日米会議でやっている・・・

CC:それと私の質問は、申し訳ないけれども、どういう風にユダヤ教とユダヤ人とが、いわゆる、そのLiberal Artsの教育ですね、日本もやらなければいけないけれども、4年留学させるということがネックで。2年ぐらいとか1年は皆いいんだけど何か内向き志向になっていて、就職が大変だとかでなかなか行かない、ということで。アメリカの大学はもっと日本人が来てくれと。そうでなくても韓国と中国がいっぱい来て、

石角:中国大陸からもの凄く来ていますよね。Under Graduateで。

CC:それとユダヤ教、あるいは石角さんと教育コンサルタントとはどういう風に結び付くんですか?

石角:一つはUnder GraduateでHarvardに行くだけではなくてアメリカの大学に行く日本人がもの凄く少なくなっていることは本当に憂うべきことです。何とかしなければいけないと思っているんですが、どうにもならないですね、ハッキリ言って。それは本社志向が強過ぎる、日本人は。だって海外駐在をしたら出世街道から外れる訳でしょう。人事権を持った人の傍にいた方がいい訳でしょう、秘書課か何かで。僕も通産省の役人をしていたけれども大臣官房秘書課か何かにいた方が事務次官コースですよね。中米大使館とかに行ったりしたら、やっぱり外れますよ。そういうことがやっぱり大きく影響しているのではないかと思いますね。三井物産でも三菱商事でも海外駐在は今希望しないでしょう、皆さん。やっぱり本社勤務。それはトヨタなんかもまさにそうだし。だから日本人でアメリカの高校に行って、例えば現地の三菱UFJのニューヨーク支店に現地採用されたら、現地採用とワンランク下の人種になるんですよね。誰もUnder Graduateで行きたいとは思わないんじゃないですかね。そこら辺りが問題で、外資系という選択肢しかないのかなと思いますね。そういう意味でますます日本の会社が、掛け声はあるけれども、内向きですね。ユニクロの柳井さんとか日本電産の長野さんとか本当にコスモポリタンの社風の所はあるけれども、あれは変り種の企業じゃないですか。変わっている。日本工業倶楽部のメンバーになるような会社じゃない。本流じゃない。だからホンダだって、社内公用語は日本語でしょう。そんなことでいいのかなと思いますね。

僕は本当に心配しています。Wikipediaを引くと、あらゆる分野で英語で書かれている情報の方がはるかに内容があるし分量も多い。それは日本語に翻訳されていますね、Wikipedia。でも10分の1ぐらいじゃないですかね、書かれている質・量ともに。だからこれからの教育現場でWebが当然使われる訳だし、iPadで。アメリカの大学はもう全員iPadを持たせるとハッキリ言っています。Harvard Business Schoolは今年からiPadを全員に持たせて、教材は全部iPadで配ると言っています。そうなって来ると、Webで書かれている情報の多いWebsiteが中心になって行く訳だから、本当に日本の教育というのはますます混迷の度合いを深めるのではないかと思います。あんな薄っぺらい教科書でどうするんだろうという感じがします。Harvard Business Schoolのカール・ケスターという日本贔屓の教授と2ヶ月前に話しましたけれども、全部iPadでやると言っていました。今まではケースブックというのを3つ毎日配っていたんだけれども、来学期からはiPadだと言っていました、来学期から。中国贔屓でウィリアム・カービーという先生が居ます、Business Schoolに。彼が今主流になっています。それぐらい中国の影響は大きいです。Harvard Business Schoolの海外キャンピス第1号は上海でしょう。HSBCがその敷地を提供したんですが。何で三菱UFJがそういうことをやらないのかよく分からない。それと併せて東京のユダヤ人も激減して、全部上海に移って行きました。おっしゃる通り、本当に何か対策を打たないと。他に何かご質問ありますか?

GG:フリー・メイソンについてちょっと興味があって、全く何も分かっていないのですが。戦後の日本を復興させるのにフリー・メイソンが・・・そのメンバーの人達の中にユダヤ教徒の人が多いと言われていた。ユダヤ教とフリー・メイソンとはどういう風に・・・・

石角:僕は無関係だと思いますね。ユダヤ教徒の人が多いことは事実だし、フリー・メイソンで日本の中心になっているのは東大の何とかという先生でしょう。日本でも確か100名ぐらいフリー・メイソンがいるんじゃないですか。誰が会員かということは名簿が公表されている訳じゃないし、よく分からないですが。それとユダヤ教徒とは関係ないです。ユダヤ教とも関係ないです。多いことは事実ですけれども。

GG:この前新聞でちょっと見たんですが、ドイツの政府の高官が「ユダヤ人には遺伝的特色がある」ということを言って罷免されたのですが、なんでドイツの政府高官がユダヤ人というのは宗教的な要因っていうことを知らないのですか?

石角:知っていて言っているんでしょう。普通の日本人はユダヤ人は。ジョークがあります。「なんでユダヤ人の鼻は大きいか知っているか」、「空気はタダだから」というジョークがある。確かにこういう鼻の人は多いけれども。前の国務長官のヘンリー・キッシンジャーとか。エズラ・ボーゲルという「Japan as Number One」を書いたあの人もユダヤ人だけれども、息子はずい分美男子ですね。彼もユダヤ人ですね。今はバークレーの教授をやっているでしょう。

GG:ユダヤ人というのは2種類あるんですか。一つは血統的にユダヤ人の子供はユダヤ人というのと、ユダヤ教に改宗した人と。

石角:2種類。ただユダヤ人の子供はユダヤ人ということで、どこまで遡れるのかについてはよく分からないんです。僕がユダヤ人としますね、お母さんから生まれて。お母さんがユダヤ人だったということは信徒名簿があるから、シナゴーグに。お母さんのお母さんがユダヤ人だったということも信徒名簿があるけれども、第二次世界か何かでほとんどのシナゴーグが焼き尽くされていますから、ひいお婆さんがユダヤ人だったという記録はもう大体残っていないことが多いのです。だからナチスがいくらでも600万人を送ることが出来たのです。「私はユダヤ人じゃない」と言っても証拠がないし。

GG:お父さんがユダヤ人というのは関係ない?

石角:関係ないです。

GG:石角さんのお子さんは別にユダヤ人じゃなくてもいいんですね。

石角:僕の子供は僕がユダヤ教徒になる以前に生まれていますからユダヤ人じゃないです。改宗しない限りは。

GG:ユダヤ教徒になった後で生まれた子供は?

石角:ユダヤ人じゃないです。僕の家内は最初改宗を躊躇ったんです。そうしたら、ラバイに言われたんです。それじゃ僕の改宗も認めない、と。何故か? ユダヤ教徒が異教徒の女と同棲していることは認められないのです。だから妻が改宗することが条件だった。家内に「改宗してくれ、改宗してくれ」と頼みました。「そんな難しい勉強をするのは嫌だ。」「女性だから割礼手術はないから、簡単だ、簡単だ。」と言って。「まあ、いいわよ。」と言われるのに6ヶ月ぐらいかかったかな。そうしたらやっぱり儀式の現場になって「嫌だ」と言った。何故かと言うと、素っ裸になってユダヤ教徒3人の前でミクベという儀式があるんですが、全く自然の水に身体を浸けなければいけない。僕もやりましたが。もういっぺん生まれ変わる訳です。ジョージ・W・ブッシュが生まれ変わったとか言って、あれは福音派でしょう、あれも似たような儀式があるんです。やらなければいけない。「嫌だ、そんなもの。裸になるのは嫌だ。」すったもんだの挙句、「分かった。じゃあ、三浦海岸でやろう。」ということになって、ラバイが割と柔軟だったので。三浦海岸で12月の寒い時に女性のユダヤ教徒3人とラバイは後ろを向いていましたが、海に頭まで潜って二度三度と、生まれ変わりの儀式をやりました。それで家内もユダヤ教徒になって、宗教的には正しい夫婦生活にまた再出発できた訳です。改宗してくれないと異教徒の女と同棲しているということで認められない。ユダヤ教徒の女性がキリスト教徒と結婚するとか、ユダヤ教徒の男性がキリスト教徒と結婚するということがアメリカではもの凄く多くて大変なのです。ユダヤの道徳律の承継というのがだんだんと認められない、というか機会が少なくなってきているので困っているんです。

BB:ちょっと時間がオーバーしましたので、レストランの方に。申し訳ありません。食事は無理ですか、先生。

石角:食事は無理ですが付き合いますよ。

BB:どうも有難うございました。

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講演でのやり取り再現
久し振りに日本に帰国してある企業家の集まりでユダヤ教について講演した。Q&Aの時間になり、ある会社の社長が手を挙げて私にこう聞いた。
 
Q:石角さん、改宗前と改宗後で何が変わったんですか。いわゆるBefore and Afterですよ。
A:そういう質問をするということは、改宗によって何かが変わるということが前提の質問ですか。だとすればその質問自体が正しくありませんね。いいですか、ユダヤ教徒になる前とユダヤ教徒になった後で何かが変わるというものではありません。ユダヤ教はあなたの人生を変える為のものではないのです。ユダヤ教はあなたが世界をどう変えるかに関する宗教なのです。従って問題は私がどう変わったかではなく、私が世界をどう変えたか、私がユダヤ教徒になる前と後とで何か私が世界を変えた違いがあるのか、という質問なら喜んでお答えしますよ。
 
Q:石角さんの話を色々聞いたけれども、ユダヤ教、ユダヤ人に対しては一つも共感する部分がなかった。共感を得られないね。
A:ええ、当たり前です。ユダヤ教は人に共感を求める宗教ではないからです。布教・伝道活動は一切しません。人に分かってもらいたいと思ってもいません。共感を得てもらいたいと思ってもいません。そもそもそういう宗教ではないのです。ユダヤ人も人とは違った民族であることを4000年間求めてきた民族です。今後もそれは変わることはないでしょう。日本人は人から共感をもらいたいとか、人と同じでありたいと思う性向が強過ぎますね。だから独自の文明が生まれなかったんですよ。
 
Q:何でそんな変な宗教なんだ。
A:ユダヤ教というのは神と自分の関係だけに立脚する宗教なんです。自分というのは自分一人です。他のユダヤ人との関係でもない。私と神との間の契約に基づき神から授かったMissionをこの世に実現する為に私がいるという宗教なのです。だから人がどう思おうと関係ありませんし、私と神との関係につき人から共感を貰いたいということなどはここから先も思っていません。
 
Q:話を聞いていると徹底した選民思想だね。
A:当たり前です。我々ユダヤ人が神に選ばれ、我々ユダヤ人が選んだ神であり、我々ユダヤ人と神との間にパートナーシップの契約があり、その契約に基づいてこの世界を少しでも良くしようと努力している訳ですから、選民であることは当然です。問題は日本人であるあなた方に世界を少しでも良くしようという徹底したMission思想がないことです。今日本で溢れているのは野球、サッカーに興じ、グルメを追い求め、「円安だ」、「円高だ」と大騒ぎをし、テレビではお笑いタレントの馬鹿騒ぎか、誰が検察に捕まったか・捕まらなかったか等と大騒ぎをしている全くコップの中の内向きの風潮です。それも一種の選民ですよ。しかし字が違いますね。「何もせん民」です。
 
Q:石角さんはイザヤ・ベンダサンの書いた「日本人とユダヤ人」という本をこき下ろしましたね。最も日本人にユダヤに関する誤解を与えた本だと言いましたよね。しかし第2回大宅賞を受賞している立派な本ですよ。
A:受賞の問題について私はとやかく言っていません。しかし、ユダヤ人イザヤ・ベンダサンというのは存在しないでしょう。山本七平本人じゃないんですか。だとすれば何故実名で書かなかったんですか。あたかもユダヤ人が書いたような体裁を取った為に、書かれていることが本当のユダヤ人のことだという誤解を与えたという意味に於いて最も誤解を日本人の間に広めた本だと言えませんでしょうか。少なくともユダヤ人である私はそう思いますね。そもそもイザヤ・ベンダサンなどというユダヤ人の名前は、ユダヤ人になってみると分かりますが、聞いたこともないし見たこともない名前ですよ。ところが、あの本を読んだ当時の日本人はこういう名前がユダヤ人の名前だと思ってしまったのではないんですか。それだけでも大いなる問題ですよ。我々ユダヤ人は自分の名前にそれぞれ自信を持っています。アインシュタンとかレオナルド・バーンシュタインとか、ユダヤ人は色々な事情があってひと目でユダヤ人と分かる名前を付けています。逆にそれだけ名前に自信と自負を持っているのです。山本七平の書いた偽名のユダヤ人の名前はそういう意味に於いて日本人に誤解を与えたとも言えるでしょう。
 
Q:石角さんは自分のことを「我々ユダヤ人」とこの講演で何度も言っていたが、横で聞いていて大変な違和感があるね。あなた日本人じゃないの?
A:じゃあ、ユダヤ的にお聞きしますが、日本人って一体何なんですか。日本人の定義は何なんですか?
Q:そんなことはどうでもいいんだよ。
A:いや、どうでもよくはありませんよ。ユダヤ人は「改宗者もしくはその改宗者たる母から生まれた子」という定義を4000年にわたって守り続けて来た人々の集団です。その集団に私は構成員として属している訳ですが、違和感があるとおっしゃるのは私が日本人なのに「我々ユダヤ人」と言っているから違和感があるんでしょう。だから「日本人って何ですか?」とお聞きしているのです。
Q:日本人とは日本国籍を有する者だよ。
A:だから私は日本国籍を有するユダヤ人なんですよ。ユダヤ人は世界中に散らばっていますが色々な国籍を有しているんです。あなた方は日本人、日本人と言いますが、結局は国籍の問題なんですか。国籍というのは制度でしょう。制度というのは法律でしょう。そうするとあなた方日本人の定義は法律が決めるんですか。それって変じゃありませんか。民族の定義を法律が決めるんですか。それこそ違和感がありますよ。先に「民族ありき」じゃないんですか?
日本人とは何かという定義がしっかりしないくせに、日本人は二言目には「日本人、日本人」と言う。誠におかしなことである。物事には定義がなければ口にしてはいけない。日本人とは何か? ユダヤ人の場合には「改宗者及び改宗者たる母から生まれた子供」という定義が4000年間確固として継続されてある。
ならば日本人という定義は何か。日本国土に住み、日本語を話す者? それならデーブ・スペクターだとか色々白人種で日本国土に住み日本語を話す人はいっぱいいる。あれも日本人か? その人達も日本人か? 在日韓国人はどうなるんだ? その人達も日本人と言うのか? そうではあるまい。日本人が「日本人」と言う時には必ず皮膚の色が入っている。いくら日本に住んでいても、いくら日本語が我々と変わらず出来ても黒人白人は日本人とは看做していない。在日韓国人も日本人とは看做していない。心の底ではアイヌも日本人とは思っていない。そう言われて反論出来ないだろう。日本人こそ一番差別的な人々である。制度上の差別はないが心の中での差別は恐らく世界のどの人々よりも激しいものを持っているのではないか。日本人の定義が出来ないところが実はそこにある。日本人の定義が表立って言えないところは実はそこにある。在日韓国人や在日中国人を入れたくない、皮膚の色の違う人間も入れたくない、日本語をいくら達者に話しても皮膚の色や顔の形が違う人は入れたくない、皮膚の色が同じでもいくら日本に永住していても韓国人や中国人は日本人の定義には入れたくない。こういう差別的な意識が根底にあるから日本人の定義が出来ないのではないか。日本人は世界でも最も差別的な人々だ。そして、日本人が「日本人」と言う時の定義には「皮膚の色の違い、及び、韓国人及び中国人を含まない」ということだ。朝青龍も日本人とは認めていないんだろう。白鵬だってモンゴル人としか認めていないんじゃないか。白鵬を日本人力士とは言うまい。外国人力士と言っている。だから、日本人の心の定義の中にはモンゴル人も含まない。結局煎じ詰めて言うと、心の中にある日本人の定義というのは一体何なのか? 差別以外の何ものでもない。
 
Q:石角さんの話を聞いていると、ユダヤ人は平和主義者のように聞こえるけれども、イスラエルほど好戦的な国はないんじゃないの?
A:イスラエルのことを好戦的な国だということを日本の方々から聞きたくもありませんね。日清、日露から第二次世界大戦に至るまでどの国が最も好戦的だったのか、それはご存知でしょう。日本じゃないんですか。しかも日本のやった戦争は自衛の為の戦争と言えますか。言えないでしょう。
 
ユダヤ人はユダヤ教徒です。そしてイスラエルはユダヤ人の国です。しかし、ユダヤ教の教えは4000年の教えであり、現在イスラエルという国家の政治体制が置かれた政情とは無縁です。政治と宗教をゴッチャにしないで下さい。ユダヤ教としての宗教は徹底した平和主義です。イスラム教も徹底した平和主義であり、キリスト教も徹底した平和主義なのです。どの宗教も平和を求めない宗教などありません。宗教と政治をゴッチャにするのは大いなる誤りです。政治は自国民の安全保障が大きな命題です。宗教は平和達成が大きな命題です。その2つの命題が食い違うのは当然のことじゃありませんか。
 
Q:石角さんに一番質問したいのは、改宗前と改宗後、生活がどう変わったかということだ。Before and Afterだ。
A:改宗後は忙しくなったということだ。
Q:どういうことですか?
A:朝晩2回シナゴーグに行く。そして金曜日の夜はシナゴーグで3時間を過ごす。土曜日の朝もシナゴーグで3時間を過ごす。土曜日の夜はシナゴーグで勉強会がある。水曜日の夜にもシナゴーグで勉強会がある。その予習、復習だけで大変だ。その上弁護士としての仕事もあるし、扇屋としての仕事もある。今までも忙しかったが余計に忙しくなった。
Q:それじゃ、一つもいいことないじゃないですか。
A:とんでもない。弁護士の仕事はいずれは引退する時期が来る。いずれは人から相手にされない時期が来る。いずれは後継者に引継がなければいけない時期が来る。しかしユダヤ教の勉強だけは、そしてシナゴーグに行くことだけは人任せに出来ない。恐らく死ぬ前日までそれが続く。逆に皆さん方にお聞きしたい。あなた方は死ぬ前日までやる仕事をお持ちですか? 仕事というのは、いわゆる会社に行くとか事業の経営をするとかという意味の仕事ではない。神との間に於いて自分に課された仕事という意味です。
 
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2010年読者が選ぶベストブック5位に「日本人の知らないユダヤ人」が選ばれました。
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経営文化フォーラム講演 〜 日本人の知らないユダヤ人 〜
 司会:皆様こんばんは。ただ今より経営文化フォーラム7月例会を始めさせて頂きます。私、本日司会並びにコーディネーターを務めさせて頂きます金子ケイコと申します。どうぞ最後までよろしくお願いします。さて、本日はキタ世話人代表のご紹介で、ユダヤ民族の奥深い知的体験を研究され、ユダヤ教に改宗なさいました国際弁護士の石角完爾先生をお迎えしております。そして、あちらに石角先生のお母様と奥様。石角先生は1947年生まれ。京都大学法学部を首席で卒業なさいまして、在学中に国家公務員上級試験に合格、また司法試験に合格。通産省を経てHarvard大学、Pennsylvania大学のLaw Schoolを卒業なさいました。米国の証券取引委員会、ニューヨークの法律事務所Shearman & Sterlingを経て1981年に千代田国際経営法律事務所を開設なさいました。国際弁護士でもあり、弁護士であられると同時に米国認定教育コンサルタントでもあります。2002年にアメリカの教育コンサルタントの公認資格を取得して、ボーディング・スクールの留学生も紹介なさっております。また、ご著書として「日本人の知らないユダヤ人」など多数ございます。本日は「日本人の知らないユダヤ人、歴史、家庭教育、知的分野の貢献」をテーマにして語って頂きます。それでは石角先生、どうぞよろしくお願い致します。

ご紹介に預かりましたユダヤ人の石角完爾です。(笑い)そういう風に言いますと、皆さんは「お前、日本人とちゃうか。」と。確かに私の両親は、そこに母親も来ていますし、父親は亡くなっていますけれども二人とも日本人なんです。だけれども、私は正真正銘のユダヤ人ですので、その辺のことについては今日のお話の中でゆっくりと「何故私がユダヤ人なのか」ということをお話したいと思っております。

私がユダヤ教に改宗して、どこから話を聞きつけたのか、小学館という出版社が「改宗のプロセスについては歴史的な意味があるから本に書け」というので書いたのが「日本人の知らないユダヤ人」です。

ユダヤには天才が多いという話がどこかで色んなことを言われていますけれども、そういうことについて書いてくれと言われたので朝日新聞から「天才頭脳のつくり方」という本を出しました。

それとユダヤの教育についても書いてくれということでPHPから「真のエリートをはぐくむ教育力」という本を出しました。

一番最近はユダヤと言えば、やっぱりお金だろう、金儲けがうまいのはユダヤ民族の一番の長所じゃないかということで、もう一つ本を書いてくれと言われましたので、これは一番日本で金儲けのうまいソフトバンクの孫さんから言われましてソフトバンクから「お金とユダヤ」という本を書きました。

今日は出来るだけ食後ということもありますから、話を面白くするためにジョークからまず始めたいと思います。そのジョークを理解して頂くために、これだけの単語はどうしても覚えてもらわなければいけない。これを覚えてもらわないと私の話の中でこの4つの単語がいっぱい出てきますので。

シナゴーグ。これはユダヤ教の教会のことです。我々はシナゴーグと言ったり、テンプルと言ったりしますから、これを覚えておいて下さい。教会とは決して言わないです。

それから、ラビとかラバイというのは、これはユダヤ教の牧師さんみたいな人です。でもそれを牧師さんだとか神父さんとは我々は決して言わない。ラビとかラバイと言っています。

トーラ。このトーラというのは、実はモーゼ五書といって、我々の最も聖なる書物なのです。日本とかヨーロッパではこれを旧約聖書と呼んでいるようですが、あれは全然間違いで、ヘブライ聖書と言ったりトーラと言ったりするんです。

タルムードというのは、これはヘブライ聖書の注解書なのです。ヘブライ聖書が書かれてから何千年経っているか分かりませんが、それの膨大な注解がこのラビ達によって作られてきたのです。これが全32巻、250万語という膨大な注解書があるのです。これがタルムードと言うのです。これだけの単語は是非覚えておいて頂きたいと思います。

「世界ビジネスジョーク集」という本を書かれた大場智満さん、この人は東京生まれで暁星小学校でフランス語を、旧制第一高校でドイツ語を、ローマの日本大使館でイタリア語を学び、各国のジョーク集を読みこなす。大蔵省国際金融局長、財務官として国際的に活躍して、現在はJCIS、これは正式な名称は国際金融情報センターということですが、Jewish Joke Centerとかいうギャグらしいのですが、その人の本のはしがきに
「ユダヤ・ジョーク集にすぐれたものが多いのは、これはユダヤ人が長い年月しいたげられた生活を送りながらも英知を失わなかったからであろう。アインシュタイン博士やフロイト博士も、ジョークの達人であった。」
という風に書かれています。実はユダヤ人が作ったジョークは結構多くて、一番有名なものをご存知ですか?
「ユダヤ人の鼻はなぜ大きいか? それは空気がタダだから。」(笑い)
これ、実はユダヤ人が作っているんです。しいたげられた生活の中で自分達を笑い飛ばそうと。もう一つ、面白い話があります。このラビというユダヤ教の牧師さんを笑い飛ばしたジョークがあります。ラビは信仰の対象ではないからジョークのネタにされる。このジョークもユダヤ人が作った。

 ある国に王様がいらっしゃいました。その王様が「是非ユダヤ教のトーラ及びタルムードの勉強をしたいので教えてくれ。」という風にラビに頼みに来たわけです。ラビは簡単には教えてはくれません。私も「教えてくれ」と言っても簡単には教えてくれなかったのですが、王様の熱意に負けて教えることにしました。王様ですから「俺の城に来てくれ。」ということで、何度も何度もラビは王様の所に行きましてトーラとタルムードを王様に教えたのです。3年ぐらい経って王様が、「ちょっと頼みを聞いてくれんか。実はワシはお前のシナゴーグで、ラビさん、貴方の代わりにユダヤ教の信者達に説法をちょっとたれてみたいのだけど、いいか?」と。ラビが「まあ、そこまで王様がおっしゃるなら良いでしょう。」ということで、説法を事前に教えて、それでいよいよ王様がラビの居るシナゴーグに説法をたれに行ったのです。それで話をし出したら途中でふっと次に何を言うのか忘れてしまった。そこで王様は自分のお城にとって帰って来たのです。ラビにその続きを聞こうと思ってとって帰って来た訳です。そしたら何と寝室でラビとお妃が何か怪しくモゾモゾと毛布の中でやっているではありませんか。それでお城の城主が「何をやってんだ、ラビ!」と言ったら、ラビは毛布をパッとめくって「いやいや、王様、王様が私のシナゴーグで私の代わりに説法をたれておられるのだから、私は王様の寝室で王様の代わりをしているだけです。」と。(笑い)ユダヤ人の屁理屈好きを笑い飛ばしたジョークです。

これもユダヤ人が書いたジョークです。普通はこういうことを、例えばカトリックの信者達が神父さんのことについて、こういうジョークを書いたりしない、言ったりもしない。もっと面白いジョークがあります。カトリックの神父がお布施を教会の為に使うお金と自分の為に使うお金とにどういう風に分けるか? カトリックの神父は、こういう風にしてパッとお金を投げて、線を引っ張った向こうに飛んでいったものだけ教会の方に寄附されたものとして、それ以外は自分の飲み食いに使うんだと。ユダヤ教のラビはどうしたか? 天上に向かって投げて、「神様は天にいらっしゃるから、必要なものをお取りになった、落ちてきたものは全部俺のものだ。」(笑い)

こういう風にユダヤには非常にジョークが多いのです。それは差別されて来た民族の苦しみをジョークで笑い飛ばそうという英知なのです。では笑いばかりかと言うと実はそうではない。

こういう風に1969年にニューズウィークが「世界に偉大な影響を与えた10人の偉大な思想家達」というアンケート調査をやったらザーッと出て来たわけですが、イエス、アインシュタイン、フロイト、パウロ、マルクス、聖母マリア、スピノザ、トロツキー、モーゼ、これは全部ユダヤ人です。だからジョークばかり言っている訳ではなさそうだということですね。アメリカの現代のIT産業、デルだとかオラクルだとかインテルだとかマイクロソフト、メーシーとか百貨店も全部そうですね。化粧品業界のエステー・ローダーだとかレブロンだとか、ファッション業界のラルフ・ローレン、ダナ・キャラン、これも全部ユダヤ人が創業している。ハリウッドは全部ユダヤ人が創業した。ジョークばかり言っている割にはビジネスの方もしっかりやっている。

この秘密は一体どういうところにあるのかということを、今日はお話したいと思います。

ユダヤ教とはどんな宗教だろう? これを一番端的に説明するのが、この京都のお婆さんの話です。この京都の80歳をとっくに過ぎた日本人のお婆さんが、「ユダヤ教ってどんな宗教や?」と私に聞いてきたわけです。そのお婆さんは「お不動さん」と「弁天さん」の熱烈な信者で、真言宗の教徒でもある、典型的な日本人の神仏同時信仰者です。この私とそのお婆さんとのやり取りはユダヤ教を一言で説明するのに非常に面白いので再現してみましょう。

「ユダヤ教は誰を拝むのや? キリストはんか?」
「キリストを拝むのはキリスト教やないか。ユダヤ教とは違うよ。」
「ほな、ユダヤ教は何を拝むのや。」
「何も拝まんよ。」
(いわゆる偶像というのは一切ありません。我々には。)
「仏さんのお姿みたいなものは、仏像はないんか?」
「何もないよ。」
「へぇ〜。変わってんな。ほな、あんた、毎朝早くと毎週水曜日の夜と土曜日の午前中に出かけて行くのは何しに行ってんの?」
(毎朝と水曜日と土曜日私は半日シナゴーグに行きます。世界のほとんどのユダヤ人も熱心な人はシナゴーグに行きます。)
「本をみんなで読んでるんや。お経もあげる。そして講義もある。」
(本というのは先ほど言いましたトーラです。)
「へぇ〜。勉強しに行ってんのか。勉強だけしてればええんか?」
「いや。食べてはいけないものを食べないことと、週1回は仕事も勉強もせんこと。それぐらいやな。」
「え〜。変わってんな。それ宗教とちゃうな。」

実は、1.勉強すること、2.食事戒律を守ること、そして、3.週1回の安息日を守ること、この3つがユダヤ教のエッセンスなのです。この順番で実は最も神聖な宗教行為と言われているのです。勉強が一番神聖な宗教行為。 食事戒律。食べていけないもの、食べないもの。そして安息日を守ること。これ以上にユダヤ教を端的に説明するものはありません。この1、2、3です。勉強すること、食事戒律を守ること、安息日を守ること、これは全てユダヤの子供の為の健全な成長の為にある。だからユダヤ教は「子育て教」なのです。子供の「体」に悪いものを食べさせない。それで健康な体に育ち、勉強をして立派になり、子供の精神、つまり子供の「魂」の健やかな発育の為に安息日は休むのだ。安息日は何かということはまた後でご説明します。大人になってからも、この1、2、3を守り、幸せな一生を長く送れるようにする。それがユダヤ教なのです。ですから、日本人が普通に考える天国があって地獄があって、信仰を深めて、仏様に手を合わせて極楽浄土に行くという宗教とは、根本的に違います。あくまでも現世を重視する宗教なのです。

 ここにユダヤの有名な母鳥の話というのがあります。いかにユダヤが教育、勉強を重視しているのかという。

ある時母鳥が、もの凄い暴風雨が巣を襲ってきた。その巣の中に二匹のヒナ鳥がいた。母鳥はこのヒナ鳥を助けなければいけないので、対岸にヒナ鳥をくわえて行こうとした。対岸に行けば嵐はない。一匹目のヒナ鳥はお母さんに向かって「お母さん、早く対岸に連れて行って下さい。そうしてくれれば私は食べ物の好き嫌いを言ったり、駄々をこねたりしないし、お母さんの言うことは何でもききます。」母鳥はそのヒナ鳥を口にくわえて対岸に渡るその途中の海に、真上でその子供をバッと海水に落とすのです。母親は2匹目のヒナ鳥を連れて行って、そして飛びながら子供に母鳥は聞くのです。「貴方を私が対岸に連れて行ったら何か私に対して約束をしてくれるか?」そのヒナ鳥が言ったのです。「お母さん、私はお母さんが私に教育してくれたのと同じことを私の子供にします。」と言ったら、そのヒナ鳥だけを母親は対岸に無事届けた。

これはどういう小話かというとユダヤでは家庭教育が一番重要だということです。家庭教育を代々伝えていくことがユダヤの一番重要な戒律だということを物語風に言っている有名なユダヤの小話です。ユダヤ人の家庭教育というのはあらゆる局面で行われています。例えば、今日皆さんが食事をしておられる時に、日本人ならタレントの噂話か野球かサッカーの話でしょう。これがユダヤ人だけだったらどうなるか? 教育的会話をします。先週私はシンガポールのシナゴーグに行ってユダヤ人の食事会に参加していたら、世界各国からユダヤ人が来ています。どんなことをそこで我々が食事をしながら議論したのか? 実際これがシンガポールのシナゴーグで2時間半ぐらい食事しながら議論したことの実例です。

「オリンピックにイスラエルは積極的に参加すべきか。」

こういうことを議論しているんです。これはどういうことかと言いますと、「オリンピックはギリシャが元々始めた。ギリシャは多神教の国ではないか。我々は一神教だ。そういうスポーツの祭典に参加していいのか。」ということを議論する。2番目はこんなことを議論している。

「『牢番が死ねば解放してやる』という判決で監獄に入れられた自分の息子のために母親がその牢番が早く死ぬように祈ることはユダヤ人として許されるのか。」

「薪を割る斧の音が死にかかっている人の魂と肉体の離脱の妨げになる場合に、薪を割るのを止めるべきか。」

こんなことを議論しているんですよ、食事の時に。

「拷問の苦しみから逃れるために自殺することは許されるのか。」

こんなことを食事の時に議論するんですよ。自殺というのはユダヤ教では許されていない。イスラムではジハードという形でそれが非常に聖なることと言われていますが、我々は自殺は許していない。じゃあ、苦しみから逃れる為に自殺することは許されるのか?

「死の激痛に苦しむ人のために神が命を早く召されるように祈ることは、その親族なら許されるのか? それとも他人なら許されるのか?」

この議論の大体の大勢は、フランス人もだいぶ来ていましたけれども、彼等は興奮するとフランス語で話をするからラバイが「英語で話をしろ。誰も分からないから。」と言って。安楽死を祈ることは他人なら許されるというのが大体のユダヤ人の多数の議論でしたね。

「宇宙がどう創造されたかの勉強と宇宙がなぜ創造されたかの探求とどちらがユダヤ的か。」
「ダーウィンの進化論とユダヤ教は符合するのか。」

まあ、大体こんなところを議論すると、全然話が尽きないわけですよ。ワーッと議論するから。こういうことを食事の時にシナゴーグでも家庭でも親子で議論する。だから、かなり哲学的というか宗教的というか神学的なことを議論するのです。これがユダヤの家庭教育なのです。

だから日本人がお笑い番組のテレビを見ながら、野球中継を見ながら夕食を食べるというのとは全く違った風景が我々ユダヤの風景の中にあるということを分かっていただきたいのです。

ユダヤ人は何故勉強ばかりの生活を送るのか? 

これは勉強こそ最も聖なる宗教行為だからです。つまり、皆さん方が仏様の前に行って手を合わせて南無阿弥陀仏を唱えるのと同じぐらいに、それ以上に我々ユダヤ人にとってはああやって議論することが最も信仰の聖なる行為なのです。タルムードの勉強会にほとんど亡くなる寸前までユダヤ人は出てきます。私が出ている勉強会も毎週水曜日シナゴーグでありますが、老人達は車椅子でも勉強会に参加しているわけです。私もあちこち世界のシナゴーグに行きますから、次に行った時にはもう亡くなっていますね。でもその瞬間まで勉強しているのです。ユダヤ人から勉強を取ると何も残らないぐらいに勉強の毎日です。

さて、もう一つ重要なことは安息日とは何か。

皆さん、「十戒」という言葉はご存知ですよね。モーゼがシナイの山で神から十戒を授けられた。十回には色々ありますが、「汝、殺すなかれ」とか、日本人の多くの人が知っているのは「汝、姦淫するなかれ」とかありますが、実は十戒の中でもう一つ「安息日を守れ」と。安息日とは、ユダヤ教、すなわちキリスト教とイスラム教の母体になったユダヤ教では、金曜日の日没から土曜日の日没までが安息日なのです。この時は一切の人間的な行為をしてはいけないとなっている。これはユダヤ教では、「もしその掟を破ったならば死刑に処す」と書かれているぐらいもの凄く重要な戒律なのです。一切の人間的行為とは何か? 

これについては有名な実話があります。ワールドシリーズの初日に先発ピッチャーに指名されたドジャーズのサンディ・コーファスというユダヤ人投手がいたのです。その初日が実は安息日に当たったので、彼は先発ピッチャーを降りたのです。これはアメリカ人なら誰でも知っている有名な実話です。それぐらいユダヤの安息日というのは重要なのです。何をしてはいけないのか? もうあらゆることをしてはいけない。まずe-mailなんて全然駄目だし、電気のスイッチを入れるのも駄目だし、料理するのも駄目だし、車に乗るのも駄目だし、地下鉄に乗るのも駄目だし、エレベーターも駄目。だから、ユダヤ人だとエレベーターは駄目ですから、もし20何階に住んでいると階段で昇り降りしなければいけないなのです。勿論筆記具を取り出すことも駄目です。仕事も駄目。仕事の書類を出すことも駄目。だからその間は家族と語らい、先ほどのようなああいうような議論をする日だと言われている訳です。この安息日があるからこそ、我々ユダヤ人は精神と肉体のバランスを保ち得たんだ、という風に言われている。日曜日というのは安息日のことが起源になっているのですが、日本人の方はなかなか日曜日もお休みにならない。取引先とゴルフに行くだとか映画を見るとかになると思いますが、我々ユダヤ人は何もしてはいけない。ユダヤ人からすると「日本人は日曜日も土曜日も接待だとか仕事仲間とゴルフに行くとか、何故仕事以外の人生の目的がないんですか?」ということになる。

そしてもう一つ重要なのがこの食事戒律ですが、食べてはいけないものが非常に多いです。今日皆さんがお召し上がりになりましたものはユダヤ人はほとんど口に出来ないです。それはユダヤ人のコックが作っていないからまず駄目ですね。それから魚は、今日は何の魚だったか知りませんが、魚の大半は我々は口に出来ません。口に出来るものはイワシとシャケぐらいのものです。それは何故か? ヘブライ聖書の中に「ウロコとヒレのある魚で、ウロコを剥す時に簡単に剥がれる魚だけ」と書かれていますから、タコ、イカ、海老とか全然駄目です。シャコも駄目。だから私は改宗する前日に、もうタコとイカとシャコをたらふく食べました。それから、肉類は何が駄目か? イスラムと同じで豚は駄目。それから牛もユダヤ人の専門家による一定の屠殺方法に従った牛でないと食べられない。だから牛も日本では全然口に入れることは出来ないです。鶏も同様の理由から駄目です。だから日本では野菜しか食べられない。

厳格に食事制限を守っているユダヤ人は野菜と果物と木の実しか食べていない。なんでそんなことをするんだ? 逆にユダヤ人は「なんで皆さん、そんなに食事にこだわるんですか。三ツ星だとか、美味しいレストランだとか、日本のテレビの画面を見ていると食事の画面ばかりじゃないですか。鉄人シェフだとか、なんで食事にこだわっていらっしゃるんですか、貴方がたは?」というのが、僕らから見ると逆の質問なのです。「もっと何か他に重要なことがありませんでしょうか?」というのがユダヤの考え方、だから食事制限があるのです。

十戒、これは確かにユダヤの根本的な道徳律を教えているのですが、我々にも昔戦前には「修身」という科目がありました。「汝の父母を敬え」と教えられたのですが、これと同じにユダヤも確かに十戒に「汝の父母を敬え」と。「Honor your parents」というのがあります。でもどう違うか? 全然違うのです。それは十戒をもうちょっと最後まで読むと、「汝の父母を敬え。That you may long endure on the land that the Lord your God is assigning to you.」これはどういうことか? この「you」というのは子供のことを言っているのです。汝の父母を敬え、そうすれば、子供よ、お前は幸せな一生を送れる、と言っている。このことについて話し出すと長くなりますが、子供と親の関係というのは一番精神的な確執とストレスが多い関係だから、子供が幸せな一生を送るためには子供が父母を敬うのが一番良いことだ、というのが我々ユダヤの考え方です。だから、戦前日本の修身の親を敬うのが子供の当然の務めだというお上からの統治的考え方じゃないのです。子供のためということなんです。

さて、これは有名な絵ですよね。レオナルド・ダビンチが書いた例の「Last Supper、最後の晩餐」これを見てまずお気づきになるのは、真ん中に座っているのはイエス・キリストですね。これ、実は全員ユダヤ人なのです。全員ユダヤ人です。一人だけユダという裏切り者がいるという説がありますけれども、実は全員がユダヤ人です。キリスト教というのはユダヤ教の一分派だったのです。それがパウロによってキリスト教、カソリックという形に発展して行ったのです。話が全然変わりますが、この絵を見てどこかおかしいと思いませんか? おかしいんですよ。非常におかしい。「最後の晩餐」と言いながらテーブルに何が載っていますか? 例えば、豪華な食事が並んでいる? どこにも並んでない。そうでしょう? もう一つ最後の晩餐の絵がありますが、これを見ても食事が皿の上に載っていないです。これは不思議だと思いませんか? 僕がユダヤ教を勉強し出して初めてこれが何故食卓に食事が載っていないのかということの謎が解けたんです。それは、実はこの絵から来ているんです。これは紅海が真っ二つに割れてユダヤ人をエジプトの奴隷からモーゼが解放している。ユダヤ人がここを渡っていくんです。それでエジプトの戦車がファラオの戦車がダーッとあとを追って来る。そうしたら、この海はバーッとまた元に戻ってエジプトの戦士達が全部海に溺れて、ユダヤ人だけは紅海を無事に渡った。この時に「さあ、早く逃げよ」と泡を食ってユダヤ人達がエジプトから脱出して行った。これが「出エジプト記」というモーゼ五書の一つですが、その時に泡を食って出て行ったので実は食器、食材、調理具、食物や、こういう焦げてふわっとしたパンを作るパン粉、イースト菌などを持って行けなかったのです。着の身着のままで逃げ出した。その時の苦労を思い出すというユダヤの儀式、宗教的な儀式が年に1回あります。我々ユダヤは太陰暦を使っていますから、いつ頃あるかと言うと大体4月から5月頃にあります。これを英語では「パスオーバー」と言います。「ペサハ」とヘブライ語では言います。この時の逃避行、何千年も昔の話を今でも思い出すために、食事は出来るだけ貧しいものを食べましょう、年1回です。それはイースト菌で膨らませた美味しいパンではなくペチャッとしたクラッカーみたいなパン、マッツォと、それからマロールという苦い菜っ葉を食べてその時の苦労を思い出すのです。4000年これをやっているのです。だからイエス・キリストの為に開かれた最後の晩餐の食卓のテーブルの上には何も載っていないのです。

さて、ユダヤ人がシナゴーグでどんな格好をしているのか? これは皆さん方が普通見られるものではないので、本来ならこういう所でやるべきではないのですが、シナゴーグで我々ユダヤ人がどんな格好をしているのかということを今日お見せしたいと思います。まず帽子を被ります。シナゴーグでは必ずこれを被らなければいけないのです。

だいだいユダヤ人は皆これを被っています。これを「キッパ」と言います。何故被るのか? 我々はシモベであるという意味でこれを被っています。

それからもう一つが「テフィリン」というものを付けます。これはヘブライ聖書に「貴方の心臓と貴方の眼と眼の間に付けて神の教えを忘れないようにしなければならない。」と書かれています。だからそうするのですが、これを毎朝7時にシナゴーグに行ってテフィリンを付けてお祈りをしている訳です。世界中のユダヤ人のほとんど、まあ熱心な人はやっていると思います。私も世界各地をうろうろしていますから、必ずシナゴーグに行って毎朝これをやっています。ちなみにこの箱の中には何が入っているかと言いますと、モーゼ五書の一節が入っています。これは素肌に付けなくてはいけないのです。それで巻く回数、これは革で出来ていますが、巻く回数が決まっています。左の腕に上腕に7回、1、2、3、4、5、6、7。旧約聖書というかヘブライ聖書に書かれているように「そしてあなた方の頭の眼と眼の間に付けなくてはならない。」そして最後に中指に3度巻きつける。それでヘブライ文字の「シン」の字をここに書いて、まあ一丁上がりという感じになります。これでテフィリンは終わった。

次に「タリート」というショール。これはユダヤ人が必ず毎朝祈りの時に身に付けなければいけないものです。房が付いていますね。この房は613の結び目があるのです。これは何を象徴しているのかと言うと、この結び目、これはユダヤ人が守らなければいけない戒律が613あるということ。一般の人が守らなければいけないのは7つ。皆さんが守らなければいけないのは、「盗むなかれ」だとか、そういう基本的なやつ。それ以外に我々613、沢山あるんです。それがここにあるということなのです。これがユダヤ教の正式な、シナゴーグで我々が毎朝している格好です。

さて、それでどういう祈りを捧げているかということですが、ヘブライ語はお聞きになるチャンスはあまりないと思いますから今からちょっと。一番ユダヤ教で有名な祈りがシェマの祈りとアミダの祈りというのがあります。アミダの祈りというのは恐らく阿弥陀経の名前の元になった祈りかも知れませんが、シェマの祈りは座って声を出して祈るんです。アミダの祈りは立って黙読するのですが、黙読の方は聞かれても面白くないでしょうから、シェマの方を祈ります。これが一番有名な祈りです。本1冊祈り集がありますが、その中で最も有名な祈り

(シェマの祈り)

これが我々ユダヤ人にとっての最も有名な祈りで、これはどういうことを言っているか? 我々の神は唯一の神ということと、それから寝ても覚めても起きても食事をしている時も全てユダヤの教えを子供たちに教えなさい、ということを言っている。だからいかに家庭教育が重要かということが、この重要なシェマの祈りの中に書かれているから、我々はもの凄く家庭教育を重視しているのです。だから女性はシナゴーグに行く義務がないのです。女性はこういう格好をする義務もない。祈りをする義務もない。家庭で子供たちを教えるのが女性の最も重要な仕事だから、あらゆる宗教的な儀式から解放されているのです。だからシナゴーグに行くのは基本的に男だけです。もし女性で来たい人がいても祈る必要もないし、こんな格好をする必要もない。これがユダヤ教の基本です。

 さて、ユダヤ人とは? 先ほど私は自己紹介をして自分のことをユダヤ人だと言いましたけれども、どういう定義なんだ? 「ユダヤ人とは」という定義。これはイスラエル憲法及び正統派ユダヤ教のオーソドックス派で認められている定義があるんです。それは1番、ユダヤ人とは改宗者。だからユダヤ教の改宗のプロセスを全部経て改宗試験に受かったもの。私の場合は勉強するのに5年ぐらいかかりました。ラバイの個人教義を受けて勉強して、試験が何度もあって、筆記試験があって。司法試験みたいな感じだったですね。そして面接試験があって。一番大変な改宗手続の最後のさわりは何だと思いますか? これは男だけが経験しなければいけないのです。割礼手術なんです。最初私は、これはちょっと血を出せばいいのかなと思っていたら、いやいやとんでもない。ちゃんとした外科手術で手術台に入ってラバイと外科医が入って来て、それから1時間ぐらいの本格的な外科手術です。全部の包皮を取るんです。それを見届けて初めてラバイが「いやー、おめでとう。我々の仲間になった。確かに見届けた。石角完爾、お前はここに確かに神と契約した。」ということで抱きしめられて。その後に「ミクベ」という手続があるんですが、これは母親の胎内からもう一度ユダヤ人として生まれ変わることを象徴する、自然の水に浸かってもう一度生まれて来るという儀式があります。これは自然の水でなければならないというので、雨水を自然に集めた中に浸かってそれから出て来るという儀式です。私の家内はその自然の水がなかったので三浦海岸の海の中に浸かって改宗したのですが、12月の寒い時にあれは大変だったですね。それもユダヤ人が5名見届けなければいけない。

だからユダヤ人とはまず改宗者なのです。それから改宗者の母親から生まれた子供達はユダヤ人なのです。だからユダヤ人というのは何も特別の顔をしたり、人種じゃないのです。改宗者及びその改宗者たる母の子孫なのです。それがユダヤ人です。だから色々なユダヤ人がいます。中国系の私のような顔をしたユダヤ人もいれば、真っ黒なエチオピアのユダヤ人もいるし、フランス人のラテン系のユダヤ人もいるし、真っ白な北欧系ユダヤ人もいる。だからユダヤ人というのは人種ではないのです。改宗者及び改宗者の母親から生まれた子孫。それが今のイスラエル憲法の定義だし、オーソドックス派の定義でもある。

この絵を見たことがありますか? 有名なミレーの「落穂拾い」です。これが実は改宗者の最も基本的なところを示しているんです。これも僕はユダヤ教の勉強をするまでは、この絵がユダヤ教の絵だとは知らなかったです。恥かしながら知識がなかったというか、これが何でユダヤ教なんだ? 実はここに居る女性は改宗をして我々ユダヤの最も有名な王のダビデ王の曾お祖母さんになった女性なのです。これは異教徒の女性なんです。ルツと言います。ここに居るのがそのルツの姑、ナオミといいますが、ルツはナオミの息子の嫁なんです。そして異教徒。ナオミはユダヤ人。ここに居るのがモアブというこの地域の王様の使えている女性。落穂拾い、この絵を初めて見た時にまあ感動はしたんだけれども、一つ疑問があったんです。「これはなんで3名なんだ?」と。おかしいと思いませんか。なんで3名しか描かれていないんだ。ミレーが。実はそれにはこういう宗教的背景があったんです。ヘブライ聖書の改宗者ルツのその時の場面を書いているんです。本来なら、落穂拾いだから、こんな広い麦畑だから何人もの人が落穂拾いをしていてもいい訳じゃないですか。だけど3人しか描いていないということはそういう宗教的背景があったんです。この絵もそうですね。実はミレーはこういう絵も描いています。「刈り入れ人たちの休息」これが将来ルツの旦那さんになる男性なんです。その男性のシモベ達と落穂拾いをして休息をしている場面ですが、これは先ほどの絵の続きの場面なのです。これを旧約聖書というかヘブライ聖書のルツ記を見ると「ああ、あれは続きの場面だな」ということが分かって来るのです。石角完爾は何でもユダヤ教にこじつけていると思われると嫌なので、ウィキペデアという現代の電子辞書から取ったものを読みます。

「日本の整然と株の植わった稲田と違い、欧州の麦畑は同じミレーの『種まく人』にみるように畑に種をばら撒き、育った株を柄の長い鎌で立ったまま薙ぐように刈り倒す[1]。これをフォークで集めて脱穀するのだが、当然のことながら集めきれなかった落穂が多数地面に残される。当時、旧約聖書の『レビ記』に定められた律法に従い、麦の落穂拾いは、農村社会において自らの労働で十分な収穫を得ることのできない寡婦や」
旦那さんが死んでしまった人。だからそこにルツが居るんです。ナオミも旦那さんが死んでしまったんです。だからそこに居るんです。落穂拾いをしているんです。
「貧農などが命をつなぐための権利として認められた慣行で、畑の持ち主が落穂を残さず回収することは戒められていた。」
だから落穂拾いというのは、そういう意味で貧民対策だった訳です。今で言ういわゆる生活保護支給のようなものです。
「落穂拾いの光景はミレーの故郷で土地の痩せた北ノルマンディー地方では見られず、肥沃なシャイイ地方に移住した後に体験した感銘を描いたものであると考えられている。また、同時期には同じく旧約聖書『ルツ記』の一場面に由来する『刈り入れ人たちの休息(ルツとボアズ)』を手がけており、農村社会での助け合いを描いている。」
ボアズというのがルツの旦那さんになる人ですが、それを描いているんですね。だから、ユダヤ教の勉強をして、このミレーの絵の謎が私は解けたし、それからダヴィンチの最後の晩餐の絵の食卓に全然食事が出ていないという謎も解けた。そんなこともあって、だんだんとユダヤ教の勉強の深みにはまっていった訳です。

その時にルツが述べた有名な言葉があります。これはアメリカ人でもヨーロッパ人でも全員が知っている言葉ですが、
「For wherever you go, I will go; wherever you lodge, I will lodge;  your people shall be my people, and your God my God. 」
つまり、あなたの神が私の神だと。どこに行かれようと私はあなた方について行きます。
「Where you die, I will die, and there I will be buried.  Thus and more may the LORD do to me If anything but death parts me from you.」
あなた方が死ぬ所で私は死にます。そこに埋めていただきます。神が死を私をもって分かつまで貴方のお傍におります。

これが改宗の一番基本的な原則を言っています。だからユダヤ教に改宗するということはこの覚悟を神との間に誓うということです。それがあのミレーの落穂拾いの絵だったということは勉強するまで僕は知らなかった。

さて、ユダヤ人が最も重視するのは何か? 先ほどお見せしましたように、自分の畑だからといって落穂を全部回収してはいけない。貧しい人の為に、そして夫に先立たれた妻の為にとっておかなければいけない。これがユダヤ教で我々が一番重視している「ツェダカ」という思想です。いわゆる西洋で言うチャリティなのです。これも具体的には細かい規定がありまして、全収入の10分の1をツェダカにチャリティとして出さなければいけない。例えば、大学を卒業して稼ぐようになれば最初の年の年収の10分の1です。After Taxではないです、Before Taxです。だから結構金額的には厳しい話です。あるいは、そういう金銭的な供出をすることが出来ない人は、労役だとか精神的な活動とか、あるいは病人を見舞うとか孤児院で色々な世話をするとか、何かそういう形でチャリティを行なわなければならない。これが一番重要なユダヤ人の義務です。

最後になりましたが、日本語でこういう今日お話したようなことを私がブログに書いています。このブログは恐らく量的には日本で最も量の多い、日本語で書かれたユダヤ教のブログです。
www.kanjiishizumi.com 
よければ是非いっぺん訪問してみて下さい。
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さて、今日の私のユダヤ教のさわりの部分の話はこれぐらいに致しまして、あとはコーディネーターの方にお任せしたいと思います。

司会:ありがとうございました、石角先生。ユダヤの非常に本質的な内容、特に改宗を通してユダヤ教徒となっていく点を詳しくお話し頂きましたけれども、何かご質問はございませんでしょうか。

A:ちょっとお伺いしたいと思います。非常に面白い話をお伺いしましてどうもありがとうございました。最初の出だしのところで、「ユダヤ教は何を拝むか、何も拝まない。」こういう話だったんですが、今の話ですと祈りという形で神様に何らかの、拝むということじゃないのでしょうが、神様の教えを祈っている、そういう感じなんでしょうかね。一応神様というのはある訳ですよね、一神教ですから基本的には。このお婆さんの問いというのは、何か拝む神様はいるのかということだったと思いますが、その辺の考え方ですね。日本人の拝むというのと、ユダヤ教の一神教で祈るということとはどこが違うのかについて分からないところがあったのですが、教えて頂きたい。

 一神教に対するもの凄く根本的な疑問というか御質問で、これは一生かけてもなかなか解けない疑問だと思うのですが、まず偶像がないんです。だから仏像もなければカトリックに見られるようなマリア像もないし、十字架もないし、イエス・キリストの十字架にかけられたような像もない。いわゆるカトリック、バチカンに行かれた方はご存知でしょうけれども、バチカンの内部でも聖人、フランシスコ・ザビエルだとかの聖人の像がたくさんありますよね。それからカトリックでは聖人の亡くなった遺体に関しても信仰の対象になっていますよね。それは我々にはありません。何もないです。ユダヤ教のシナゴーグの中ではそういうものは一切ない。だから何を祈っているのか? それが分かればユダヤ教の根本が分かる。要するに神とは何かということなんです。我々は宇宙の創造主だという風に言いますけれども、アメリカに50州ありますが、その半分の州ではダーウィンの進化論を教えてはいけないのです。あくまでも神が創造したという創造論を教えなければいけない。それは州の憲法でそう決まっている訳です。その創造論で言う神が我々の神に近いのです。アメリカの各州ではプロテスタントの神です、ユダヤの神ではない。でも何が一番近いかと言うと、プロテスタントは聖母マリア像も十字架もキリスト像もないので、彼等が我々に一番近いです。だけどかなり違うのは、ダーウィンの進化論を我々は一部認めています。プロテスタントは全然認めていない。つまり我々ユダヤ教は「宇宙がどう出来たかということは科学のサイエンスが解明するところだ。我々が考えているのは、ゴーギャンの絵にもありますように、我々がどこから来て、何で、どこに行こうとしているのか?」つまり“宇宙は何故出来たのか”という「Why」の方を一生懸命考えているのです。Howを考えるのはサイエンス、Whyを考えるのがユダヤ教。そういう宗教なのです。

確かにビッグ・バンで、イギリスのホーキング博士のビッグ・バンで宇宙がケシ粒のような小さな固まりから膨張して出来たんだ。それはそれで我々は認めているのです。ヘブライ聖書の中にもそのように書かれていますから、「ケシ粒のような固まりであった。」と書かれています。我々が一生懸命考えているのは、「何故出来たのか、何故この宇宙が出来たのか」ということを考えると、「それは神じゃないか。何か目的があって出来たのではないか。」という風に考えている。それを考えることが「お祈り」なのです。だから勉強しないと分からないので、神の存在が具体的な形を伴っていないし、物理的な属性も持っていないし、非常に絶対無の形而上的な空の存在であり、もし神の存在を表現するならば“否定形”でしか言えない。形がないとか、色がないとか、光がないとか。太陽系ではないとか、銀河系ではないとか、という否定形でしか言えないだろうと我々は考えています。先ほどのトーラというのはモーゼがシナイ山でさずかった神からの我々人間とこの地球に対するMission Statementだと考えています。台本だと。その台本に従って我々は天地創造を6日間で神が休まれたので、7日目は我々もそれにならって安息日で休んでいます。ユダヤ民族は神のパートナーとして最後の仕上げに神と協力して善き世界を作ろうとしているんだと。これが実は選民思想だという形で批判されているんですが、そういう民族だという意識がある。その最後の仕上げをするために神様に問いかけなければいけない。「どうすればこの台本の意味が分かるんですか?」という問い掛けをするのが、先ほどお見せしたシェマの祈りやアミダの祈りなのです。いわゆる祈りというのが、実はユダヤ民族から神への問い掛けなのです。モーゼ五書という台本を読んでもよく分からないから問いかける訳です。神がこういう風に宇宙を創りたいという希望を書いたのがMission Statementであるモーゼ五書と言われているトーラなんです。そのトーラだけでは神の考えが分からないのでだから永遠に勉強しなければ分からない。具体的な物性やら属性やら形やら色があるものではない。だから祈り続けて問いかけるのです。だからイスラムともちょっと違いますね。イスラムはムハマドという具体的な預言者がいらっしゃるわけだから。今の答えになりましたかどうか。

A:そうすると神様の存在というのは、こちらから何かをお願いしたり頼んだりする対象ではなくて、むしろ神様が人間を創って宇宙を統べている、統括している、そういう感じの神様はいると感じているんですね?

神の存在を否定することは出来ないけれども、神の存在をむやみに信じることもまた出来ないというのがユダヤ人の立場です。だから我々は「本当に居るんだろうか?」ということを常に考える民族です。イスラエルとかユダヤというのは「神と闘う人」という意味です。闘わなければなかなか分からない。「神と言い争いをする人」という意味です、「イスラエル」とは。徹底的に、場合によっては神を法廷にまで引きずり出す民族なんです。そういう話が実際にあります。言い争いをして神に説得をし、議論を呼びかけ、畳みかけて神に挑戦する民族です。ヘブライ聖書にもそういう物語があります。その話を聞いてもあまり面白いとは思われないでしょうから止めておきますが、そういう神と議論する場面はヘブライ聖書の中で随所にあります。議論しなければ分からない、そういう対象です。ヘブライの神とは。

B:面白い話をありがとうございました。その服装の件でちょっとお聞きしたいのです。それとまた違う格好で山高帽の方もいらっしゃいますよね。あれはやはりユダヤ教の中でも色々な宗派があるということなのでしょうか、それとも何か別の理由でしょうか?

山高帽で真っ黒い服装をしている人、あれもユダヤ教の一派です。どちらかと言うと、あの人達は、ユダヤ教の中でも3つの派閥があります。まあ実際はユダヤ人の数だけ派閥があると言われていますが。我々はもの凄く個性的な人間なんですよ。だからユダヤには人口の数だけ内閣総理大臣がいると言われているぐらいに徹底的に一人一人違うのですが、大きく分けると、一番厳格にモーゼ五書、トーラを守る人をオーソドックスと言います。オーソドックスの中でウルトラ・オーソドックスと言われている人達がああいう山高帽と黒い服装。あの人達は43丁目のダイヤモンド街、ニューヨークのマンハッタンでダイヤモンド商です。もの凄い大金持ちの人が多いです。だから服装では分からない。それから、コンサーバティブと言われているのがアメリカで最も多いユダヤ教の信者達で、トーラの戒律は確かにそうだけれども、これは現代風に解釈し直さなくていけない、という考え方を持っているのがコンサーバティブ。だから我々のトーラではユダヤ人が作ったユダヤ人の蒔いた種でブドウで作った、ユダヤ人の醸造所で出来たワインしか飲んではいけない。でもコンサーバティブの考え方は、「そんなこといいだろう、ワインだったらどんなワインでも飲んでいい。」というのがコンサーバティブ。さらにもっとリベラルなのがいます、アメリカのサンフランシスコのあっちの方では。「ゲイのラバイだっていいだろう。」と。これはモーゼ五書で男と男の行為は絶対駄目だと書かれているわけです。だから正統派から見ればそういうのはゲイのカップルは絶対に許されない。だけどリフォームと言われているもの凄い改革派もいる訳です。その他にもいっぱい改革派、その間のバリエーションがありますから、ユダヤ人の数だけ派閥があります。服装もバラバラですし、そういう格好をしている人もいれば、全く普通の服装でTシャツの人もいます。

C:鈴木です。アジア人でユダヤ教の一番多い国はどこの国ですか?

チャイナです。
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私の書いた本「お金とユダヤ人」(ソフトバンククリエイティブ出版)が経営者の読むべき本を独自の視点から紹介している「TOPPOINT」という書評誌に紹介されました。
  

今まで日本で出されたユダヤ本は「ユダヤ人に聞けば分かる金儲けの方法」などという、日本人のユダヤ人に対するいい意味での偏見を利用した金儲けノウハウビジネス書というものが多かったように思います。

しかし、それらは全てユダヤ人の実態を知らない日本人によって書かれたものであり、事実を伝えていなかったと思います。正直言ってビジネスで金儲けをしたければHarvard Business Schoolに行くのが一番であり、ユダヤ人に教わることは何もありません。ユダヤ人は、私が毎日世界各地のシナゴーグに行って付き合っている限り、貧しいユダヤ人が大半です。それなのに何故日本人はユダヤ資本が世界を支配している、ダイヤモンド・ビジネスはユダヤが裏で手繰っている、アメリカの政治はユダヤが動かしている、等々という誤ったイメージを持ったのでしょうか。私のこの本はタイトルは本屋が付けたものですが、書いたことはユダヤ人の5000年の苦難の歴史から導かれる日常生活、特にお金にまつわる日常生活のユダヤの戒律と教えを説いたものです。こういったユダヤのお金に対する厳しさが逆に平均的ユダヤ人をお金で苦労しない民族にさせていったのではないかというのが私の分析です。
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石角完爾著「お金とユダヤ人 富を引き寄せる5000年の秘密」が月刊経営塾フォーラムで紹介されました。
石角完爾著「お金とユダヤ人 富を引き寄せる5000年の秘密」が月刊経営塾フォーラムで紹介されました。
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